やわらかなバッハの会 The Society of Soft Bach

先入観念にとらわれることなく、バッハの音楽に親しむ会です。
イコール式音楽研究所  所長  橋本絹代
Equal Method Music Institute President Kinuyo Hashimoto

2007年05月

Bach の象徴14

バッハは数の象徴による数学的な計画を音楽のなかに織り込みました。
数の象徴とは例えば以下のようなものを言います。
3=三位一体
5=5本の指、人間
6=天地創造にかかった日数
7=安息日、聖なる
10=十戒
11=律法の拒否、11人の弟子
12=信徒、教会
13=ユダが裏切ろうとしていた時食卓には13人いたことから罪と災い
14=バッハ

14がバッハ(Bach)になるのは漢字の画数を足して総画が14になるというのに似た考え方です。ローマ字に画数があるのは変ですが、AからZまでの26文字を1から順に番号を付けていき、最後のZが24になります。ローマ字は26文字あるので、IとJは両方とも9画、UとVは両方とも20画と数えて最後のZが24画になるように帳尻を合わせます。この方法でバッハ=BACHを数えると、B=2,A=1,C=3,H=8ですから合計すると14ということになるのです。

バッハの代表作である《平均律クラヴィーア曲集》に網羅されている理論上考えられるすべての調の数は24、ローマ字による画数も24と共通しています。

また、バッハは《平均律クラヴィーア曲集》の最初のフーガを14個の音符からなる主題(1巻1番
C−Dur フーガの主題)で開始することによって第1巻の頭に自分の印章を押しました。実際の印章にもバッハは14粒の真珠を使っていました。

「イギリス組曲」「フランス組曲」「パルティータ」などは神が天地を創造したまいし6日間に敬意を表すためにそれぞれ6曲がセットになっています。

コラール前奏曲「これぞ聖なる十戒」では主題を10回登場させています。

またバッハは意味のある数字をたしたりかけたりした数字も象徴として用いました。
例えば21は「聖なる7」の3倍した数ということで「聖なる」という言葉を3回繰り返すという意味になります。
《平均律クラヴィーア曲集》の1巻24番、2巻1番、2巻24番といったけじめのフーガを7×3=21個の「聖なる聖なる聖なる」音符で構成した主題で結んでいます。
さらにある音楽が64小節で作られている場合は Kyrie(10+23+17+9+5=64)であるなど 、音楽の小節数と聖書の何章何節との関連や詩編の番号との関連による数の象徴は果てしなく続きます。

数の象徴の歴史についてはシュミット著『聖書における数』、エンドレス著『数の神秘と魔術』、ヤンゼン著『バッハ数の象徴』、フェルトマン著『数の神秘』、スメント著『バッハその名の呼びかた』『ルターとバッハ』、タトロー著『バッハの暗号 数と創造の秘密』などに詳しく述べられています。

ニッセンはバッハ年鑑(1951年)に書いた論文のなかで、バッハが平均律クラヴィーア曲集を「神の聖霊と天地創造で始まり、死せるキリストの復活で終わるキリスト教の世界のドラマを音楽で描いたもの」にするつもりであったと主張しました。

数の象徴がバッハの音楽に対してどの程度本質的なかかわりを持つかは研究者の意見が分かれるところですが、スメントらによって新たな研究分野が開かれたことは確かです。しかし数の象徴というものがあまりに際限なく広がってしまったために単なる「こじつけ」と見なす研究者もいます。例えばバッハ研究所に勤めたこともあるヴェントは「バッハと13」という挑戦的な題名の論文で何でもこじつけられるということを証明しようとしました。

2巻 嬰ハ長調 フーガ

バッハが自ら移調した作品のひとつである平均律クラヴィーア曲集2巻の3番嬰ハ長調フーガを見てみましょう。
バッハは#7個もの調号をもつ嬰ハ長調を平均律クラヴィーア曲集でだけ使用しました。
当時の調性格論者マッテゾン(1681生)は嬰ハ長調を「その効果がまだあまり知られていない」調に数えています。

このフーガはバロック音楽特有の高貴な華美に包まれていますが、その初期稿は素朴なハ長調フゲッタとして書かれたものです。(写真)
バッハは19小節しかないフゲッタを35小節に拡大し、トッカータ風の処理など大幅な手直しを加え、ハ長調を嬰ハ長調に移調して収録しました。初期稿
平均律クラヴィーア曲集は全曲が一度に書き下ろされたものではなく、折にふれて書かれたプレリューとトフーガを改作して編纂したものです。編纂時に移調されたと思われるものを以下にあげてみましょう。移調は調号の#♭が多いものから少ないものへ行われています。

