やわらかなバッハの会 The Society of Soft Bach

先入観念にとらわれることなく、バッハの音楽に親しむ会です。
イコール式音楽研究所  所長  橋本絹代
Equal Method Music Institute President Kinuyo Hashimoto

調性格からの開放

バッハの《平均律クラヴィーア曲集》は史上初めて,理論上考えられる24すべての調を踏破した記念碑的作品です。
そしてこの作品は単に24の調で書かれただけでなく、深い宗教性をtたたえています。
その宗教性はキリスト教の枠を超えて万教帰一の宗教性をもつ故に、バッハの《平均律クラヴィーア曲集》はあらゆる宗派の人々から受け入れられています。
バッハは《平均律クラヴィーア曲集》に理論上考えられる24すべての調を網羅しましたが、24の調に対してそれぞれ個別の調性格を与えたのでしょうか。

《平均律クラヴィーア曲集》はプレリュードとフーガのペアが24セット入っており、第1巻と第2巻があります。ですから別名《48のプレリュードとフーガ》とも言います。
これから調性格を考えていくわけですが、今回は「ロ短調」を例にとって考えてみましょう。曲集はハ長調ーハ短調ー嬰ハ長調ー嬰ハ短調と長短交互に半音づつ上昇する順番で編集されていますので、「ロ短調」は両巻の一番最後を締めくくる24番です。また「ロ短調」はバッハが好んだ特別な調とも言われています。果たしてバッハは曲集の最後を飾る「ロ短調」にどのような調性格を与えたのでしょうか。

まず最初に「ロ短調」について、調性格論者の代表的な見解を調べてみましょう。、
マッテゾンは「奇怪で不快、メランコリック、めったに用いられない、このような性格が修道院から排斥される原因になった」と述べています。
シューバルトは「いわば忍耐の調、静かに己の運命を待つ、そして神の摂理への服従の調である。この嘆きはとても穏やかな嘆きであって、侮辱するような苦言を呈したり、すすり泣きを始めるようなことはない。この調の使用は、どのような楽器においてもかなり難しいため、この調で作曲された楽曲はあまりない」と述べました。
(『やわらかなバッハ』 橋本絹代 著 P.43 ,49 より)

次に、《平均律クラヴィーア曲集》の中の「ロ短調」で書かれた曲を調べてみましょう。
*第1巻24番プレリュード・・・・・ギャラントなトリオソナタです。歩き続けるバスの上を2つの旋律が模倣的に進行  し、穏やかで夢のように美しい曲です。

*第1巻24番フーガ・・・・・・・・・《平均律クラヴィーア曲集》全体の総締めくくりと言える傑作です。主題は12の半 音をすべて含み、当時としては非常に大胆なものです。12音技法の確立者シェーンベルクはこの曲によってバッ ハを「最初の12音音楽家」と位置づけました。しか しこのフーガは中庸であり、非常に崇高なポリフォニーです。

*第2巻24番プレリュード・・・・・最後を飾るほどの力作ではなく、軽い戯れのような2声インヴェンションです。

*第2巻24番フーガ・・・・・・・・・・気楽なフゲッタです。陽気でユーモアに富む軽快なフーガです。

どうでしょうか。一見して第2巻よりも第1巻の方が最後を飾るにふさわしい大曲だとわかりますが、「バッハのロ短調はすべてこうだ」と言えるような共通した性格を見出すことができますか。バッハと同時代に生きたマッテゾンの見解にある「奇怪で不快」な曲がありますか。また「修道院から排斥される調というほど非宗教的な曲がありますか。反対に非常に美しく宗教的ではないでしょうか。(特に第1巻)。第1巻の「ロ短調」の曲想はむしろシューバルトの見解に近いと言えますが、第2巻に見られる「軽い戯れ」や「陽気で軽快」といった性格はマッテゾンともシューバルトとも一致しません。結局バッハはマッテゾンと正反対の「ロ短調」を書き、シューバルトと一部分だけ一致した「ロ短調」を書いたと言えるでしょう。もっともシューバルトの調性格論はバッハの死後の1789年に発表されたので、逆にシューバルトの方がバッハの影響を受けているかもしれませんね。そのように考えると結論としてバッハの「ロ短調」は調性各論者の意見と全く不一致であると言えます。

以上で「ロ短調」の性格に普遍性が無いことがわかりましたが、これは当然といえば当然であります。なぜなら富田庸の研究により、第1巻24番ロ短調フーガはハ短調から移調された形跡があることがわかったからです。(富田庸 『鈴木雅明CD解説』 参照)
また《平均律クラヴィーア曲集》以外のバッハ作品にも移調されて「ロ短調」になった曲があるようです。
例えばシューレンバーグは「バッハの《 ロ短調ミサ曲》のキリエ、BWV 1030 の《フルート・ソナタ ロ短調》のいずれも初期稿は他の調で書かれていた可能性がある」と述べています。(『バッハの鍵盤音楽』 シューレンバーグ著 P.341 より)

バッハは理論上考えられる24すべての調を踏破するという目的で《平均律クラヴィーア曲集》を編集しました。当時の主流はミーントーン調律でしたので、せいぜいシャープフラット3、4個の範囲でしか作曲できず、24もの調に挑戦するのは大冒険でした。バッハは24の調が演奏できるように絶妙な音律を自ら作り出し、その音律で《平均律クラヴィーア曲集》を演奏しました。その時バッハは24の調を演奏可能にする音律は固有の調性格をほとんど持ち得ないことを確信したことでしょう。もはや調とは音高の違いに過ぎず、調性格は音楽家の迷信であると確信したことでしょう。弦や管や声楽においては奏者の意思で微妙な音程を作ることが可能です。しかし24の調が弾けるように調律された鍵盤楽器においては調性格と言えるほどの差は存在し得ません。つまりバッハ独自の音律は限りなく12等分平均律に近づかざるを得ないのです。従ってバッハが《平均律クラヴィーア曲集》において「ロ短調」の調性格を確立しようとしたのではなく、24の調性格の確立を目的としたのでもありません。

その証拠に、バッハは《平均律クラヴィーア曲集》を編集する際、よく使われる調から半音上げ下げして多くの遠隔調の曲を作りました。つまり遠隔調の曲はよく使われる調で作曲された後、移調によって完成されたものです。バッハにとって移調は日常茶飯事でした。むしろバッハは《平均律クラヴィーア曲集》によって調性格という迷信を開放したといっても過言ではありません。

調は決して「音楽の生命」を限るものではありません。調は「音楽の生命」の認識の形式に過ぎず、「音楽の生命」が主であって調は従なのです。楽譜の上に投影されたる「音楽の生命」の放射せる観念の影絵、これを称して調性格というのです。調性格は本来無にして性格無く力もないのです。これに性格があり、また「音楽の生命」を支配する力あるかのごとき感を呈するのは[[「音楽の生命」が認識の形式を通過する際に起こしたる妄信に過ぎません。私たちはこの妄信に捉われることなく「音楽の生命」を正観しなければなりません。

バッハの音楽は調を超えた「音楽の生命」に真髄があり、それがキリスト教を超えたすべての宗教の真髄なのです。これが宗派を超えてバッハの音楽が受容されている要因なのです。
バッハの代表作である《平均律クラヴィーア曲集》は調性格からの開放、「音楽の生命」の真髄に他ならないのです。

このようなバッハの真の意図に反して、理論的根拠無き調性格を信奉し、オリジナルの調で弾くべきだと頑なに主張することがクラシック音楽界の常識とされています。現代は12等分平均律に調律された鍵盤楽器が世界を席捲し、調性格の根拠を示すことが不可能であるにもかかわらず、調性格を持ち出す指導者が後を絶ちません。恐らくバッハはこの状況を天国で嘆いていることでしょう。「調ではなく音楽の生命を正観せよ!」と。
今こそ「かたくななバッハ」から「やわらかなバッハ」への転換が必要な時なのです。
『イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集』 は全48曲をハ長調とイ短調に移調し、「音楽の生命」がより簡単に理解できるようにと考えて出版したものです。全48曲をイコール式で弾くことによって、音楽の真髄を体得し、「音楽の生命」すなわち「宇宙の法則」に触れ、円満光明なる世界に遊行されんことを。

