やわらかなバッハの会

先入観念にとらわれることなく、自由にバッハの音楽を楽しむ会です。
イコール式音楽研究所

2007年07月

ギャラ

バッハが生きた時代の鍵盤楽器奏者は今日のピアニストとは異なり、自分が作った曲を演奏するのが当たり前でした。自分で作曲する力を持たず、他人が書いたものを音にするだけの人は「楽士」と呼ばれ、酒場のヴァイオリン弾きと同等の扱いを受けました。
「楽士」とは「他の人々が書いたものを楽器によって音にするという目的のために雇われる人」という意味でもありました。「雇われる」ということは「報酬を得る」と考えても良いでしょう。今日のピアニストは他の人々が書いたものを演奏してギャラを得ています。つまり、今日のピアニストは「楽士」と同じ行為をしているわけです。できるだけ高いギャラを得ることが高いステータスとなっていますが本当にそれでよいのでしょうか。音楽の本当の目的は何でしょうか。プロフィールに華々しい経歴を並べることが目的でしょうか。ステージで拍手喝采を浴び、高額のギャラを得ることが目的でしょうか。否、本当の目的は他のところにあるような気がします。華々しい経歴の中身はというと、日本においては難関有名音大の卒業、留学暦、著名教授の師事暦、コンクール暦から始まり、次にその立派な経歴が呼び寄せた数々のコンサート、内外オーケストラとの競演、受賞暦などです。これらはすべて審査委員や聴衆などの他人から見て自己の優秀性を証明するもの、つまり勝ち組を証明するものに他なりません。勝ち組になることが音楽の目的でしょうか。

音楽は本来人と競ったり、審査委員や評論家や聴衆に優劣を決めてもらうべきものでしょうか。否、音楽の起源は素朴な祈りでしょう。音楽を祈りとして考えると、音楽で人と競ってみたり、神ならね人間が優劣を判断するのはおかしな話です。しかも、今日のピアニストは自ら作曲しない場合が多いので、自分の祈りではなく他人の祈りを代読するに等しい状況です。祈りは本来一人静かに神と一体になることであって、その祈りは自分の内から汲み出す以外にはないはずです。他人の祈りをステージの上で仰々しく我が物顔で祈るものではないはずです。ましてその祈りによって聴衆からギャラを得たり、拍手喝采を浴びるのは音楽の本筋から外れているように思います。祈りはただ一人神の前にひざまずき自分のすべてを投げ出して感謝、讃美する行為です。演奏行為がこのように純粋な祈りであれば神に喜ばれるはずです。もし演奏行為が試験やコンクールやコンサートといった評価を伴う時は無用な緊張が伴うために、祈りというよりはむしろ大げさなパフォーマンスになってしまいます。

コンサートとは異なる教会の礼拝においては、演奏行為に対しての拍手やギャラはほとんどの場合ありません。なぜならば礼拝において讃えられるべきはただ神のみ、演奏行為はその神への讃美とみなされるからです。教会の礼拝ではコンサートのように演奏者を讃える拍手喝采は神への不遜であり場違いなものと考えられます。また、演奏の場も礼拝堂後部のバルコニーなど奏者の姿が見えない状態で音だけ聴こえる場合が多く、ステージでのスポットライトを浴びてのパフォーマンスとはかなり異なります。礼拝における祈りとしての音楽と、コンサートにおける娯楽的な音楽とではどちらが演奏者にとって幸せなのか考えさせられる問題です。

イコール式音楽研究所の主張はステージでパフォーマンスするための音楽ではありません。魂の至福を得るための音楽を目指しています。それには西洋音楽の中で最も優れた鍵盤曲と言われるバッハの《平均律クラヴィーア曲集》ほど宗教性に富んだ相応しいものはないと考えます。
専門的なピアニストも、ピアノ教師も、ピアノ愛好家も、学習途上の子供も、日々《平均律クラヴィーア曲集》を弾いて、決して乾くことのない水を汲んで欲しいと思います。この水を飲まずして、他の作曲家の曲ばかりを弾くのは大切な時間の無駄、人生の無駄ではないでしょうか。《平均律クラヴィーア曲集》を弾く時は速く流暢に弾こうとしたり、定評のある演奏家と比較検討してはいけません。音楽による真の祈りは他人の評価と無縁だからです。ただ無心に毎日少しの時間でも《平均律クラヴィーア曲集》と向き会うならば必ずや魂の奥底から至福の喜びが全身に広がるのを覚えることでしょう。

