バッハ平均律クラヴィーア曲集の第3番は#が7個もついた嬰ハ長調です。
嬰ハ長調は当時非常に珍しい調でしたので、バッハは平均律クラヴィーア曲集の中でしか使っていません。
この曲を半音ばかり低いピッチに調律してある12平均律の鍵盤楽器で演奏して、それを聴いたとしましょう。

絶対音感者は「ハ長調に聴こえる」と言います。
絶対音感者が「ハ長調に聴こえる」と言うのは、主音のピッチがC音であるからそれをハ長調と言うのです。つまり主音のピッチが半音下がっても音楽自体に変化は無く、全体が半音ほど平行行移動したのです。
従って、絶対音感者は主音のピッチの高さに当てはめて○長調、○短調と言います。しかし、本来調性は主音のピッチで決定されるものでしょうか。

調性とは不等分音律において存在することが可能となるものです。
調性とは12等分平均律が普及し始めた1850年以降の鍵盤楽器には存在し得ないものです。音程を微妙に調整しながら12等分平均律に固定されることなく演奏出来る弦、管、声楽は別ですが、音程が12等分に固定されている鍵盤楽器には実態としての調性が存在しません。現在の鍵盤楽器の世界では調性というものが有名無実です。

不等分音律は半音の幅が不均等でした。それ故にハ長調の主和音と嬰ハ長調の主和音は明らかに響きが異なりました。調ごとに異なる音階構造が異なる和音の響きとなって調性格を形成しました。調性とはハ長調の音階構造と嬰ハ長調の音階構造が異なることであって、ピッチとは無縁なものです。

バッハの時代は現代より約半音低いピッチで演奏されていたと言われています。
すると、バッハは嬰ハ長調の曲を絶対音感者がいうハ長調のピッチで聴いていた事になります。現在で言うピッチはハ長調でも、バッハの時代には嬰ハ長調でした。

絶対音感という概念は1850年以降、12平均律の台頭に伴ってでき上がってきたものですから、絶対音感者は最初から12平均律しか頭にありません。だから絶対音感者の言う「調性」は「ピッチ性」に他なりません。

また絶対音感者がよく言う「気持ち悪い」という言葉も、12平均律においては音楽そのものが気持ち悪く変化するわけがありません。それは単にいつも聴いている嬰ハ長調のピッチと違うという意味に過ぎません。それほどまでに絶対音感者はピッチと調性を切り離しがたく感じています。

ピッチは元々、歌手が歌い易い高さに設定したもので、そこには何の基準もありませんでした。そのうち、町ごとに色々なピッチが存在するようになり、やがて世界的にA音=440ヘルツという標準ピッチが定められました。現在は更に標準ピッチが上昇傾向にあります。こうなると何が絶対なピッチなのか、何が絶対な音感なのか混沌としてきます。

音楽をよく知らない人達が絶対音感をプロ音楽家のパスポートのように崇める傾向がありますが、実は音楽の本質とは無縁の人間周波数測定器に過ぎないのです。絶対音感という神話から目覚め、楽士的な行為から早く脱却して本当のプロの道を目指したいものです。