クラムマー=ビューロー 60練習曲

クラムマー=ビューロー 60練習曲とは、チェルニー40番を終わったあとに使用するピアノ練習曲です。
この題名は、クラムマーが作曲した練習曲をビューローが編集したことに由来します。
クラムマー(1771〜1858)はドイツのピアニストで《84の練習曲 Op.50》を作曲しましたが、この中から60曲を選んで編集し、校訂の筆を加えたのがビューロー(1830〜94)というわけです。あの有名な言葉「バッハの平均律クラヴィーア曲集は旧訳聖書」を残したのはビューローです。彼はドイツの指揮者、ピアノ奏者、教育者、著述家として活躍しました。またリストの娘コジマと結婚したことでもよく知られています。

ビューローはこの練習曲を編集する際に、第7番の練習曲をニ長調から変ニ長調に移調しました。
彼は注意書きにこのように書きました。
「この曲は、原本ではニ長調なのであるが、編者の教授上の経験から考えると、原調では比較的効果がなく、変ニ長調に移調した方が有効であることを確信する。原調においては、手の小さい人の運指によどみないレガートを求めることは、冒頭2小節についても無理なのである」と。
(クラムマー=ビューロー 60練習曲、全音出版社、P. 19)

この注意書きを読む限り、ビューローは調性というものを単なる運指上の問題としか考えてなかったようですね。
もし、調の性格を言うならば、もとの調はニ長調で、移調後は変ニ長調ということで、シャープ系からフラット系への大胆な移調と言えます。

シャープ系のニ長調についてマッテゾンは「陽気で好戦的なもの、元気を鼓舞する〜」、シューバルトは「勝利、祝祭歌、天に向かって歓喜の声を上げる〜」、シリングは「力強いマーチ」、ミースは「輝き、フォーグラーは「派手な騒ぎ」・・・・etc. と述べています。

フラット系の変ニ長調についてマッテゾンは「嬰ヘ長調と同様に嬰ハ長調(変ニ長調)もその効果がまだあまり知られていない」、シューバルトは「やぶにらみのような調性、ゆがんだ幸福〜」、リューティーは「暗く、世間から離れた〜」、シュテファニーは「非人間的で超俗的で、気高い」・・・etc. と述べています。

大まかに言うとシャープ系は上昇気分、シャープ系は下降気分と言えるでしょう。
ビューローは変ニ長調に移調したのですが、異名同音調の嬰ハ長調でも鍵盤楽器においてはどちらも同じ鍵盤で弾くことになり、運指は変わりません。
バッハは《平均律クラヴィーア曲集》に変ニ長調を書かず、自筆譜はすべて嬰ハ長調で書きました。
リーマンはバッハの《平均律クラヴィーア曲集》の分析において「暑い盛夏の気分、この稲妻、瞬き、輝きは嬰ハ長調の精神から創出されたものである」と述べています。
変ニ長調と嬰ハ長調では同じ鍵盤を弾くにもかかわらず随分と異なる調性格を述べていますね。
調性格とは主として不等分音律において論じられるものですが、論者によって随分と異なる性格を述べていますから恣意的なものと云わざるを得ません。ましてや今日私たちが演奏する等分平均律においては何をか云わんやです。話が脱線してしまいました。

本論に戻って、ビューローは運指を変える目的で、ニ長調から変ニ長調に移調しました。なぜ異名同音調の嬰ハ長調にしなかったのでしょうか。嬰ハ長調でも運指の目的は達成できたはずです。
もしビューローが調の性格を多少でも認めていたならば、変ニ長調より嬰ハ長調(鍵盤上では同じ)に移調したはずです。まるで真逆のようなフラット系の変ニ長調への移調など到底考えられなかったはずです。
彼は調性を運指の問題としか考えておらず、嬰ハ長調はシャープが7つもつくから煩わしいと単純に避けたのではないでしょうか。

私たちは音楽を聴いて楽しむ時、「調は何か」などと考えません。
好きな歌を歌う時も、「元のキー(調)は何か」などとは考えません。
グレゴリオ聖歌がそうであったように、自分にとって歌い易い音域で歌おうとします。
音程を微調整できない鍵盤楽器を弾くときも、もとの調は何かなどと考える必要はないのです。
ビューローの言うように、調は単に運指上の問題でしかないのです。

したがってバッハの《平均律クラヴィーア曲集》も鍵盤楽器で演奏するからには、自分に合った調で弾けばよいのです。現代の私たち弾く鍵盤楽器は普通は平均律ですから調による性格の違いは皆無です。
移調によって変わるものは運指とピッチと楽譜づらの3つですが、これらはすべて音楽の本質とはかかわりのなりものばかりです。
ここでは詳しく述べませんが、《平均律クラヴィーア曲集》の成立過程をよく知ると、移調の源流はバッハにあるとすら言えるぐらいです。
(『やわらかなバッハ』 橋本絹代 著、 春秋社  参照)

ケンプやタチアナ・ニコラーエワといった超一流のピアニストは《平均律クラヴィーア曲集》を全曲、全調で弾く練習をしたそうです。
ハノンを全調で練習した人は多いでしょうが、平均律クラヴィーア曲集の中の何曲かだけでも、全調で練習したという人は少ないでしょう。
何ともレベルの高すぎる話ですが、せめて私たちは、《平均律クラヴィーア曲集》を基本調(ハ長調とイ短調)とオリジナルの調ぐらいではで弾けるようになりたいものですね。基本調で練習すれば、音楽の構造がすっきりと見えてきます。

平均律クラヴィーア曲集を全曲ハ長調とイ短調に移調した《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》でまずお弾きください。この曲集はデュル校訂のベーレンライター原典版をもとに移調したものです。
今の所、誤植は発見しておりません。
《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》を全曲お弾きになった富田庸氏からもご指摘はございませんでした。

クロル版にみる移調の試み

クロル版とはバッハの《平均律クラヴィーア曲集》をクロル (Franz Kroll 1820〜77)が編集・校訂したものです。1866年に「旧バッハ全集」第14巻としてブライトコップ社より出版されました。「新バッハ全集」が刊行されるまでの間、クロル版が最も権威ある《平均律クラヴィーア曲集》と認められていましたので、ブゾーニ、ビショフ、トーヴィなどの著名な校訂者たちは、皆クロル版をもとにして校訂しています。

クロル版の《平均律クラヴィーア曲集》の中には、クロルが異名同音の移調を試みた楽章がいくつかあります。それらは、第1巻8番のフーガ、第2巻3番のプレリュードとフーガ、第2巻8番のプレリュードとフーガです。これらの楽章は、クロルによって移調されたために、バッハの自筆譜と違う調になっています。なぜ移調したのでしょうか?
今回は《平均律クラヴィーア曲集》 第1巻8番のフーガを取り上げます。

バッハの自筆譜では、このフーガは嬰ニ短調ですが、クロル版では変ホ短調に移調されています。
バッハの嬰ニ短調はシャープ系、クロルの変ホ短調はフラット系です。
異名同音とはいえ、シャープが鋭く上昇する、フラットが穏やかに下降するというイメージで捉えると、バッハとクロルの譜面づらは相当イメージが異なってきます。
もし、クロルが本来嬰ニ短調で書かれたフーガを変ホ短調に移調することによって、音楽に重大な問題が起こると考えたら校訂者として移調を試みることはなかったはずです。
クロルは嬰ニ短調と変ホ短調は同じと考えたから移調したのです。

実はこの二つの調が同じと考えたのは、クロルよりバッハの方が先なのです。
なぜなら、第1巻8番のプレリュードとフーガのセットは全48曲中の例外で、プレリュードとフーガが同じ調ではないからです。バッハはプレリュードが変ホ短調なのに、フーガを嬰ニ短調で編集しています。
プレリュードとフーガを同一の調でワンセットにする編集方針でやってきたバッハが、この1曲のみ、例外的に異なる調をワンセットにしたのは何故でしょうか。
それはバッハ自身が、異名同音の関係にある変ホ短調と嬰ニ短調が同じ調だと考えたからでしょう。

