やわらかなバッハの会

先入観念にとらわれることなく、自由にバッハの音楽を楽しむ会です。
イコール式音楽研究所

2008年03月

平均律と調性格

キルンベルガー(1721年生まれ)はキルンベルガー音律で知られる音楽理論家です。バッハに師事し、その教えを「正しい作曲技法」として著しました。
キルンベルガーは平均律と調性格について次のように述べています。

・・・平均律によって実際何も得られないばかりでなく、非常に多くのものを失った。平均律は作曲家に長調にするか短調にするかの選択肢しか残さない ・・・

次にミツラー(1711生まれ)はドイツの大学で音楽を講じた最初の人で、彼が設立した音楽学協会にバッハを加入させたことで有名な音楽学者です。彼の意見は次のようなものです。

・・・平均律を前提とすれば、ただ高さによってのみ識別される12の調種には、2つの調性(長調と短調、すなわちこの概念はむしろ旋法と捉えることができる)だけがある ・・・

次にヘルムホルツ(1821生まれ)は音楽的な音響学を確立したドイツの音響学者、物理学者ですが、彼の平均律論は以下のようなものです。

・・・すべての半音が音階全体を通じて同じ大きさであり、すべての音が同じ音色をもっている時には、異なる調性の作品が異なる性格をもつはずであるという見解に対する根拠を示せない ・・・

最後に私見を述べさせていただくと、今日まで完全な平均律などというものはなく、僅差の処理は調律師に任されています。しかし、平均律における僅差が調性格を形成するのではありません。
楽曲が作曲された時代には実態として存在した調性格ですが、今は実態として存在しないにも関わらず、調性に関する神話の呪縛から開放されていないだけなのです。

バッハの手による移調 1巻No.8

平均律クラヴィーア曲集は1巻2巻共に、プレリュードとフーガを一組としてハ長調、ハ短調、嬰ハ長調、嬰ハ短調の順に半音ずつ上がり、ロ長調、ロ短調で終わる構成になっています。
ところが1巻のNo.8だけはプレリュードが♭6個の変ホ短調、フーガが#6個の嬰ニ短調です。なぜバッハはプレリュードとフーガを同じ調で書かなかったのかという疑問が湧いてきます。

この疑問を解く鍵がフーガの第16小節の1拍目にあります。
第14小節の最後から始まるのソプラノ上行音階はロ音上の掛留で停滞するのではなく、いっきに嬰ニまで上昇したはずです。ところが上行音階の最高音となるはずの嬰ニ音が当時のクラヴィーアにはありませんでした。バッハが平均律クラヴィーア曲集に用いたクラヴィーアは3点ハが最高音だったからです。

シュピッタ(近代バッハ研究の基礎を築いた音楽学者)たちの主張によると、バッハはニ短調で書いたフーガを嬰ニ短調に移調する際、旋律線の頭を撥ねなければならなかったというわけです。
今日の私たちは、本来の望ましい形に書き換えて演奏することも可能です。実際、
バレンボイムは上行音を一気に嬰ニ音まで駆け上がる形で演奏しています。

バッハが平均律クラヴィーア曲集を編集するにあたって、ニ短調を嬰ニ短調に移調したために、プレリュードと揃えて変ホ短調にすることができず、嬰ニ短調にしたのでしょう。
また、プレリュード自体もホ短調からの移調であると考えられています。
これらの移調は♭系から#系への遠く離れた調への移調であり、調性格に対する配慮をそこに感じることはできません。

「平均律クラヴィーア曲集」は史上初めて24すべての調を網羅した記念碑的作品です。それまでに無かった新しい調を開拓したのですが、その開拓に相応しい新しい感情が開拓されたのではありません。

バッハにとって、「平均律クラヴィーア曲集」の目的は24すべての調を踏破することだけで十分でした。24種類の調性格まで列挙して確立することを考えていたとは思われません。
何故なら、バッハ自身がすべての調を弾くことが可能な調律法を考案し、その調律で自ら平均律クラヴィーア曲集を弾いたからです。平均律に限りなく近い調律で弾く場合、もはや調性格の確立は不可能であることをバッハ自身が一番良く承知していたことでしょう。

「平均律クラヴィーア曲集」を何故移調したのか

私は楽典や音楽理論を知るに及んで、音楽を直感だけではなく理論的に理解するようになりましたが、それは音で理解するのではなく、机上で理解するものに過ぎませんでした。何かが変だという漠然とした違和感を抱きなら各種のピアノメソード、各楽器メーカーの教育システム、リトミック、オルフシュールベルクなどを研究して解決の道を探りました。

そんなある日、書店でケレタート著「音律について」という本が目に留まりました。早速読み始めると「平均律に調性格はない。平均律には長調と短調の選択肢しかない」と書いてあり衝撃を受けました。「それなら何故、私たちは調性格のない平均律のピアノを弾いているにもかかわらず、バッハの平均律クラヴィーア曲集を24もの難しい調で弾かなければならないのか」という疑問が湧いてきました。               
私は直ぐに「バッハ平均律クラヴィーア曲集」を楽譜作成ソフトのフィナーレを使って全曲ハ長調とイ短調に移調して弾いてみました。自宅の2台のグランドピアノを従来の平均律ではないキルンベルガー、ヴェルクマイスター、ミーントーンなどの音律に変え、更に多種の音律が設定できるキーボードでも弾き比べてみました。そのような研究の結果でき上がったのがイコール式平均律クラヴィーア曲集です。
ハ長調とイ短調に移調した「イコール式 バッハ平均律クラヴィーア曲集」は下記の URLをご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/equal_shiki/

