やわらかなバッハの会

先入観念にとらわれることなく、バッハの音楽に親しむ会です。
イコール式音楽研究所

2008年07月

マッテゾンの調性格

バッハと同時代に生きたマッテゾンは調性格の代表者といえるでしょう。バッハが1冊の著書も遺さなかったのに比べてマッテゾンは実に多くの著書を書きました。

彼は最初の大著『新管弦楽法』(1713年)の「アフェクトの表出における音楽の性質と働きについて」という項目のもとに調性格を述べました。

マッテゾンの調性格が普遍的なものと考えることは避けたいものです。なぜなら、彼は調性格について次のように述べています。

「調の性格について何か確実なものを定めようとすればするだけ、おそらく、意見の違いも表面化してくるように思われる。この問題をめぐる見解はほとんど数えきれないほどあるからである。その理由としてただ一つ考えられるのは、人間の体液の組織が一人一人非常に異なっていると言うことである。それゆえ、例えばある調を多血質の人は楽しげで快活に感じ、一方、粘着質の人は、ものうく、嘆き、悄然としているように感じたとしてもまったく不思議はないのである」と。

また彼は後に次のようにも述べています。

「調の性質については、何も絶対的なことを言うことはできない。なぜならどんな調もそれ自体では、その逆を作曲し得ないほど悲しかったり楽しかったりする事はできないからである」と後に述べました

マッテゾン自身もバッハの《平均律クラヴィーア曲集》と同じように、24の調を網羅した『通奏低音大教本:48の範典 Grosse General-Bass Schule』 を1731年に作曲しました。しかし24の調性格を作り出したのではないことは、マッテゾン自信の言葉から明らかです。

バッハも同じころに 《平均律クラヴィーア曲集》 を編集しましたが、やはり24の調性格を確立しようとはしていません。それどころか、バッハは、移調を試みた曲もあっての24の調なのです。

バッハとマッテゾンは同じ世代ですが、調性格の感じ方には個人差があります。
マッテゾンの調性格だけを普遍的なものと考えることは非常に危険です。以下に述べる《平均律クラヴィーア曲集》に見るバッハの調性格をご参考の上、マッテゾンの調性格も参考としてお読みください。


1.バッハの《平均律クラヴィーア曲集》の編集目的は、24の調をすべて網羅することでした。決して調性格を24種類も確立しようとしたのではありません。バッハは、よく使われる調で作曲したものを遠隔調に移調するという方法も使いました。もし、移調によって音体系や曲の性格が全く変わってしまうなら、バッハがそのような方法をとらなかったはずです。バッハは移調によって曲想が変わるとは考えてなかったから移調を試みたのでしょう。


2.バッハは《平均律クラヴィーア曲集》において当時あまり使われなかった未知の調に挑戦したわけですが、未知の調性格に挑戦したのではありません。バッハは史上初めて24すべての調を網羅した曲集を編纂ししたのですから、それまでに使われたことの無い遠隔調の開拓がおこなわれました。が、遠隔調に新たな性格を付したとはいえないでしょう。


3.もし、普遍的な調性格というものが存在するならば《平均律クラヴィーア曲集》の中の同一調は同一性格でなければなりません。しかし実際には同一調であっても全く異なる調性格の曲が多いのです。中には対照的と言えるものもあります。


4.あなたのピアノは12等分平均律ですから、どの調で弾こうと調性格は皆同じです。バッハも《平均律クラヴィーア曲集》を弾くにあたって、24すべての調が破掟なく演奏できる調律を使用しました。それは必然的に限りなく12等分平均律に近い調律になります。12等分平均律に近づけば近づくほど、調性格は皆同じになってきます。


5.《平均律クラヴィーア曲集》は鍵盤楽器を前提としています。鍵盤楽器はヴァイオリンなどとは違って演奏しながら音程の微調整をすることは不可能です。例えば「ドーミ」は長3度、「シ♯ーミ」は減4度です。言い方は違えど、鍵盤楽器で弾くとどちらも同じ鍵盤を弾くことになります。これに対して、声楽、弦楽器、管楽器などは、音程の違いを弾き分けることが可能なのです。以上のことから考えて、鍵盤楽器で演奏する場合は、たとえ不等分音律であっても同じ鍵盤を弾く以上、長3度と減4度の違いを弾き分けることは不可能なのです。

以上のことを踏まえた上で、マッテゾンの調性格を参考にしましょう。調性格は、12等分平均律の鍵盤楽器には存在しないことを再確認しましょう。「ト長調は云々・・・」と言いたいならば、鍵盤楽器以外のもので演奏することです。