更に面白いことに、この嬰ニ短調フーガはバッハが最初、ニ短調で作曲し、その後、嬰ニ短調に移調したということが、自筆譜の修正箇所から推測できます。確かに、ニ短調で作曲したなら、嬰ニ短調に移調する方が、変ホ短調に移調するより楽ですね。
そうなると、バッハは嬰ニ短調とニ短調も同じと考えたことになります。
同様にプレリュードに関しても、元はホ短調で書かれていたという形跡が残っています。これも、ホ短調で作曲したならば変ホ短調に移調する方が簡単にできますね。

つまりバッハはホ短調でプレリュードを、ニ短調でフーガを作曲し、それをそれぞれ半音上げ下げして移調し、難しい調にはめ込み、理論上考えられる24の調を網羅したのです。

このように、移調の過程を知ると、バッハの自筆譜の調にこだわり過ぎる必要がないことがわかりますね。ここでは詳しく論じませんが、アルブレヒツベルガーなど後世の校訂者による移調の試みが多々存在することから 《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》も移調を試みました。



旋法の性格在り、調の性格無し

長調の音階とは半音の位置が第3音−第4音間、第7音ー第8音間にあるということです。長調ならば何長調でもすべて半音の位置は同じで音階構造は変わりません。
これに反して旋法は音階ににおける半音の位置がそれぞれ異なり、音階構造が違います。
音階構造が違えば性格が変わり、音階構造が同じならば性格も同じです。
これは至極当たり前のことですが、どの長調も同じ音階構造なのに、何調かによって性格がそれぞれ異なると思い込んでいる人が少なくないのです。

旋法とは近代長短調が確立する前の音階で教会旋法といわれるものです。教会旋法と言えばパレストリーナ(Palestrina 1525〜94)が有名ですが、その旋法は6種類あります。
6つの旋法は音階構造がそれぞれ違う(半音の位置がそれぞれ違う)ので、音階固有の性格が在ります。
イオニア旋法は半音の位置が第3音−第4音間、第7音ー第8音間にあるので長音階と同じです。
またエオリア旋法は半音の位置が第2音ー第3音間、第5音ー第6音間にあるので短調自然音階と同じです。
残り4つの旋法は長調、短調とは異なる独特の音階です。
6つの旋法の性格は以下の通りです。

イオニア旋法(長音階)・・・・・・・・・・・陽気で活発
ドリア旋法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・温和 敬虔
フリギア旋法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・常に悲しい
リディア旋法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・過酷 不親切
ミクソリディア旋法・・・・・・・・・・・・・・・陽気 いくらか穏健
エオリア旋法(自然的短音階)・・・・・穏健 優しい いくらか悲しい

以上 プリンツ(Wolfgang Caspar Printz 1641〜1717) 『やわらかなバッハ』 P.40 より

パレストリーナから時代が下がってバッハの時代になると、リディア旋法とミクソリディア旋法がイオニア旋法に集約されて今日の長調になりました。またドリア旋法とフリギア旋法がエオリア旋法に集約されて今日の短調になりました。
この時点で、長調はイオニア旋法の「陽気で明るい」性格を、短調はエオリア旋法の「いくらか悲しい」性格をもつことになったのです。

近代長短調では旋法の数がイオニアとエオリアの2つだけに減少することになります。減少を補うかのように、理論上考えられる12の音階開始音が12の調として考えられるようになりました。イオニアとエオリアで12×2=24の調が在るかのように見えますが、あくまで旋法は2つであり、調の性格は2種類しか存在しないのです。24の調にそれぞれ異なる性格が在ると思い込んでいる人は後述する根拠なき調性格論に惑わされているのです。
もし6つの旋法にそれぞれ12の音階開始音が在るとすれば 12×6=72種類の調が存在することになりますが、誰も72の調性格などを論じません。旋法の性格は6種類しかないと理解する人も、イオニア旋法(長調)になると12種類の性格が在るように錯覚してしまうのです。

バッハは《平均律クラヴィーア曲集》において理論上考えられる24の調を確立しました。決して24の調性格を確立したのではありません。ここのところは誤解されがちで非常に重要です。
《平均律クラヴィーア曲集》に12の長調と12の短調を網羅したということは「陽気で活発」な長調が12個、「いくらか悲しい」短調が12個あるという単純な事実に過ぎないのです。

なぜならバッハ自身が、難しい調は簡単な調で作曲し、それを移調することによって《平均律クラヴィーア曲集》に24すべての調を網羅したからです。(詳しくは 富田庸「ロンドン自筆譜」と《平均律クラヴィーア曲集》、『やわらかなバッハ』P.76参照)
バッハ自身による移調の事実は、等分平均律に近い音律は、どの調もほとんど差が無いとバッハが考えていた証拠ではないでしょうか。

異なる24の調性格が在るとする論理は不等分音律に根拠を置くわけですが、その調の性格を論ずる際にどの音律に基ずくかということが明記されていません。
ある一つの調の性格を論ずる時、それがミーントーンか、キルンベルガーか、はたまたキルンベルガーの気兇靴ということが不明なのです。これでは音律が変わればまた違う調性格を述べるのかどうか不明です。

また調性格を主張する論者たちは、同じ調に対して、相反する調性格を述べることも珍しくありません。例えばイ長調についてマッテゾンは「攻撃的、悲痛」と述べ、シューバルトは「純情な愛の告白、自己への満足」と両者かけ離れた性格を述べています。(詳しくは『やわらかなバッハ』P.52 参照)
これでは調性格が恣意的な思い込みであると言わざるを得ないでしょう。

バッハが《平均律クラヴィーア曲集》で24の調を網羅した時、当時の主流だったミーントーン音律に比べて、使用できる調の数が急増したことになりますが、それに従って音楽の性格も急増したとはいえないでしょう。
24すべての調が使用できる音律ということになると等分平均律に近づかざるを得ないのであって、等分平均律に近づけば近づくほど、調による差はゼロに近づくのです。
ましてや世界中のピアノが等分平均律で調律されている今日においては、調ごとの固有の性格など在り得ないのです。空理空論、全くの妄想に過ぎないのです。
ここで誤解の無いように説明しておきますと、空理空論とは等分平均律の鍵盤楽器の場合について述べているのでありまして、音程の微調整が可能な弦楽器などについてはこの範疇ではありません。

よく知られているように、標準ピッチが変動し続けており、バッハ時代と今日では約半音のズレがあります。
例えばバッハの時代にハ長調だった曲は、今日嬰ハ長調に聴こえるのではないでしょうか。
もし音階構造が同じでも音階開始音のピッチの違いによって異なる調性格が存在すると主張するならば、この場合、ハ長調と嬰ハ長調に異なる調性格が在ることになり自己矛盾です。

結論として、旋法にそれぞれ異なる性格が在るという事実と、同一旋法における音階開始音の違いを表す調を混同しないことが最重要です。同一旋法に異なる性格は存在しないのです。
旋法の性格は在るのです。しかし調の性格は無いのです。無いものは無いのです。

宇宙の法則である《平均律クラヴィーア曲集》は調性格などという曖昧なものを超越した永遠に鳴り響く波動です。何調で弾いても、宇宙の法則、その生命は生きているのです。「平均律」という邦訳はいろいろな意味で誤解を生じる訳ですが、英語ではwell、仏語ではbien と単純に訳しています。両方とも単に「良い」という意味です。
そこで私が考えた訳は《最善律クラヴィーア曲集》、あるいは《神秘律クラヴィーア曲集》 です。いかがでしょうか。

全曲をハ長調とイ短調に移調した《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》で難易度を下げて弾けば、音楽の本質、すなわち音楽の生命が真の意味で解ってくることでしょう。
《平均律クラヴィーア曲集》 のもつ波動があなたの魂を調律し、あなたの心は常に現象を超越した平安に満たされ、自分の周りのすべての現象が整ってくることになるでしょう。