自分が作曲したのではないバッハの《平均律クラヴィーア曲集》を弾くのでは、自分の内から湧き出る祈りにならず単なる「楽士」にすぎないのではないかと心配しないでください。バッハは他の作曲家のように、作曲家個人の感情をもって作曲したのではありません。なぜならバッハの曲は個人の感情を超越した宇宙の法則だからです。宇宙の法則とは神であり、神という目に見えないものを波動で感じることを可能にしたのがバッハなのです。

バッハの至福の喜びを得るためには鑑賞するだけでは不十分です。自らの持てる技術の範囲内で結構ですから実際に演奏しなければ本当の至福は味わえないのです。信仰告白も念仏も、知識として知っているだけ、あるいは他人が唱えるのを聞くだけでは不十分です。自ら念じ行じることが先決です。《平均律クラヴィーア曲集》もCDを聴くだけでは不十分です。たとえ1パートだけでも自分で弾くことによって宇宙の法則が心の奥底に伝わってくるのです。

イコール式の《平均律クラヴィーア曲集》は多くの利点を持ちますが、その中の一つとして技術的に簡単にしてあるということが上げられます。全曲をハ長調とイ短調に移調し、難しい調号を廃止しました。多くの方がイコール式の楽譜によって、《平均律クラヴィーア曲集》を身近に感じ、実際に弾いてくださることを願うものです。バッハを弾かずして、また《平均律クラヴィーア曲集》の全曲を弾かずしてピアノを弾いたとは決して言えないことを理解していただければ嬉しいと思います。シューマンは《平均律クラヴィーア曲集》を日々の糧と言い、カザルスは毎朝《平均律クラヴィーア曲集》を弾くことから一日を始めました。その理由は、《平均律クラヴィーア曲集》が音楽の中の音楽、最初にして最後、これを越える曲が未だ人類に与えられていないことを証明しているように思います。

相対音感ピアノ教授法

今日のピアノ教授法は絶対音感に基づいた固定ド読みで行われるのが一般的です。絶対音感という概念は19世紀終わり頃にできたものですから、それ以前のバッハ、モーツァルト、ベートーベン、ショパン、ブラームスなどの音楽を絶対音感という概念で捕らえることは甚だ疑問です。絶対音感という概念が生まれる以前の調性音楽は相対音感に基づく移動ド読みをしなければ音楽の構造が理解できないはずです。今日私たちが弾くピアノ曲の大半は調性音楽ですから、相対音感に基づく移動ド読みの方がが適しています。

にもかかわらず、鍵盤楽器の世界を見ると現状は断然、絶対音感に基づく固定ド読み教授法が優勢です。しかも信じがたいことですが、絶対音感を持たない生徒に対してまで絶対音感教授法が行われています。これは英語が全く分らない日本人に英語で聞かせ、話させるのと同じぐらい無茶苦茶な話です。このような無謀な教授法は1オクターヴ内12個の音が固定されている鍵盤楽器に特に顕著に見られる傾向です。音程を作りながら演奏する弦楽器や声楽、移調楽器である管の世界ではむしろ相対音感の方を大切にしています。

バッハの時代には絶対音感という概念はありませんでした。従ってバッハは相対音感でもって作曲しました。バッハは「平均律クラヴィーア曲集」を編集する際に、簡単な調の草稿を難しい調に移調するということをしています。また、カンタータはピッチの高いオルガンとピッチの低い管弦楽や合唱をそろえるために、オルガンパートは1音低く移調して書きました。また、バッハは管弦楽のピッチより1音あるいは短3度高いオルガンでも見事な即興演奏を繰り広げることができました。もし、バッハが音楽を絶対音感で捉えていたら、これらの事は出来なかったでしょう。

そもそも絶対音感という言葉は、平均律のピアノが一般家庭に普及し始めた19世紀中頃以降に出来上がってきたものです。従って絶対音感は1オクターヴを等しい12の半音で頭ごなしに振り分けた音律である平均律に基づいています。バッハの時代に使われた音律は不等分音律でしたから今日の平均律に基づく絶対音感という考え方はありませんでした。バッハは相対音感でもって不朽の名作を書いたのです。