以下はマッテゾンの調性格の一覧表です。

1 ハ長調・・荒削りで大胆、喜びを発散するのに適す、
うまく使えば優しさと愛らしさを表現しうる
2 ハ短調・・・並外れて愛らしい、哀しい、温和すぎる
3 嬰ハ長調・・(変ニ長調)記述なし
4 嬰ハ短調・・記述なし
5 ニ長調・・幾分鋭く頑固、騒動、陽気、好戦的、元気を鼓舞するようなもの
       フルートやヴァイオリンが支配的になると繊細な曲になる
6 ニ短調・・・信仰深く穏やか、高貴で満ち足りた性格、祈りの心、平安
流れるような愉快さ
7 変ホ長調・・非常に悲愴、深刻に訴えかける、
        官能的な豊かさを嫌う
8 嬰ニ短調/変ホ短調・・記述なし
9 ホ長調・・絶望、死ぬほど辛い悲嘆、恋に溺れてまったく救いのない状態、切り込み、傷、肉体と魂が宿命的に切り裂かれる
10 ホ短調・・・深く沈み考え込む、重く悲しい気分、
慰めを期待しうるが楽しげな要素はない    
11 ヘ長調・・世界で最も美しい感情を表現する、洗練をきわめる、
寛大、沈着、愛、徳、自然な物腰、比類の無い能力
長調であるのにこの上なく愛情のこもった表現ができる、
4番目の音にフラットを有しているが楽しげな作品にも使われる
12 ヘ短調・・・穏やかで平静、深く重苦しい、絶望的、死ぬほどの心の不安
        暗く救いようのないメランコリー、恐怖心、戦慄
過度に感動的、救い難い憂鬱、恐怖を抱かせる、
13 嬰ヘ長調・・記述なし
14 嬰へ短調・・ひどい憂鬱、悩ましげに恋に夢中になっているような感じ、
孤独、厭世的、
15ト長調・・人を引きつけ雄弁に語る、輝き、真面目、活発
16ト短調・・・最も美しい調性、優美、心地よい、憧れ、満足、
真面目さと活気ある愛らしさを合わせ持つ
中庸な喜びと嘆きにもふさわしくまったく利用範囲の広い調
17 変イ長調・・(嬰ト長調)記述なし
18 嬰ト短調・・記述なし
19 イ長調・・・非常に攻撃的、嘆き悲しむ、
特にヴァイオリンを使用した音楽に合う
20 イ短調・・・少し嘆く、品位ある、落ち着き、
眠りを誘うが不快なものは全く無い
鍵盤楽器に適している
21 変ロ長調・非常に気晴らしに富む、華やかさと控えめな性格を併せ持つ、
       壮大、愛らしい
22 変ロ短調・・記述なし
23ロ長調・・敵対的で硬質、不快、絶望感
24ロ短調・・・奇怪、不快、憂鬱、めったに用いられない
       このような性格が修道院から排斥される原因になった

[マッテゾン「各調性とアフェクト表現上の作用について」
                     礒山雅―編 山下道子―訳]

マッテゾンがシャープ、フラットの多い遠隔調については「よく知られていない調性」と述べるにとどまっていることから、中全音律的視点がうかがえます。
調性格を述べるに当たってはどの音律かということが前提になるはずですが、ほとんどの論者がこれを明記せずに述べているのは不思議というしかありません。
また一つの調について音楽家の感じ方によってその調性格はまちまちで、恣意的なものと言わざるを得ません。

マッテゾンとバッハの感じ方が違うから恣意的であるというだけではなく、同一の作曲家によっても恣意的である例をあげましょう。

例えば「平均律クラヴィーア曲集」の中のホ長調です。
1巻9番ホ長調プレリュードは幸福な牧歌的情緒、フーガは熱烈な青春の喜びが音の奔流となって躍動しています。
2巻9番ホ長調プレリュードは穏やかな淡い光に満ちており、フーガはパレストリーナ様式の厳かな宗教合唱です。

同一作曲家(バッハ)が同一音律で作曲したホ長調なのに、その調性格は牧歌的、青春の喜び、穏やか、宗教合唱と全く統一性がありません。
またホ長調についてマッテゾンは「死ぬほど辛い悲嘆」と述べています。《平均律クラヴィーア曲集》に見るホ長調の性格とかけ離れています。もっとも、マッテゾンが述べたホ長調は中全音律的視点が感じられ、中全音律のホ長調は属和音(ロー嬰ニー嬰ヘ)がマッテゾンの言葉もなるほどと思われるほどに極端な響きではあります。一方バッハは24すべての調に適合する音律でなければならなかったので、使用できる調性に限りがある中全音律ではなかったことは確かです。バッハは12等分平均律に近い調律を用いたので、調による調性格の統一はなされていません。