バッハの道は神道に通じる

バッハと神道に共通点があると言うと荒唐無稽な話だと思われるかもしれませんが、西洋の作曲家の中でただ一人、バッハには日本神道の精神と共通するものがあるのです。日本神道の精神を音で翻訳したと言っても良いかもしれません。

主な理由は3つ。
その1
神道は地縁・血縁などで結ばれた共同体(部族や村など)を守ることを大切にする氏神信仰ですが、バッハも地縁・血縁で結ばれた共同体の中で生きた人でした。彼はドイツのテューリンゲン地方から外へは出ようとせず、その地縁の中で生涯を終えました。これは、バッハと同い年でドイツに生まれたヘンデルと対象的です。ヘンデルは生涯のほとんどをイギリスで暮らし名声を得てイギリスに帰化しました。
血縁はというと、バッハが最も大切にしたものが血縁でした。作曲家の中でこれほど熱心に血縁を調べた人は他にはいません。バッハは先祖の歴史と音楽遺産を体系的に調査し、バッハ一族の家系図を作成しました。バッハ一族こそは地縁・血縁で硬く結ばれた共同体でした。何度も言いますが、地縁・血縁に生きた作曲家はバッハをおいて他にないのです。

その2
神道は明確な教義を書いた経典が存在しませんが、バッハも明確な音楽理論書を書きませんでした。同時代の作曲家が競って音楽理論書や音楽書を出版したのとは非常に対照的です。バッハは1冊の理論書も音楽評論も書きませんでした。バッハが唯一書き残したものは先に述べた家系図のみです。バッハが神道と同じ考えを持っていたと思われる所以は形なく、文字なく、目に見えないものを音の響きとして信仰したということです。

その3
これが最も大切です。神道は仏教や儒教、キリスト教などの受容後も、日本人の精神の奥深いところに生き続けていますが、バッハもロマン派、印象派、12音音楽、現代音楽などの受容後も、音楽全般の根底に生き続けています。
神道が仏教やキリスト教によって駆逐されなかったように、バッハも新しい音楽によって駆逐されませんでした。それどころか、あまねく音楽界に影響を与え続けています。なぜバッハだけなのでしょうか。その理由を考える前提として時代背景を簡単に説明しましょう。

バッハが生きた時代は啓蒙思想が徐々に台頭してきた時代です。バッハの没後すぐに、フランスではルソーが『社会契約論』を発表し、市民が「人間の自由意志」というものに目覚めます。その風潮は一気にフランス革命へと突き進み、君主制から民主主義が打ち立てられます。自由と平等が叫ばれ、やがて人権という名で個人の思想が尊ばれるようになります。革命軍はルイ16世と王妃マリーアントワネットを断頭台に送ります。王殺ししは神の霊性との結びを断絶させます。神との断絶は全ヨーロッパに広がり、人間は理性と合理性を重んじる科学万能・物質主義に陥ります。人間と神が乖離する愚かな時代が始まります。

音楽はというと、バッハの時代に人間の感情や思想が尊ばれ個性が重んじられるようになります。
種々の情熱や感覚を表現する旋律とそれを支える和声という作曲スタイルが新しい音楽としてもてはやされます。新しい音楽は神の霊性と断絶し、人間の思想、自由、感情を歌うようになっていきます。
このような時代にあってバッハだけが新しい音楽の流れに逆らい、もはや誰も関心を示さなくなった対位法を作り続けます。

つまりバッハは確たる信念をもって、王殺し前の神の霊性に踏み止まり、神と人間が乖離することを否定したのです。やがてベートーヴェンによって個人思想が、シューマンによって異性への情熱が音楽と称されるようになることをバッハは冷静に見据え、新しい風潮に迎合することを潔しとしませんでした。
バッハ以降の作曲家たちは二度と戻れない音楽の終焉に向かって走り続けてきたわけですが、彼らは異口同音にバッハを賞賛し、「バッハに帰れ」と言うのです。
神の法則、宇宙の法則、現象を超越した実相の世界、聖なる明るさ、調和、平安という人智を超えたバッハの世界に何人も抗えないのです。これは何人も神道に抗えないことと共通しているのではないでしょうか。

”バッハの音楽は聴くものにあらず、弾くものにあらず。
ともに生くるものなり”

宗教とは生きることです。その生きることを教えるのが教育であると言うことになると、結局すべての教育は宗教でなければなりません。すべての教育はバッハの音楽であり、神道でなければならないのです。
優れた宗教性をもつバッハの音楽の中でも 《平均律クラヴィーア曲集》は最も深い宗教性を表しています。
音楽は形なく文字なく、目に見えない波動で宗教の真髄を伝えることができます。
《平均律クラヴィーア曲集》 の波動は人間が意識できない深いところに働いて、魂を調律します。
私は未だかつて 《平均律クラヴィーア曲集》 に触れながら不良になったり自暴自棄になった人を知りません。バッハの音楽は身の回りに如何に悪い現象が起こっても、それを超越した世界で、常に明るく楽しく感謝と平安の生活に導く力があるのです。

ハ長調とイ短調に移調した『イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集』  で難易度を下げて全曲演奏してみませんか?
拙著『やわらかなバッハ』をお読みになれば、《平均律クラヴィーア曲集》 を移調することに対する抵抗感も軽減すると思います。

旋法から長短調へ

教会旋法の種類は本来いくつでしょうか?
正解は8旋法です。8つの教会旋法が、たった一つの♭「変ロ」の出現によって12旋法になり、それがやがて近代長短調に移行する過程を簡単に述べてみたいと思います。

西洋の中世・ルネッサンスで用いられた旋法、いわゆる教会旋法とは、ドリア、フリギア、リディア、ミクソリディアの4旋法と、それぞれの変格旋法を加えて4×2の8旋法です。
『ティンクトリスの旋法理論』(1476年)の段階では未だエオリア旋法とイオニア旋法は誕生していません。
エオリア旋法とイオニア旋法はグラレアヌスの『ドデカコルドン』(1547年)以降、正式に認められたものです。

教会旋法はもともと変化記号が全くつかないハ均(0均)が一般的でした。
「転旋均を見抜くというのは、すべてをハ均中心に考えがちであった当時の人々にとって、かなり難しいことであったと考えるべきだろうと思います。」と 東川清一著 『旋法論』 P.117 にあるように、簡単に言えば旋法はハ長調オンリーの世界でした。

東川先生の言われる「ハ均」とは現代の調号と考えればわかりやすいでしょう。
8旋法はすべてハ均で書き表わしました。が、しかし近代ハ長調の音階は一つもありません。

ご存知のように、ハ長調の音階は半音が3-4、7-8 の間にあります。
しかし、ドリア旋法は半音が2-3、6-7 の間、フリギア旋法は1-2、5-6 の間、リディア旋法は4-5、7-8 の間、ミクソリディア旋法は3-4、6-7 の間にあります。

ためしにバッハ《平均律クラヴィーア曲集》から第2巻2番ハ短調フーガのテーマを弾いてみてください。
このフーガは第1音〜第5音まで5つの音だけでテーマができていますので弾きやすいのです。
テーマは Gー♭EーFaーGーCーFaー♭EーDー♭E ハ短調です。 
  
ハ短調を弾く時は1の指を「ド」に置きましたね。
1の指をレに置いてレミファソラの5音でテーマを弾くとドリア旋法になります。これはニ短調と同じです。
次に一音上げてミに1の指を置いて白鍵盤だけで弾くとフリギア旋法になります。
1の指をファに置くとリディア旋法、ソに置くとミクソリディア旋法になります。
いささか無謀な実験ではありますが、旋法間の違いの大きさを体験できたのではないでしょうか。

やがて16世紀になるとドリア旋法が変ロを伴った形でも用いられるようになりました。
この「変ロ」こそが近代長短調への道を開くカギになったのです。
ドリア旋法の場合、ハ均での臨時記号の♭なら東川先生の言われるハ均ニ調レ旋法になります。
聞きなれない言葉ですが、均とは調号、調とは終止音、旋法とは階名音階と考えれば簡単です。
ハ均ニ調レ旋法をわかりやすく翻訳すれば調号なし、終止音ニ、階名レ〜レの音階という意味です。これは正真正銘のドリア旋法です。