イコール式は絶対音感に基づく鍵盤楽器教授法に警鐘を鳴らし、相対音感に基づく鍵盤楽器教授法を提案するものです。イコール式は相対音感に基づく移動ド読みを楽にする目的でハ長調とイ短調に限定して移調しました。移動ド読みは絶対音感を持たない人には問題なく受け入れられますが、絶対音感を持つ人にとっては耳に抵抗があります。例えばト長調の移動ド読みで「ドミソ」となる主音が、絶対音感を持つ人には「ソシレ」としか聞こえないので厄介です。絶対音感を持つ人にも持たない人にも適用できるのが前述の2つの調、すなわちハ長調とイ短調だけなのです。「イコール式 バッハ平均律クラヴィーア曲集」は48のプレリュードとフーガをハ長調とイ短調に移調しました。まず、最初にハ長調とイ短調で全曲弾くことが大切であると考えます。しかるのちに移調して原調や全調で弾くのも良いでしょう。しかし、これは非常にレベルの高い人にしかできないことですので、一般的にはハ長調とイ短調で十分です。「平均律クラヴィーア曲集」は聴くためのものではありません。自ら弾くためのものです。イコール式によって多くの方が「平均律クラヴィーア曲集」を弾いて至福の時を味わってくださることを望みます。

ウィーンの移調譜

「平均律クラヴィーア曲集」はバッハの死後約50年を経て1801年に初めて出版されました。その約50年の間に「平均律クラヴィーア曲集」の音楽的価値を疑わない息子や多くの弟子たちによって手書きで伝承された。これらの資料が膨大であることは、この曲集が人々から愛されて口コミで面々と伝わっていたことを物語るものです。

そのような筆写譜の一つにウィーンで書かれた「平均律フーガ集」があります。ウィーンの筆写譜については世界的なバッハ研究者である富田庸の「1780年代ウィーンと平均律クラヴィーア曲集第2巻」に詳しく書かれています。

ウィーンの筆写譜はオーストリア公使としてベルリンに派遣されていたスヴィーテン男爵がウィーンに持ち帰った資料が元になっています。スヴィーテン男爵はバッハ自筆譜の初期の編集段階のものをバッハの息子か弟子のキルンベルガー経由の筆写譜でウィーンに持ち込みました。それをウィーンの有名なオルガニストであったアルブレヒツベルガーが1780年頃に筆写しました。アルブレヒツベルガー(1736生)はウィーンのモーツァルトやハイドンと親しく交わり、宗教曲を多数作曲し、音楽理論書を著し、シュテファン大聖堂の楽長として没したオルガニストです。

アルブレヒツベルガーは「平均律クラヴィーア曲集 第2巻」の中から、18曲のフーガと厳密な対位法で書かれたイ短調のプレリュードを含んだ「平均律フーガ集」を編集しました。このフーガ集に収められた曲のうち4曲はアルブレヒツベルガーによって移調されました。それらはロ長調→ハ長調、嬰へ長調→ヘ長調、変イ長調→ト長調、変ロ短調→イ短調に移調されています。移調のルールは#♭が多く難しい調を半音上げるか下げるかしてより簡単な調にするというものです。彼の移調は馴染みのない難しい調をよく使う簡単な調に移調して、原調とのずれを半音以内に収めるというものでした。

ウィーンの移調譜に対して、イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集は半音上げたり下げたりするのではなく、ハ長調とイ短調に限定して移調したものです。従ってアルブレヒツベルガーとは異なる目的を持っています。イコール式の目的は、単に簡単な調に移調することではなく、相対音感で音楽の構造を分り易く理解することです。ハ長調とイ短調に限定したのは、この2つの調だけが、絶対音感保持者の耳に混乱を与えないで済むからです。例えば簡単な調のヘ長調で移調ド読みする場合、ピッチとしては「ファ」である音を「ド」と歌わなくてはならないという混乱が起こってしまいます。またその前提として「ファ」を「ド」と読み替える移動ド読みの煩わしさもあります。イコール式の名前の由来はハ長調とイ短調が「移動ド読み=イコール=固定ド読み」であるということです。イコール式は相対音感育成の目的を持つもので、いわゆる移動ド読みとは違います。何故ならバッハのフーガなど複雑な曲ほど頻繁な転調や復調のために移動ド読みが困難になるからです。
現在のピアノ教授法は移動ド読みが困難であるか、あるいは不可能という理由で調性音楽も無調の音楽もありとあらゆる音楽を固定ド読みで指導するのが一般的です。幸か不幸か、自ら音程を作らなくてもキーを叩けば即座に目的の音が出るというピアノの特性が固定ド読み鍵盤楽器教授法を支援する要因の一つとなってきました。現在の教授法は生徒が絶対音感を持っていても持っていなくても、そんなことはおかまいなし、押しなべて固定ド読みで行われることが多いのです。
イコール式はこれに警鐘をならし、相対音感によるハ長調とイ短調限定の鍵盤楽器教授法によって音楽の構造を理解することが最初の近道であることを提唱するものです。