それにしても、バッハ「平均律クラヴィーア曲集」の中のホ長調とマッテゾンの言うホ長調の調性格はあまりに対照的です。特に鍵盤楽器における調性格は主観的で不確実なものでしかありません。
調性格論者の代表マッテゾンさえも晩年になって、自分が「新管弦楽法」で発表した調性格論を後に取り下げているのですから。
調性格について、確かに言えることは長調と短調の2つの性格しか存在しないということです。

これらのことを考慮した上で、《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》はハ長調とイ短調に限定して移調しました。
12等分平均律の鍵盤楽器で弾く限りにおいて、すべての調性はこの2つの調に集約されるからです。

ここで大事なことは弦や管のように、音程を自分で作る楽器は調性の違いを表現することが可能ですが、12等分平均律に固定されている鍵盤楽器で調性の違いを表現することはできないということです。
12等分平均律においては調性格という問題が純粋に精神的なもの、作曲者と演奏者に架空の世界の問題として存在するものとなりました。調による性格の違いはおとぎ話になり、作曲家には長調にするか短調にするかの選択肢しか残されていないのです。

イコール式がハ長調とイ短調2つの調だけで鍵盤作品を記譜することにした理由は、ハ長調とイ短調で音楽の正しい理解への道を開く必要性からです。
最初からオリジナルの調で弾こうとして、固定ド読みするのは音楽の正しい理解を妨げるものです。
《平均律クラヴィーア曲集》をまずハ長調とイ短調で弾き、その後オリジナルの調で弾くことをお勧めいたします。

ストラヴィンスキー

>筝の調律に関して、アメリカの音楽評論家ピーター・イェーツは、ストラヴィンスキーの逸話を次のように伝えている。
「ある晩、わたしは、この国(アメリカ)へ最近やってきた日本の音楽家の筝の演奏を聴くために、ストラヴィンスキーと何人かを家に招いた。演奏家は、平均律で調律された筝のための現代作品を選んで演奏を始めた。そのあと、同じ調律で古典曲が演奏されたのを聴いて、ストラヴィンスキーは調律が楽器に合っていないと異議を唱えた。ストラヴィンスキーはこの楽器に関する過去の経験もなく、正しい音程による音律も知らなかったが、彼の鋭敏な耳はただちに、この筝奏者が気付かずに何かを忘れているということを、また、筝と音律とは一体であるということを教えてくれたのである」 (「響きの考古学」藤枝守 著)

この逸話の「筝」は平均律で調律されていたため、最初に演奏した現代作品では何の問題もなかったのですが、古典曲の演奏になると調律が適切でないことがストラヴィンスキーによって指摘されました。
つまり、筝の古典曲は三分損益法で作曲されたものなので、現代曲と同じ平均律で演奏すると、本来の曲想が得られないという至極当たり前の話です。

今度は、この逸話の「筝」を「ピアノ」に置き換えて是非もう一度お読みください。
「筝」の逸話はたぶん誰にでもご納得いただけると思いますが、「ピアノ」に置き換えるとどうでしょうか。

ピアノの場合の古典曲とは平均律が一般的になってきた1850年以前に作曲された曲すべてを指します。
多くのピアニストが、バッハやモーツァルトといった古典曲を演奏する時、それらが平均律では作曲されていないということを忘れています。

ピアノの調律が平均律に移行したは音楽の内面的な理由と外面的な理由によります。それは調性の崩壊を経て12音セリーに向かった内面的な理由と、産業革命後にピアノの大量生産時代が始まったという外面的な理由からです。
従って平均律で作曲されたものは近代以降と現代の作品ということになります。

ストラヴィンスキーのように鋭敏な耳を持たない現代のピアニストは、古典曲を平均律で弾くことにあまり抵抗を感じません。
また、多くのピアニストが平均律で弾いても調性格があるという妄想を信じています。
バッハの弟子であったキルンベルガーは「平均律は作曲家に長調にするか、短調にするかの選択しか残さない」と述べました。
調性格は平均律になる前の非平均律で演奏した時に生じるものであると言うことを忘れて調性格妄想に取り付かれているピアニストが多いのです。

弦楽器など、自分で音程を調整しながら演奏する楽器の奏者は調性格があると言えますが、平均律に固定された鍵盤楽器の奏者にとって調性格は存在しません。
平均律が数学的に割り切れない無理数であることから、今日まで完璧な平均律が存在せず、調律師のさじ加減で調律されることも事実ですが、さじ加減が調性格になることは有り得ません。