ところが同じドリア旋法でも、♭を調号と楽譜の頭につけてしまえば、その変ロは「ファ」と読まれることから、実質的には1♭均ニ調ラ旋法に変わります。わかりやすく翻訳すれば調号♭1つ、終止音ニ、階名ラ〜ラの音階ということになります。
これはニ短調になります。
これこそが、正式には認められてなかったラ旋法(短旋法)の始まりなのです。

またリディア旋法に、♭を調号としてつければ、その変ロは「ファ」と読まれることから、実質的には1♭均ヘ調ド旋法に変わります。わかりやすく翻訳すれば調号♭1つ、終止音ヘ、階名ド〜ドの音階ということになります。つまりヘ長調です。
これこそが、正式には認められてなかったド旋法(長旋法)の始まりなのです。

これを考えた音楽理論家グラレアヌス(Henricus Glareanus 1488〜1563)は『ドデカコルドン』(1547年)において歴史上はじめて、ラ旋法をエオリア旋法、ド旋法をイオニア旋法と呼びました。
彼は従来の8旋法にエオリア旋法、イオニア旋法とそれぞれの変格旋法を加えて12旋法を組織したのです。

やがて17世紀に入ると12旋法のうち、ラ旋法=エオリア旋法 と ド旋法=イオニア旋法だけが主に用いられるようになりました。
旋法の数が8→12→2と大きく変化し、旋法数の激減を補うかのように調(終止音)の数が増えました。


バッハは2つの旋法、すなわちイオニア旋法とエオリア旋法の2つだけを使って有名な《平均律クラヴィーア曲集》を作曲しました。
イオニア旋法=長調、エオリア旋法=短調をそれぞれ12の調(終止音)の上で網羅したのが《平均律クラヴィーア曲集》といえます。
《平均律クラヴィーア曲集》には12の長調と12の短調が網羅されていますが、旋法の数はあくまで2つです。
ラ旋法→エオリア旋法→短旋法→近代短調 と ド旋法→イオニア旋法→長旋法→近代長調 という変遷を確立し近代和声への道を拓いたのがバッハです。バッハの存在の大きさはここにあるのです。

バッハの綴り B-A-C-H をテーマにした曲をバッハ自身や、バッハ以降の作曲家が作りましたが、これには深い意味がこめられているのです。
BACHの綴りの中のBは「変ロ」を表しています。「変ロ」と「ロ」のうつろいが旋法から近代長短調へ移行を象徴的に顕わしているかのようです。なんという神秘的な半音階なのでしょうか。

前述のとおり旋法は本来変化記号がありませんでした。
そして調とは終止音のことであり、それは歌手の声域次第で自由に選ばれたのです。
したがって一つの楽曲が決まった終止音でなければならないとは誰も考えませんでした。
同一旋法内であれば終止音は自由に取り扱えました。
つまりイオニア旋法(長調)の範囲内であれば、終止音が「ハ」「嬰ハ」「ニ」 ・・・・・・と12種類ありました。
現代人は、終止音ごとにハ長調、嬰ハ長調、ニ長調・・・・とそれぞれ違う調であるかのように勘違いしています。実はどの調もイオニア旋法(ハ長調)なのです。終止音でもって調の名前と勘違いしているのです。実はどの終止音も長調という一つの調です。

それが証拠にバッハ自身も《平均律クラヴィーア曲集》がこの終止音でなければならないとは考えていませんでした。
バッハは単にすべての終止音を網羅するという目的しかもっていなかったからです。
だからバッハは作曲の過程において、難しい調は簡単な調で作曲して、それを難しい調に移調して穴埋めしていったのです。詳しくは拙著『やわらかなバッハ』P.76に書きましたのでここでは省きます。
《平均律クラヴィーア曲集》を原調で弾くべきだという単純な理論に盲従してはなりません。
ピッチの変動、音律論、恣意的な調性格論、平均律クラヴィーア曲集の成立過程などを慎重に考察する必要があります。

平均律クラヴィーア曲集の真実がわかったら、わざわざ難しい調で弾くのはバカらしくなるでしょう。
まず全48曲をハ長調とイ短調に移調した イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集で弾くことによって、あなたの音楽力が飛躍的に向上するのです。
ハ均(調号0)の楽譜で読めば、旋法と長短調のうつろいも解り易いでしょう。
また、フーガの構造もはっきりと見えるでしょう。
まずハ均で全曲をマスターしましょう。その後に、移調して弾きましょう。
聞くところによると、実力派ピアニストは一つのフーガを全調に移調して弾くことができるそうであります。
私たち普通の方は、まずハ均で弾き、次にバッハが書いた原調に移調して弾くとよいでしょう。
世界初! 平均律クラヴィーア曲集の移調音楽の構造が良く解る













バッハ家の遺産

バッハ家とは16世紀から19世紀初頭にかけてドイツ中部テューリンゲン地方で代々音楽を職業にした家系です。一族の男子は事実上音楽家になるべく定められ、音楽の訓練は大抵身内で行われます。
バッハ家は単なる芸人から身を起こし、当時の音楽活動の全領域を凌駕します。すなわち宮廷の楽師や楽長、市立楽団の器楽奏者や指揮者、教会のオルガニストやカントルなどです。一族の男子は主要な地位を占め、あるバッハの後任には、また別のバッハが就くというのが通例でした。

しかし時代が下がり、我等のヨハン・ゼバスティアン・バッハの時代には社会の変化が音楽活動のどの領域にも影を落とし始めます。啓蒙思想が起こり人々は神の霊性を離れて合理性を尊重し始めます。旧来の権力構造である教会や王権による支配に屈せず、理性によって行動する市民が生まれます。こうした社会の変化を受けて、教会や宮廷の主導的立場が徐々に低下し、バッハ一族も自然に衰退していくのです。
バッハの息子の世代になると新たな教育の可能性も開け、孫の世代になると全く異なる職種に就く者も出てきます。
直系の孫でヴィルヘルム・フリードリヒ・エルンスト・バッハ(1759〜1845)は国王フリードリヒ2世の宮廷楽長になりますが、1843年にバッハ記念碑の除幕式が行われたとき、一族を代表する音楽家は彼一人だけになってしまいます。彼の死をもってバッハ一族の音楽は完全に幕を閉じます。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハはよく知られるように子沢山ですが、早世した子も沢山います。先妻のマリーア・バルバラは7人の子供を産み、バッハが35才の時に病死します。後妻のアンナ・マグダレーナは13人の子供を産みます。バッハは合計で20人もの子供を作りますが、生き長らえて音楽家になったのは以下の5人です。

\荳淵泪蝓璽◆Ε丱襯丱蕕梁2子 ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(1708〜84)
教会オルガニストや宮廷楽長を務めますが、晩年は放浪の旅を続け貧窮のうちに73才で没す。

同上の第5子 カール・フィリップ・エマニュエル・バッハ(1714〜88)
生前は父親よりも有名で兄弟の出世頭です。宮廷楽長などを務め、ハンブルクでテレマンの後継者となります。74才で没す。彼の息子は画家と弁護士になります。

F云紊梁茖胸辧.茱魯鵝Ε乾奪肇侫蝓璽函Ε戰襯鵐魯襯函Ε丱奪蓮1715〜39)
オルガニストになりますが24才で若死。

じ綺淵▲鵐福Ε泪哀瀬譟璽覆梁16子 ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ(1732〜95)
チェンバロ奏者、コンサートマスターなどを務め、63才で没す。彼の息子はバッハ一族最後の音楽家となります。

テ云紊梁18子 ヨハン・クリスティアン・バッハ(1735〜82)
オペラ作曲家で国際的名声を得てモーツァルトとも親交を持ちます。ロンドンで活躍しヘンデルの後継者となります。47才で没す。