1巻8番 変ホ短調フーガは 二短調から移調、2巻7番 変ホ長調フーガは ニ長調フゲッタから、2巻8番 嬰ニ短調は ニ短調から、2巻17番 変イ長調フーガは ヘ長調フゲッタから、2巻18番 嬰ト短調はト短調から移調されました。

平均律クラヴィーア曲集の中で音楽史上初めて用いられた調も幾つかありますが、そこで表現されている気分も従来になかった新しいものということはできません。
バッハは調性格の確立に重点を置いたのではなく、24すべての調を踏破することが「平均律クラヴィーア曲集」の目的でした。

バッハは移調によって音楽の本質が破壊されるとは考えていなかったのです。
イコール式で移調した楽譜も音楽の本質を破壊するものではありません。特に平均律でもって演奏する場合には全く利に適っていると言えます。
イコール式移調で音楽を相対音感的に学ぶことは良い耳を育てる最良の方法です。

ピッチの歴史

ピッチとは音高のこと。
オーケストラがチューニングする時にA音のピッチが440であるとか442であると言う使いかたをします。

ピッチに関する最古の説明書は中全音律の体系を初めて記述したアーロン(1480生)によるものです。1523 年の著作「音楽におけるトスカーナ人」の中で、ハープシコードの調律に関して「最初のC音を任意のピッチに置いてよい」と教えています。

また、最古のヴィオラ・ダ・ガンバ教則本を書いたガナッシ(1492生)はその本の中で「声とヴィオラ・ダ・ガンバのピッチは作品や演奏能力に合わせて自由に変えて良い」と明言し「美的に理想と思われるピッチより半音高くして危険を冒すよりも、理想よりも全音低いピッチを選んだ方が良い」と主調しました。

無秩序なピッチの時代を経てバッハの時代は町ごとに違うピッチが存在し、オルガンは高いピッチが多く、聖歌隊は歌うことが楽な低いピッチが多いという状態でした。
バッハがハンブルクで弾いたオルガンは、彼がドレスデンで弾いたオルガンよりほぼ短3度高く調律されていましたが、ピッチを揃えるために移調したという可能性は考えられません。
なぜなら、当時のオルガンはウルフ5度を持つ調律であったので移調することはできなかったからです。
バッハはハ長調の曲を変ホ長調のピッチで演奏したことになります。

記譜された音とピッチを厳密に一致させるという概念は当時の音楽家には無縁のものでした。
18世紀以前にはピッチそのものを指す特別な用語さえ存在しなかったのです。

不等分音律の時代に多くの理論家が異なる調の性格について論じましたが、特定のピッチとの結びつきを主張したものはありません。
調の性格を決定するのはピッチではなく、その調に固有の音程の違いだからです。

プレトーリウスの計測を元に研究された1500年〜1850年のピッチはA音が360〜510となっています。これは標準音A=440の場合、ほぼF〜Hに当るピッチが存在した
ことになります。

1850年以降、平均律や絶対音感という考え方の発展と共に正確なピッチの基準を維持し得ると考えられるようになりました。
1858年パリでは政府の委員会が標準音A=435という結論を出し、1939年の国際会議においてA=440の採用が決定されました。

ピッチを歴史的に見てくると音楽の本質と無関係であることが分ります。
18世紀は現在より約半音低いピッチであったと言われますのでバッハの時代のロ長調は現在のピッチではハ長調になってしまうわけです。
イコール式は意味のないピッチにはこだわりません。
音楽の本質はピッチと無関係です。
大切なことはピッチではなく相対音感によって音楽の構造を理解することです。

ざる教授法

ビルロート(1829生)はブラームスとの往復書簡で知られているドイツの外科医です。彼はホームコンサートで自らヴィオラを受け持ってブラームスの室内楽曲を演奏するなど音楽に造詣が深い人物でした。これから紹介する話は彼の著書「音楽的なのは誰か」から引用したものですが、この話はピアノ教授法のあり方に対する問題の核心をつくものです。

**ピアノを習っている少女はモーツァルトの曲を家で3週間も練習してから、先生に見てもらうためにレッスンに出掛けました。遅刻したので先生はピアノを弾いていました。少女は暫くその演奏に耳を傾けてから訊ねたのでした。「先生の弾いておらた曲は何ですか?」先生は驚いて「これは今日あなたがレッスンに持って来た曲ではありませんか」と答えました。少女はレッスンが始まると、その曲を上手に弾いたということです。**