クラヴァールスクリーボ

クラヴァールスクリーボと言われてもそのスペルと意味が想像できないのは当たり前です。何故ならこれはエスペラント語だからです。
クラヴァールスクリーボとはオランダ人のポトが創成した鍵盤楽器記譜法の名前です。
1951年にユネスコ国際音楽評議会に提出して世界の批評を求めたものです。

その記譜法とはどんなものか、それは丁度オルゴールの発音部にある金属ロールと思っていただければ結構です。金属ロールの沢山の突起が音符、突起ではじかれて発音する櫛が鍵盤にあたります。
従来の五線記譜法は横に読みますが、クラヴァールスクリーボは金属ロールのように縦に書かれています。

譜表は従来の五線を縦にしたものとは意味が全く異なり、それは視覚的に鍵盤を表した5線です。
すなわち縦に引かれた五線は等間隔ではなく、丁度鍵盤の黒鍵の2本と少し間を開けて黒鍵の3本の間隔になっています。

従来の五線記譜法ではG#が「線」の音符であれば異名同音のA♭は「間」に書きまが、黒鍵五線譜では両方とも同じ黒鍵を表す「線」の上に書くので#♭は必要ありません。
しかも親切に黒鍵線上の音符は黒く塗りつぶされており、弾くべき鍵盤がピアノの黒いキーであることまで表しています。楽譜がピアノの鍵盤を視覚的真似た形で無調的に表わされています。

ここでは黒い音符は黒鍵を白い音符は白鍵を弾くこと表し、音価は音符間の距離だけで示されます。

クラヴァールスクリーボは鍵盤の配列に似せて記譜する方法です。例えばシェーンベルクのピアノ曲のように、すべての音符にいちいち#♭をつけて記譜しなければならないような場合にクラヴァールスクリーボは合理的に弾くべき音を表すのに好都合です。
しかしその合理性も1オクターヴ12個の鍵盤までで、微分音の記譜まではできません。

クラヴァールスクリーボが多数出版されたというわりには、長年ピアノ教育に携わってきた中で一度も出合うことがありませんでした。あまり普及しなかったのは、楽譜を縦に読むという習慣がこれまでになかったからではないでしょうか。英語のアルファベットを一文字づつ縦に書かれると読む気がしません。

新しい視覚的な鍵盤楽器記譜法として登場した記譜法でしたが、時代は電子音楽や偶然性の音楽でありそれを記譜することには無理があります。
現代音楽の記譜法は作曲家が、独自の読譜ルールを説明書きするという図形楽譜の方向に進み、一定の記譜法が未だ見出されていません。
21世紀の記譜法を提案します。、イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集
バッハ定例会
第1日曜日 15:00 PM
第2金曜日 10:00 AM
第4土曜日 10:00 AM

富田庸講演会&公開レッスン
講演会:2017年9月9日 午後2時
公開レッスン:9月10日午前10時
場所:山口大学
大学会館1階大ホール
お問い合わせはこちら

<プロフィール>
鍵盤楽器の
新しい記譜法
「イコール式」を提唱

子供の頃、父と一緒に、バッハのフーガをピアノ分担奏で弾くことによって、声部進行を直感的に学び取った。爾来バッハの鍵盤作品の
とりこになった。

延べ400人の生徒のレッスンを通して、バッハのフーガを弾くことが音楽力を向上させる最も有効な手段であることを再認識した。
移調によって難易度を下げることで、ピアノの初心者も《平均律クラヴィーア曲集》に親しむことができる。

イコール式とは「鍵盤楽器においてどの調も皆同じ」という意味です。
なぜなら12等分平均律の鍵盤楽器における調性とは、ただ高さのみによって識別される2つの旋法、すなわち長調と短調の性格だけに限られるからです。
12等分平均律は勿論のこと、不等分音律を前提に論じたマッテゾンでさえも調性格の恣意性を指摘しています。
異名同音、ピッチの変動、バッハの手による移調の試みなどを考慮すれば、《バッハ平均律クラヴィーア曲集》の元調にこだわる必要は無くなります。簡単な調に移調して、まず親しむ方が大切なことです。
やわらかなバッハの会は既成概念にとらわれず、自分自身の判断で音楽の本質を探究するところです。
橋本絹代 著  『やわらかなバッハ』 春秋社
橋本絹代 編著 《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》


世界唯一! 平均律クラヴィーア曲集の移調
音楽の構造が良く解る










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<イコール式の意味>
*12等分平均律の鍵盤楽器においてはどの調も同じ(イコール)です *フーガの各声部は主従関係ではなく対等(イコール)です *12等分平均律の調律法はイコール・テンペラメントと言います *音名と階名が同じ(イコール)読み方です
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