ピアニスト

1737年、バッハ52歳の時、進歩的な音楽雑誌の最新号はバッハを猛攻撃する記事を掲載しました。それはバッハ批判で有名な新進の音楽評論家シャイベが書いたものでした。シャイベは、バッハの手の込んだバロック風な作風を古臭い音楽として排斥し、もっと単純で分りやすい音楽を求める若い世代の美学を代表する音楽雑誌の編集者でもありました。彼がバッハのことを皮肉を込めて「優れた楽士」と書いたのです。音楽雑誌に書かれたバッハ批判の中で、バッハにとって最も侮辱的だたのは「楽士」という言葉でした。

この「楽士」という言葉に対してバッハ擁護派のライプツッヒ大学講師ビルンバウムが猛反撃に出ました。その内容についてはバッハ・アルヒーフ所長そしてハーヴァード大学教授のヴォルフの著書から引用させていただくとビルンバウムの反撃はおよそ次のようなものでした。「楽士と言う語は一般に、専ら音楽の実践と言う一形態しか主要な業績がない人々に用いられる語であり、そういう人々は他の人々が書いた作品を楽器によって音にするという目的のために雇われる。実際、この種の人々すべてに使われることすらなく、通常最も身分の低い人々だけがこう呼ばれる。従って、楽士は酒場のヴァイオリン弾きと大差がないのである」

ビルンバウムはバッハが「他の人々が書いたものを楽器によって音にする」ところの楽士ではなく、自ら作曲する音楽学者であると同時に最も偉大なオルガン奏者であり、クラヴィーア奏者であると言いたかったのです。
この音楽雑誌から分るように、バッハの時代は自ら作曲しない器楽奏者を楽士という侮辱的な言葉で呼んでいました。現在はどうでしょうか?ピアニストは主として他人が作曲した名曲を演奏するばかりで、自作の曲を演奏することは非常に稀なことです。今ではピアニストの殆どが楽士のようになってしまったかに見えます。これを画家の世界に置き換えるとどうなるでしょうか。他人が描いた絵を寸分違わず上手に写す行為は贋作ということになります。どんなに本物らしく描いてもそこにある感情や意図は原作者のものであって、贋作者のものではありません。ピアニストも全く同じことです。

シャイベをはじめ若い音楽家たちを中心とする時代の風潮が、もっと分りやすい旋律的なものに向かっている時代にバッハはフーガを書き続けました。バッハがいっさいの音楽の最初にして最後であるということを世の人々が知るのはずっと後になってからのことです。フーガ芸術が古臭いと考えられて新しい音楽の道を歩み始めた時、フーガの楽匠は存在しなくなり、どのようにフーガを語ろうとももはやフーガの教師でしかなくなったのです。そしてその道はやがて指の故障でピアノが弾けなくなったシューマンの時代から作曲家と演奏家という二つの道に別れ、それはもう後戻りできない音楽の終焉に向かう道となったのです。

富田 庸

英国クィーンズ大学音楽学部の富田庸はバッハに関する気鋭の研究者です。
彼は英国リーズ大学で「平均律クラヴィーア曲集第2巻」の論文によって博士号を取得しました。
また、ヘンレ版「平均律クラヴィーア曲集第2巻」の最新の校訂者として世界中の音楽家から注目されている研究者です。

富田庸は論文の中で、バッハが「平均律クラヴィーア曲集」を編集する際に移調したと思われる曲が幾つかあると述べています。バッハ全集 第12巻 (P.77)

富田庸は「ロンドン自筆譜の記譜中に同時に移調を試みたと考えられる根拠が修正箇所に見られるもの」として第2巻だけで8つのプレリュードやフーガを上げています。
バッハが移調したと見られる曲は編集第2段階の遠隔調に多く存在します。