後妻のアンナ・マグダレーナはバッハの死後も10年間ほど生きます。
彼女が未亡人となったとき、音楽家としてひとり立ちしているのは先妻の息子2人と18才の息子で、他の子供たちはまだ助けが必要でした。
\荳覆猟構 カタリーナ・ドロアーテ42才、未婚
第9子 ゴットフリート・ハインリッヒ 26才、知的障害者
B18子 ヨハン・クリスティアン・バッハ  15才 後に音楽家
ぢ19子 ヨハナ・カロリーナ 13才
ヂ20子 レギーナ・スザナ 8才

未婚で42才の長女は一旦、長兄のヴィルヘルム・フリーデマンのところに身を寄せます。
知的障害のある26才の子は娘婿のアルトニコル氏に引き取られます。
15才の息子は異母兄のカール・フィリップ・エマニュエルに引き取られます。
遺された娘2人とアンナ・マグダレーナの生活は、たちまち窮状に陥ります。僅かな市当局の支給や大学の喜捨などに頼らざるを得ません。先妻の息子のカール・フィリップ・エマニュエルが娘たちに相当額の送金をしてくれますが、それはアンナ・マグダレーナが亡くなってからのことです。

バッハの遺産は妻が3分の1、残りは兄弟たちに均等分配されます。楽器や作品もバラバラに分配されます。作品の楽譜は売却され、すべての音楽遺産を完全な形で後世に残さないままバッハ家は解体してしまうのです。

一方バッハの精神的な遺産は子孫に継承されたのでしょうか。
バッハは音楽理論書や音楽評論を一切残しませんでしたが、書き残したものが一つだけあります。それは「音楽の起源」というバッハ一族の歴史と音楽遺産を体系的に調査したもので、世間に公表するものではありません。日本流に言えば、バッハの先祖を供養する感謝の心が、バッハ一族の先祖の歴史を熱心に調査させたのです。このような作業を通してバッハは多くの先祖たちから深い魂の繋がりと加護を得ることができたのでしょう。バッハが他の誰も凌駕し得ない音楽を書くことができた秘密はここにあるのです。バッハは一族の音楽魂のすべてを一身に受けたのでしょう。同時代の音楽家が音楽理論書や評論を熱心に書いて名声を求めたのに反して、バッハは先祖の霊との結び、ひいては神との結びを熱心に求めたのです。そのため霊性に反する科学的合理主義には背を向けます。一般にバッハがキリスト教ルター派の信仰を持っていたと信じられていますが、バッハの真の信仰は神秘主義といえるでしょう。神の霊、先祖の霊、人間の霊という「縦の世界との結び」から生まれた音楽は永遠です。神の無限の生命力と喜びに溢れています。バッハはこのような永遠の命への憧れを「死への憧れ」と表現しています。

先妻の長男のヴィルヘルム・フリーデマンは、バッハの血を最もよく受け継ぎ、最も才能豊かでしたが、その才能を十分に開花させることができないまま人生の後半を不本意な生活に甘んじます。啓蒙思想がフランス革命へと突き進む激動の時代に生きて、父バッハが主張した「神の霊性」の音楽と、新しい時代の「神との断絶」の音楽との狭間で悩み苦しむ魂とも言えるでしょう。父のごとき断固とした自主性を主張できず、時代の激流に翻弄されて貧困のうちに生涯を閉じます。

同じく先妻の息子のカール・フィリップ・エマニュエルは父バッハへの尊敬を内外に表明するものの、彼自身は平凡な才能の持ち主です。彼は『正しいクラヴィーア奏法』を上梓するなどヨーロッパの音楽評論家としての成功をおさめます。作品も旋律の美しさや親しみ易さを尊重する新しい時代の音楽なので、うまく時代の流れに乗って名声を博しますが、父の音楽とは格が違いすぎるのです。彼は父の時代に最も大きな名声を得ていたところのテレマンの後継者となり、父の代わりに世俗的な成功を手中におさめます。しかしそれは父バッハの精神を継承するものではないのです。ともあれ彼は、父の死後、異母弟のヨハン・クリスティアンを引き取って音楽家に育て上げ、異母妹に送金するほどの財力を得ます。

カール・フィリップ・エマニュエルが引き取って育てた異母弟も同じような生き方を選びます。彼はオペラ作曲家となり、いわば時代に迎合して国際的な名声を博します。モーツァルトとも交わり、ロンドンでヘンデルの後継者となります。しかし彼もまた、父バッハの精神を理解せず継承しなかったのです。

バッハの音楽の精神は血を分けた息子によってさえ継承されませんでした。バッハは急速に忘れられ、人間の自由と個性を尊重する音楽の時代になります。神との結びを断絶し、神に代わって人間の意思や感情を主張する音楽が時代をリードしていきます。常に新しいものを求める精神は音楽の形式を否定し、調性を否定し、旋律を否定し、従来の奏法を否定し、ついには楽音を否定し、もはや音楽とは認識できないものにまで進みます。現代は音楽の終焉です。現代音楽は没落の血の叫びと化し、狂気と正気の境界です。バッハは泣いています。今私たちに残された道はバッハの霊性、神の霊性を取り戻すことしかないのです。神の霊性の復活こそが、現代人の魂を救う道なのです。バッハの霊性に帰るとき音楽は永遠の平安と喜びに満たされます。バッハの音楽の波動は秩序と中心帰一の宇宙の法則に他なりません。私たちの魂はバッハの音楽によって健全な完全調和へと調律されるのです。







日本人のためのバッハ

バッハが《平均律クラヴィーア曲集》を編集して鍵盤音楽の金字塔を打ち立てたのは1722年である。
日本は江戸時代中期、歌舞伎の全盛期である。
サビエルが鹿児島に上陸し、キリスト教関連の西洋音楽が日本に入るのは1549年で、バッハが生まれる136年前だ。
キリスト教は瞬く間に全国に広がり200もの教会が建つ。4人の少年使節がローマに迎えられ、ローマ教皇グレゴリウス13世に謁見し、日本人がジョスカン・デ・プレ(Josquin Des Prez 1440 - 1521)の鍵盤曲を演奏できるまでになる。
しかし日本での西洋音楽の受容は1638年の島原の大出血をもって幕を下ろす。
この後、ドイツにバッハは生まれ、《平均律クラヴィーア曲集》でもって西洋音楽の大改革を成し遂げる。
日本が鎖国中の出来事である。

明治になり、バッハの死後100年以上も経てやっと日本人はバッハを知ることになる。
日本は文明開化となり、物質文明謳歌の道が開かれる。日本人は物質文明の一つとして西洋音楽を輸入する。西洋音楽の受容は鹿鳴館の舞踏会のように華やかだが皮相的な真似ごとに終始する。
明治の人たちは、鍵盤調律の知識不足から、バッハの《平均律クラヴィーア曲集》という誤訳を公式に使って恥じず、今もその誤りを引きずっている。
しかしこれはむしろ些細な誤りだ。
最も重大な誤りは《平均律クラヴィーア曲集》も何もかも「クラシック」という一言で受容してしまうことである。

バッハの時代、音楽家たちはこぞって合理主義的な啓蒙思想に傾き、学問においては理性が、芸術においては感性が中心にすえられるようになる。独創性と主観が尊ばれ、個性や自由を主張する表現形式が「新しい音楽」としてもてはやされる時代が到来する。「合理」と「自由」の精神は、やがて「人権」という名で呼ばれるフランス革命の前兆である。フランス革命とは、神授にして不可侵の王殺しであり、神との結びを断ち切るものである。革命後の人間は神と断絶して自由な個人となる。見えない世界は否定され、頭脳と身体だけが存在すると考える。唯物論者が世界を席巻する。人間は「猿の子孫」であり、父母の淫行によってできた獣人と考える。神からも祖先からも父母からも断絶し、死ねばすべて終わりという「無限」に繋がれてない孤独感。「神は死んだ」という個人主義、唯物主義。