実を言うとこの少女と同じ生徒は日本にも外国にも沢山いるのです。過去に仕上げた曲や、現に今さらっている曲なのに、楽譜を目で確認しなければその曲と分らない少女は多いのです。

なぜ、このような現象が起きるのかというと、音楽を指の感覚や楽譜写真の記憶として経験しているからなのです。それは音楽を耳や頭の中に持ち合わせないことを証明しています。指は耳や頭が命ずることをやらなければならないはずなのに、頭は真っ白で指の感覚に任せて弾くのは間違っています。このような少女は演奏会が近付くと暗譜が不安で恐怖心に苛まれます。一旦ステージで止まってしまうと、頭は真っ白、指は感覚を失い次の音を探す手がかりを失ってしまいます。

ビューロー(1830生、ドイツの指揮者、ピアニスト)は「歌えない人は---声の良し悪しにかかわらず---ピアノも弾くべきではない」と言っていますが、これは内的音感覚の大切さをのべたものです。内的音感覚で音楽を捉えその記憶でピアノで演奏することの大切さを述べたものです。ビルロートが描いた少女の先生も、ビューローが言うように内的音感覚を伸ばし、その記憶で音楽を演奏させる教授法に変えて欲しいものです。内的音感覚があれば楽譜を写真として記憶するのではなく、音として記憶することが可能です。内的音感覚をないがしろにした教授法は、糸の端に玉止めをしないで、針を進めるようなものです。どんなに上手に速く針を進めて縫っても、永久に着物はでき上がらないのです。生徒に沢山の曲を教えても、指の感覚が覚えているだけで、頭の中はカラッポのままのザル教授法となってしまいます。ザル教授法を防ぐ玉止めは内的音感覚です。内的音感覚を成長させる最も良い方法は相対音感でもって教授することです。イコール式は正にこの点を改良すべく考案したものです。

例えばモーツァルトのピアノソナタ K331 イ長調の冒頭部分「Cis-D-Cis-E--E」はイコール式の楽譜では「E-F-E-G--G]となります。従来の楽譜をそのまま固定ドで読むと音の機能が分らず、単に弾くべき鍵盤を指定するのみですから、内的音感覚の成長は望めません。これを移動ドで読めば、音の機能は分かりますが、弾くべき鍵盤と階名が食い違うという混乱が起こります。それ以前に移動ドに読み替えるのは大変難しい壁があります。イコール式の楽譜は読み替えを無くしました。しかも音の機能が理解できて、弾くべき鍵盤との間に混乱が生じません。絶対音感を持つ人も、持たない人も両方とも内的聴覚を伸ばすためには相対音感による読み方が必要です。

現状のピアノ教授法は、絶対音感を基準にした読み方で行われていることが大きな問題です。幼少期に絶対音感教育と無縁であった人、つまり相対音感保持者対しても、絶対音感教授法を用いるのは更に大きな問題です。現状のピアノ教育は「移動ド」に読み替えるのが難しい、固定ドが便利という安易な理由だけで音楽の根幹に関わることがおろそかにされています。

イコール式はこのことに警鐘を鳴らし内的音感覚を成長させることを目指した教授法です。イコール式はすべての音楽をハ長調とイ短調で記譜する方法です。イコール式は単に移動ド読みの難しさを取り除いただけではなく、読んだ音と弾くべき鍵盤が一致する方法です。従来の移動ド読みでは階名と弾くべき鍵盤名が食い違うという混乱がありましたがこれを解消しました。ハ長調とイ短調だけが相対音感保持者のみならず絶対音感保持者の耳にも無理なく受け入れることができる調です。





絶対音感

絶対音感とは先行するいかなる音も参考とすることなく、ある音の高さを言い当てる、あるいはその高さの音を出す能力を言います。
一口に絶対音感といっても、ジェット機の爆音、鐘の音、鳥の鳴き声までも識別できる人間周波数測定器のような能力から、特に親しんでいる楽器や特定の音域に関してのみ識別能力を示すものまで様々な段階があります。

そもそも絶対音感という概念は世界中のピアノが12等分平均律になった後に、この調律法のピアノによって作られたものです。ですから19世紀末頃からの概念です。
aを440Hzとするとg は395Hz(小数点以下四捨五入)になりますが、これは12等分平均律の場合に限ります。
同じg 音でもピュタゴラス音律ならば391Hz, 中全音律ならば394Hzです。ですから標準音aが440Hzの場合の395Hz だけがg音であるとは言えないのです。
また歴史的にみても標準音は変化しており、最近のオーテケストラの標準音は 440Hz より上昇傾向にあります。その場合いったい何Hzをもってg の音だというのでしょうか。
また、何Hz から何Hzまでがgis音 でなくg音 に留まると言い得るのでしょうか。甚だ疑問であります。