2巻No.3 Cis: Fuga (C:の初期稿から移調)
  No.7 Es: Fuga (D:から)
  No.8 dis: Praeludium (e:から)
  No.8 dis: Fuga (d:から)
No.13 Fis: Fuga(F:から)
  No.17 As: Fuga (F:から)
  No.22 b: Praeludium (a:から)
  No.23 H: Fuga (C:から)
      
バッハは《平均律クラヴィーア曲集》を順番通り一気に完成させたのではありません。
草稿を発展拡張して編集し、それを浄書しながらも更なる改訂の手を何度も加えるという過程を経て書かれたものです。
更に出来上がった曲を弟子に教える時にもまた改訂の手を加え、それを弟子が写して持ってきた楽譜に書き込みました。
都合の悪いことにバッハは、レッスン中の改訂を、家に帰って自筆譜に書き改めることを怠っていました。
そのためいくつかの改訂稿が存在します。
バッハは生涯にわたって、文章を推敲するように、機会あるごとに改訂の手を加え続けたのです。
このように複雑な成立過程を経る中で、バッハは草稿を移調するという改訂も行いました。
バッハの手になる移調は、当時ほとんど使われなかった難しい調つまり遠隔調を作る一つの手段であったことが、富田庸の研究から明らかになったわけです。

ここで平均律クラヴィーア曲集第2巻の3番 嬰ハ長調フーガを例にとって考えてみましょう。
このフーガは初期ヴァージョンでは、一番基礎的なハ長調で書かれており、わずか19小節しかありませんでした。(  《平均律クラヴィーア曲集第2巻》  ベーレンライター P358参照)
またアグリーコラの筆写譜では、同じくハ長調ですが、30小節に増えています(同P352参照)
通常私たちが演奏しているものは、さらに増えて35小節です。これは32分音符の挿入により曲の終わりに向かって緊張感のあるものに作り変えたものです。小節数もさることながら、最も大きな改訂は半音上げて嬰ハ長調に移調したことです。

嬰ハ長調はシャープが7個もつく遠隔調であり、バッハの全作品の中でも《平均律クラヴィーア曲集》でしか使われていません。当時嬰ハ長調はよく知られておらず、バッハも最初から嬰ハ長調で作曲したとは考え難いのです。作曲家に聞けば先にハ長調で作曲してから移調したに違いないと言うことでしょう。

今私たちが嬰ハ長調フーガをハ長調で弾いたらバッハは何と言うでしょうか。
「半音低くて気持ち悪い」と今日の絶対音感者のようなことをバッハが言うでしょうか。
否、バッハは、調やピッチが変わっても音楽の生命は変わらないと言うことでしょう。
何故ならバッハ自身がハ長調で演奏した証拠の早期稿が現存するからです。

バッハの時代は絶対音感という概念が無く、楽譜に書かれている音とピッチの関係は絶対的なものではありませんでした。
例えばバッハはコーアトーンより、かなり高いピッチで調律されたオルガンでも見事に弾きこなしました。
もし、バッハが絶対音感で音楽を捕らえていたらピッチの違うオルガンで演奏することはできなかったはずです。

またバッハはカンタータ演奏の際、管弦楽や合唱と高すぎるオルガンのピッチをそろえるために、オルガンパートだけ低い調に移調しました。
もし、バッハが調性格にこだわっていたなら、オルガンパートを移調することはできなかったでしょう。
なぜなら、当時のオルガンは非平均律であり、調を変えれば、主和音の響きも何もかも変わってしまうのですから。

バッハの時代のピッチは町によってさまざまでしたし、一般に現在のピッチより約半音低かったとされています。
それならば、現在の半音高いピッチで弾くハ長調は、丁度バッハの時代の嬰ハ長調と同じピッチになるわけです。

このように調やピッチといったものは誠に不確実なものです。イコール式は不確実なものにこだわる愚を排します。ハ長調とイ短調の基本調に移調して音楽を正しく理解することの方がよほど大切です。イコール式音楽研究所はすべての調を絶対音感式固定ドで読む今日の鍵盤楽器教授法に警鐘を鳴らし、相対音感を大切にする教授法のひとつとしてハ長調とイ短調に限定したイコール式を提唱しています。
 



     