アグリーコラによるバッハ賞賛

ーーーギリシャにはただ一人のホメーロスしかなく、ローマにはただ一人のヴェルギリウスしかなかったごとく、ドイツもまたただ一人のバッハをもったにとどまるかのようである。今日にいたるまで、作曲の技においても、オルガンやチェンバロの演奏においても、彼に比肩しうるものはヨーロッパ広しといえど一人としてなく、将来もまた、なんびとも彼を凌駕し得ないであろう。かの名高いマルティーニ神父の和声、マルチェッロの巧妙さと創意、ジェミニアーニの歌唱的な旋律と様式、はたまたスカルラッティの手腕、たとえそれらを一つに合わせても、このバッハ一人には遠くおよばないのであるーーー

アグリーコラ:1720〜74
       ベルリンで活躍した作曲家       
       ライプッヒ大学に入るとすぐに楽長バッハ氏のも とでレッスンを始めた。バッハのカンタータ演奏に直接参加 し、写譜などにも協力した。

シュヴァイツァー

シュヴァイツァー(1875〜1965)はオルガンの名手であり音楽家としての成功を約束されていましたが、30歳の時、医療と伝道に生きることを志し、アフリカのランバレネにおいて、住民への医療などに生涯を捧げました。彼は医師としてアフリカに行く準備のための多忙な生活の中で『J.S.Bach』を書き上げました。この論文は今もなお、バッハ研究書としての価値を失わずシュヴァイツァーの名を永く音楽界に残すことになりました。この中から一部を以下に引用します。

「本物の芸術と偽者の芸術を区別する分別においてはたしかにずっとすぐれているとすれば、それは第一にバッハのこれらの曲に負うものといえよう。それを練習したことのある子供はーその際どんなに機械的に行われたにせよー声部進行を目のあたりに学び取るのであり、この直感は2度と消し去られることはないであろう。そのような子供は他のどんな曲にも同様な音響の線による尊厳な動きを本能的に求めるようになり、その欠如を貧しさと感ずるであろう。」

また彼は《平均律クラヴィーア曲集》の世界を次のような美しい言葉で表現しています。
「平均律クラヴィーア曲集は宗教的な感化を与える。喜び悲しみ泣き嘆き笑いーすべてが聴く者に向かって響き寄せてくる。しかし、その際にわれわれは、このような感情を表現する音によって、不安の世界から平安の世界へと導き入れられ、あたかも山間の湖畔で底知れない深さをたたえた静かな水面に山や森や雲の映る姿を眺めるときのように、現実を見るのである。平均律クラヴィーア曲集ほど、バッハが自己の芸術を宗教を感じていたことをよく理解させてくれる作品はない。彼が描写するものは、ベートーベンがそのソナタでしたような自然のままのさまざまな魂の状態ではなく、また一つの目標に向かっての苦闘や抗争でもなく、生を超越していることをあらゆる瞬間に自覚している精神―最も激しい悲しみと最も底抜けの朗らかさなどの極度に対立した感情をいつも同一の超然たる根本的態度によて体験する精神―が感じ取る生の実在なのである。それゆえに第1巻の悲痛に打ち震える「変ホ短調プレリュード」の上にも、また第2巻の憂いなく流れてゆく「ト長調プレリュード」のなかにも同一の浄い光が漂っている。」

バッハ定例会
第1日曜日 15:00 PM
第2金曜日 10:00 AM
第4土曜日 10:00 AM

第4回バッハ礼讃音楽会
日時:2017年7月30日(日)
場所:山口県旧県会議事堂

富田庸講演会&公開レッスン
日時:2017年9月9日〜10日
場所:山口大学大学会館1階大ホール
お問い合わせはこちら

<プロフィール>
鍵盤楽器の
新しい記譜法
「イコール式」を提唱

子供の頃、父と一緒に、バッハのフーガをピアノ分担奏で弾くことによって、声部進行を直感的に学び取った。爾来バッハの鍵盤作品の
とりこになった。

延べ400人の生徒のレッスンを通して、バッハのフーガを弾くことが音楽力を向上させる最も有効な手段であることを再認識した。
移調によって難易度を下げることで、ピアノの初心者も《平均律クラヴィーア曲集》に親しむことができる。

イコール式とは「鍵盤楽器においてどの調も皆同じ」という意味です。
なぜなら12等分平均律の鍵盤楽器における調性とは、ただ高さのみによって識別される2つの旋法、すなわち長調と短調の性格だけに限られるからです。
12等分平均律は勿論のこと、不等分音律を前提に論じたマッテゾンでさえも調性格の恣意性を指摘しています。
異名同音、ピッチの変動、バッハの手による移調の試みなどを考慮すれば、《バッハ平均律クラヴィーア曲集》の元調にこだわる必要は無くなります。簡単な調に移調して、まず親しむ方が大切なことです。
やわらかなバッハの会は既成概念にとらわれず、自分自身の判断で音楽の本質を探究するところです。
橋本絹代 著  『やわらかなバッハ』 春秋社
橋本絹代 編著 《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》


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<イコール式の意味>
*12等分平均律の鍵盤楽器においてはどの調も同じ(イコール)です *フーガの各声部は主従関係ではなく対等(イコール)です *12等分平均律の調律法はイコール・テンペラメントと言います *音名と階名が同じ(イコール)読み方です
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