もともと音楽は祈りとして発祥しました。まだ楽譜という記譜法がなかった頃、記憶に頼って伝承されたフレーズは自由な高さで歌われました。やがて記譜法が発明され、音楽が目で見えるようになりました。しかし楽譜に書かれた音と実際の音高の関係は全く自由なものでした。音高とは歌手の歌いやすい音域という意味でした。
バッハの時代になると一応の標準音というものがありました。しかし標準音といっても町ごとに違っているものでした。
作曲家たちは音高にはさほど関心を払いませんでした。音高に音楽の生命があるわけではないからです。

私たちが歌を歌う時、楽譜と違う高さで歌ったとしても、移調して歌ったとしても音楽そのものには何の変化も起こりません。シューベルトの歌曲集は上声用、中声用、低声用と3種類の異なる調で出版されていることは皆様ご存知のことと思います。カラオケを歌うときも、私たちは歌いやすいキーに変えて歌います。

昨今の日本では絶対音感を持っていることがプロの必須条件であるかのように誤解されていますが、これは音楽を破滅に導く愚かな考えです。絶対音感は音楽の生命と全く無縁であるばかりか、絶対音感が音楽をする上で邪魔になることも多いのです。音楽にとって重要なものは絶対音感ではなく相対音感です。相対音感を伸ばすことが音楽力を伸ばすことなのです。
もし不幸にして幼少時に絶対音感教育を受けさせられた人は、本当はハ長調とイ短調の曲しか弾いてはならないのです。
なぜならハ長調とイ短調だけは、固定ドで読んでも移動ドで読んでも、シラブルが同じだからです。
イコール式はすべてをハ長調とイ短調の2モードで記譜しますから、絶対音感者も相対音感者も使えるようになっています。
『イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集』を使って全曲制覇を試みることは真の音楽力を伸ばす近道です。
やわらかなバッハの会
〒753-0072 山口県山口市大手町
3−6 大手町ビル4F
毎週土曜日 輪奏会17:00 PM
第2金曜日 輪読会10:00 AM
毎月1回   対話集会17:00 PM
都合により日時を変更する場合もありますので初めての方は事前にご連絡ください

お問い合わせはこちら

<プロフィール>
やわらかなバッハの会 
会長 橋本絹代
新しい鍵盤楽器記譜法「イコール式」の創始者

子供の頃、父と一緒に、バッハのフーガをピアノ分担奏で弾くことによって、声部進行を直感的に学び取り
バッハのとりこになった。
これまで約400人のピアノレッスンを通じて、バッハのフーガを弾くことの重要性を認識し、初級者でもバッハ演奏を楽む方法を提案。

2007年 世界で初めての楽譜《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》カワイ出版 

2009年 音楽書『やわらかなバッハ』春秋社

2013年「やわらかなバッハの会」設立

2014年 バッハ礼讃音楽会 (於 旧県会議事堂) 毎年開催

2016年 バッハ・イン・ザ・サブウェイズ (於 新山口駅南北自由通路 )毎年開催

2017年 Bach Network UK 対話会議研究発表 (於 ケンブリッジ大学)

Prof.Yo Yomita (富田庸) 講演会「バッハを嗜む」主催 (於 山口大学)

イコール式とは「鍵盤楽器においてどの調も皆同じ」という意味です。
なぜなら12等分平均律の鍵盤楽器における調性とは、ただ高さのみによって識別される2つの旋法、すなわち長調と短調の性格だけに限られるからです。
12等分平均律は勿論のこと、不等分音律を前提に論じたマッテゾンでさえも調性格の恣意性を指摘しています。
異名同音、ピッチの変動、バッハの手による移調の試みなどを考慮すれば、《バッハ平均律クラヴィーア曲集》の中の難しい調を簡単な調に移調してまず親しむことが大切です。初級者は更にそれをアンサンブルで楽しむことが大切です。
やわらかなバッハの会は既成概念にとらわれず、自分自身の判断で音楽の本質を探究するところです。


世界唯一! 平均律クラヴィーア曲集の移調
音楽の構造が良く解る










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<イコール式の意味>
*12等分平均律の鍵盤楽器においてはどの調も同じ(イコール)です *フーガの各声部は主従関係ではなく対等(イコール)です *12等分平均律の調律法はイコール・テンペラメントと言います *音名と階名が同じ(イコール)読み方です
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