自筆譜

「平均律クラヴィーア曲集 第1巻」の自筆譜はベルリン国立図書館に大切に保管されていますが、紙やインクの腐食のため存続の危機に瀕していました。ゲッティンゲンのバッハ研究所から小林義武が自筆譜の調査に出向いた時、穴だらけの資料を渡され開いてみると記入箇所がさらにこぼれ落ちそうになったため、即座に返却し修復の措置を取るように図書館側に伝えたことが何度かあったそうです。修復方法は紙面の表面と裏面をはがし、その間に新しい紙を1枚挿入して再び張り合わせるという方法です。この方法によって「平均律クラヴィーア曲集 第1巻」の自筆譜は紙が厚くなり強化修復されました。

「平均律クラヴィーア曲集第2巻」の自筆譜は祖国を離れロンドン大英博物館所有となっており、保存の状態はかなり良好ですが、不完全な形で残されています。このロンドン自筆譜は24曲中、3曲のプレリュードとフーガ(嬰ハ短調、ニ長調、ヘ短調)が欠けており表紙も消失しています。
従って正確に言うと「平均律クラヴィーア曲集第2巻」という表題はバッハがつけたものではないことになります。現存する筆写譜の中にバッハの弟子で娘婿でもあるアルトニコルの手によるものがあります。これは研究者たちがバッハの意図も反映しており最終稿に相応しいと見なしているものですが、その表紙に「平均律クラヴィーア曲集第2巻、すべての全音と半音を用いたプレリュードとフーガ集。ポーランド国王兼ザクセン選帝侯宮廷作曲家、楽長、ライプツィヒ合唱音楽隊監督ヨハン・セバスティアン・バッハがこれを作曲す」とあります。これによって私たちは「平均律クラヴィーア曲集第2巻」と呼ぶことになったのです。第2巻はバッハの肩書きや「全音と半音」という表現が第1巻のそれとは異なっています。

第2巻は第1巻のように完全な形の自筆浄書譜が残っていません。欠けた3曲は信頼のおける弟子たちが書き写した「もう一つの失われた自筆譜」によって完成しています。弟子のアルトニコルやキルンバルガーの筆写本にはバッハが更に改訂の手を加えているので信頼できる資料と言えるのです。第2巻の自筆譜は次の3つのグループを成しています。第1のグループは調号が4つまでで比較的簡単な調が12曲入ったもの、第2のグループは調号の多い難しい調が7曲入ったもの、第3のグループはハ長調と変イ長調の2曲、そして最後に欠けている3曲です。
        
バッハ定例会
第1日曜日 15:00 PM
第2金曜日 10:00 AM
第4土曜日 10:00 AM

第4回バッハ礼讃音楽会
日時:2017年7月30日(日)
場所:山口県旧県会議事堂

富田庸講演会&公開レッスン
日時:2017年9月9日〜10日
場所:山口大学
大学会館1階大ホール
お問い合わせはこちら

<プロフィール>
鍵盤楽器の
新しい記譜法
「イコール式」を提唱

子供の頃、父と一緒に、バッハのフーガをピアノ分担奏で弾くことによって、声部進行を直感的に学び取った。爾来バッハの鍵盤作品の
とりこになった。

延べ400人の生徒のレッスンを通して、バッハのフーガを弾くことが音楽力を向上させる最も有効な手段であることを再認識した。
移調によって難易度を下げることで、ピアノの初心者も《平均律クラヴィーア曲集》に親しむことができる。

イコール式とは「鍵盤楽器においてどの調も皆同じ」という意味です。
なぜなら12等分平均律の鍵盤楽器における調性とは、ただ高さのみによって識別される2つの旋法、すなわち長調と短調の性格だけに限られるからです。
12等分平均律は勿論のこと、不等分音律を前提に論じたマッテゾンでさえも調性格の恣意性を指摘しています。
異名同音、ピッチの変動、バッハの手による移調の試みなどを考慮すれば、《バッハ平均律クラヴィーア曲集》の元調にこだわる必要は無くなります。簡単な調に移調して、まず親しむ方が大切なことです。
やわらかなバッハの会は既成概念にとらわれず、自分自身の判断で音楽の本質を探究するところです。
橋本絹代 著  『やわらかなバッハ』 春秋社
橋本絹代 編著 《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》


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音楽の構造が良く解る










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<イコール式の意味>
*12等分平均律の鍵盤楽器においてはどの調も同じ(イコール)です *フーガの各声部は主従関係ではなく対等(イコール)です *12等分平均律の調律法はイコール・テンペラメントと言います *音名と階名が同じ(イコール)読み方です
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