このような市民階級が誕生しようする前夜にバッハは存在する。
バッハただ一人が、この目覚めによって古代から中世を経て続いてきた霊性文化たる音楽が駆逐されることを喝破する。バッハは西洋音楽の終焉を見通し、時代の啓蒙思想に背を向ける。もはや誰も顧みないフーガをつくり続け、対位法を発展させ、後世の誰一人として凌駕し得ない高みに達する。バッハは音楽が神秘なる偉大な力の波動であり、人間と神との結びであると考える。音楽は神の霊性、宇宙の法則に他ならない。音楽に「個」の喜怒哀楽を歌わず、神の生命を歌う。音楽は魂の調律である。人間は「神の子孫」であり、死んでも死なない霊である。バッハは先祖の家系図を熱心に作り、その系図の中に自分のいのちを見出す。血族と親しく交わり家は非常に円満で多くの子孫を得る。バッハにおいて悲劇と至福は一つのものであって、この世の現象が如何様であれ、バッハの魂は常に完全円満で明るい。バッハの言う「死への憧れ」とは現象を超越した永遠の魂が光り輝く姿への憧れである。飛行機に乗って上昇すると下界が雨でも上空は晴天である。このような晴天をバッハは「死への憧れ」と言う。《平均律クラヴィーア曲集》はこのような世界観を表している。

非常に残念なことに日本人の《平均律クラヴィーア曲集》受容は、単にクラシック音楽の中の一つでしかない。
バッハ、ベートーヴェン、ブラームスと並び称せられ「3大B」などと一まとめにするのは許しがたいことだ。
クラシック通の人でもせいぜい、「バッハはキリスト教徒でなければ理解できない」と言うのが関の山だ。これは大きな誤りである。
なぜならバッハはキリスト教を超越し、宇宙に遍満する神の霊性を鳴り響かせるからだ。

仏教は最初中国から渡来したが、高僧たちは教えを元の形が分らないほど日本風に作り変えて仏教の真髄を伝えようとした。
仏教が漢文あるいはサンスクリット語でなければならないと言う人はいない。
中国から伝来した琴も日本風に作り変え、もはや日本古来の楽器のように発展しきた。
「ひらがな」は中国から輸入した漢字をくずしてできたものだ。
禁教時代の隠れキリシタンたちはキリスト教の真髄をオラショというものに作り変えて唱え、明治政府のキリスト教解禁後もオラショのまま伝承している。
日本人はこのように外来のものを作り変えるのが得意である。
それなのに何故《平均律クラヴィーア曲集》を作り変えないのだろう。

国が違えば言葉が違う。
国ごとに方言やアクセントが違っていて、それぞれの個性をあらわし伝統も風習も異なってくる。
今は英語が”国際語”みたいな顔をしているが、それでもイギリス英語とアメリカ英語ではずいぶん異なる。イントネーションや発音が違い、綴りの違いもある。それにネイティブ以外の英語は、皆アクセントやイントネーションが母国語に似てきて、大変聞き取り難いものである。つまりどうしても各国の個性が現れてくるからだ。

バッハの《平均律クラヴィーア曲集》も各国の個性が現れてよいのではないか。バッハの真髄を日本風に作り変えても良いではないか。
日本は伊勢神宮に代表される木の文化であり、バッハの国の石の文化とは違う。
《平均律クラヴィーア曲集》を日本人が真に理解するためには木の文化に作り変えねばならない。
サンスクリット語の原典で読むのだけが仏教だと有難がっていては何もわからない。私たちは最澄や空海の手を経た日本語の仏教を学んでいるではないか。
同じように《平均律クラヴィーア曲集》も原典の調にこだわっていては何もわからない。難しい嬰ハ長調はハ長調に移調すればよい。原典版にこだわらず、理解しやすい様に作り変えて真髄を伝えればよいのだ。全曲を移調した《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》 


《平均律クラヴィーア曲集》を日本人に解り易くするするにはもう一つ方法がある。
伊勢神宮の神楽殿における祈祷では、雅楽の生演奏にあわせて巫女の典雅な舞いが奉納される。この雅楽はゆったりを通り越して、むしろ間延びして聴こえる。メトロノームでいうと一つの音のテンポが12ぐらいだったと記憶する。テンポ12というのは、1分間に12回打つ速さである。つまり1つの音を5秒間ロングトーンする。
国家「君が代」も他の国歌に比べると日本は非常にゆったりしている。
日本語のイントネーションも悠長である。
従って《平均律クラヴィーア曲集》も日本人の演奏ならばゆったりとするはずである。
仏教の聖典の読み方が上手くなるとか、ものすごい早口で読めるとかに価値がないように、《平均律クラヴィーア曲集》を猛スピードで上手に演奏することに価値は無い。
バッハの作品の中で最も深い宗教性があらわれている《平均律クラヴィーア曲集》を日本人はもっとゆったりと演奏したいものである。そうすればバッハの真髄がわかり、魂が調律され進歩するのだ。





釈迦・イエス・バッハ

釈迦とイエスとバッハの共通点、それは何だろうか。

釈迦の説教は、初期仏教の経典である阿含経で知ることができる。これは弟子たちが、釈迦の入滅後にまとめたものである。
教えの本質とは常に、五感を超えた霊性であり、目には見えない。だから教えを文字で書こうとすると、筆者の個性が出る。その上、時代性や地域性や政治などによって、幾多の変遷を経た経典として現在存在することになる。仏教は中国を経由して日本に入り、最澄、空海など文字で書き表してくれた。それらの経典のお蔭で、私たちは釈迦の教えに触れることができるのである。仏教の開祖であるはずの釈迦本人が経典を書かなかったにもかかわらずである。

イエスも同様である。キリスト教の開祖であるはずのイエスが何一つ聖典を書かなかったにもかかわらず、新約聖書を書いた使徒たちと翻訳者のお陰で、私たちはイエスの教えに触れることができる。教えの本質は目に見えない霊性である。霊性は文章の行間にあるとも言えるが、文章がなければ行間もない。だから使徒たちや、後世の宗教家がイエスの教えを書き表してくれたことに感謝したい。

ではバッハはどうだろうか。本人が文字で書いた理論書があるだろうか。念のために言うと楽譜は目で読むが、頭の中では音楽が鳴っている。楽譜を見ても頭の中で音楽が鳴らない人はピアノなどの補助的手段を使って楽譜に書かれた音楽を鳴らすのである。目で見た文字を通して頭の中で何らかの意味を理解する書物と、楽譜は根本的に異なる。

バッハ(Bach 1685〜1750)は昇天するまでの27年間、聖トーマス教会のカントルにして音楽監督の地位にあった。その聖トーマス教会のバッハの前任者はクーナウ(Kuhnau 1660〜1722)である。彼はバッハと同じ職務にありながら、作曲のかたわら音楽書や文学書を数多く執筆した。中には風刺小説の『音楽のいかさま師』というのもある。

前任者クーナウはバッハの父親の世代にあたるが、バッハと同世代の作曲家の著作を眺めてみよう。
非常に多いので一人一作の紹介にとどめる。

マッテゾン(Mattheson 1681〜1764)『完全なる楽長』
ヴァルター(Walther 1684〜1748)『音楽辞典』
ラモー(Rameau 1683〜1764)『自然原理に還元された和声論』
タルティーニ(Tartini 1692〜1770)『全音階的和声の諸原理』
クヴァンツ(Quantz 1697〜1773)『フルート奏法』
マルティーニ(Martini 1706〜84)『対位法実践の模範例または基礎知識』

次はバッハの息子と同世代の作曲家である

ミツラー(Mizler 1711〜78)『新音楽文庫』
ルソー(Rousseau 1712〜78)『音楽辞典』『社会契約論』
C.P.E.バッハ(バッハの息子 Bach 1714〜88)『クラヴィーア奏法試論』
マールプルク(Marpurg 1718〜95)『フーガ論』
キルンベルガー(kirnberger1721〜83)『純正作曲の技法』

かくのごとく作曲家たちは我も我もと音符ならぬ健筆をふるった時代であった。
しかしバッハ著作の作曲法も音楽論も1冊として見つけられない。
なぜバッハは書物を書かなかったのだろうか。

バッハは釈迦やイエスが教えを書かなかったように、霊性というものを不立文字と考えたのではないか。バッハは文字ではなく音の響きで霊性を伝えようとしたのではないか。釈迦が「身口意の三行」をもって、イエスが「心と口と行いと生きざま」をもって霊性に仕えたごとく、バッハは「宇宙の調和の響き」でもって霊性に仕えた。

霊性に仕えたという意味において、釈迦もイエスもバッハも同等の聖人と称して差し支えないだろう。
バッハが教会音楽の大家であることからバッハをば「5番目の福音史家」というふうによく賞賛される。
しかし、バッハはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの次にくる5番目の福音史家などではない。その程度の賞賛に甘んじてならない。
逆にバッハの福音史家こそ、数え切れないほどいるのだ。
誤解がないように再度確認すると、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネとバッハの比較ではなく、釈迦、イエスとバッハの比較である。

以下に、角倉一朗・渡辺健 『バッハ頌歌』よりバッハの福音史家たちをほんの一部紹介しよう。

・アグリーコラ(Agricola 1720〜74)・・・ギリシャにはただ一人のホメーロスしかなく、ローマにはただ一人のヴェルギリウスしかなかったごとく、ドイツもまたただ一人のバッハをもったにとどまるかのようである。今日にいたるまで、作曲の技においても、オルガンやチェンバロの演奏においても、彼に比肩しうるものはヨーロッパ広しといえども一人としてなく、将来もまた、なんぴとも彼を凌駕し得ないであろう。かの名高いマルティーニ神父の和声、マルチェッロの巧妙さと創意、ジェミニアーニの歌唱的な旋律と様式、はたまたアレッサンドロの手腕、たとえそれらを一つに合わせても、このバッハ一人には遠くおよばないのである

・ベートーヴェン(Beethoven 1770〜1827)・・・音の組み合わせと和声とのあの無限の、汲み尽くしがたい豊かさのゆえに、彼は小川(バッハ)でなくして、大海(メーア)と称すべきだ

・シューマン(Schumann 1810〜56)・・・すぐれた大家、とりわけヨーハン・ゼバスティアン・バッハのフーガを熱心に弾くこと。「平均律クラヴィーア曲集を日々の糧としてほしい。そうすればきっと有意の音楽家になれる

・ニーチェ(Nietzsche 1844〜1900)・・・今週、神のようなバッハの「マタイ受難曲」を3度、そのたびに、同じような計り知れぬ驚嘆の念を持って聴きました。キリスト教をすっかり忘れ去った者が、ここではほんとうに福音を聴く思いがするのです。これは禁欲を思いおこさせることなしに意思を否定する音楽です

・レーガー(Reger 1873〜1916)・・・・・・ ゼバスティアン・バッハは私にとってあらゆる音楽のアルファでありオメガであります。真の進歩はすべて彼に宿り、彼を土台としているのです!ゼバスティアン・バッハが現代にとって何を意味するか、いや何を意味すべきかというのですか?「誤解されたヴァグナー」病に犯されたすべての作曲家と音楽家にとってだけでなく、あらゆる種類の脊髄炎にかかったすべての現代人にとっても、彼はまさに有効で無限の治療薬に他なりません

・シュヴァイツァー(Schweitzer 1875〜1965)・・・「平均律クラヴィーア曲集」は楽しみをあたえるのではなく、宗教的な感化を与える。喜び、悲しみ、泣き、嘆き、笑いーすべてが聴くものに向かって響き寄せてくる。しかしその際にわれわれは、このような感情を表現する音によって、不安の世界から平安の世界へと導き入れられ、あたかも山間の湖畔で底知れない深さをたたえた静かな水面に山や森や雲の映る姿を眺めるときのようにして、現実を見るのである

・ヒンデミット(Hindemith 1895〜1963)・・・存在しうるのはただ1種類の音楽、つまりバッハの音楽的エートスから、彼が残した高価な遺産から見て正しい音楽のみであります

・シュニトケ(Schnittke 1934〜98)・・・・あまねく世界に神は存在し、あまねく音楽にバッハは存在する


最初の問い「釈迦、イエス、バッハ」の共通点は文字を残さなかった聖人ということである。

バッハ演奏は自由なテンポで

バッハは平均律クラヴィーア曲集(以下、頭文字をとってWTCと表記)において、速度記号はかなかった。厳密に言えば、バッハが書いた幾つかの速度標語(第1巻24番ロ短調フーガの Largo 等)があるが、WTC全体に占める割合は極僅かであり、ほとんどの曲にテンポ表示がない。
それではWTCをどのくらいの速さで演奏すればよいのだろうか。

先人たちに敬意を表する意味で、大家の意見を一通り見渡してみよう。
比較する曲はWTCの中からあえて2声の曲を選ぶ。
前回「バッハの新しい学習順序」でも触れたが、WTCのプレリュードの中にはインヴェンションやシンフォニより簡単に弾ける曲が多数存在する。そのような曲の一つで2声の WTC第2巻20番のイ短調プレリュードを選びぶ。イ短調プレリュードは半音階を駆使したインヴェンションで、たった2声で書かれているが、WTCの中の傑作と言われている。

まず解釈版で比較すると、ほとんどの校訂者が Andante あるいは ♩ = 50〜60のテンポを指示している。
いささか少数派と思われる校訂者はムジェリーニで ♩ = 63、♩ = 46 は園田高弘とチェルニーである。極端なのはケラー で♩ = 33 である。

次にCDで比較してみよう。
高木幸三著《バッハ平均律クラヴィーア曲集2》の巻末、「演奏家別テンポ一覧表」によると、
リヒテル、グルダ、グールド、レオンハルト、コープマン等、多くのピアニストが解釈版と同じく50〜60のテンポで演奏している。フィッシャーが心もち速くて63、ランドフスカ、ギーゼキング、シフ等は40〜50のゆったりしたテンポである。
テンポ一覧表には載っていないが、ザラフィアンツの ♩ = 31を 極端な例としてあげておく。

以上見てきたように、解釈版とCDでテンポを比較する限り、♩ =50~60 が多数派と言えそうだ。
この結果を見て、自分も多数派に準じるとか、誰それと同テンポで弾きたいなどと、安易に決めてよいものだろうか。

なぜならパウル・バドゥーラ=スコダ曰く・・・・常識は幾つかの規則としてまとめられ、世界中の音楽学校で「標準の作法」として教えられています。しかし、このように普遍化された奏法がバロックの伝統に合致する保証は全くないばかりか、多くの奏法は粗雑な単純化がもたらした「思い込み」にすぎないのです。・・・・・

更にアーノンクール曰く・・・・・もはやすべてを定められたものとして受け入れることはない。不遜や誤解に満ちた伝統によって築かれた解釈の不確実性は、関心を抱くものの探求によって揺らいでいる・・・・
などの意見も傾聴に値するからである。

先人たちの意見を無批判に受け入れる時代は終わった。バッハが明記していない以上、誰が正しいとは誰も言えない。

バッハの時代、イタリア語の速度標語は、今日使われるような意味ではなかった。速度の直接的な表示というよりは、曲の気分とか感情を表すものであった。Allegro は「楽しい」、Grave は「厳粛に」といった具合である。イタリア語の速度標語は1600年頃に現れ始めるが、一般に使用されるのは18世紀末、つまりバッハの死後である。

バッハ没後わずか2年の1752年にクヴァンツが「フルート奏法」を出版した。クヴァンツは、1分間に80回の脈拍を持つ人間の心拍数を基準にする方式を提案した。4分音符ごとに1脈拍をAllegretto、8分音符ごとに1脈拍をAdagioといった決め方である。

バッハの没後100年を経て メトロノームが発明される。バッハの時代のテンポ表示は相対的だった。脈拍は1分間に60から80くらいの個人差があるので、実際のテンポは相対的にならざるを得ない。クヴァンツもC・P・E・バッハもこぞってイタリア語の速度標語はテンポ指示というよりは、むしろ作品の性格を確定する手がかりであるとしている。

キルンベルガーは「純正作曲の技法」の中で、そもそもテンポとは情動や激情の動き=Bewegung がテンポという意味も持つことから生じたと述べている。情動や激情は、独創性や主観が尊ばれ、個性を主張する「新しい音楽」の台頭とともにその動きが活発になったものである。「新しい音楽」がもてはやされる時代にあってバッハは過去の方を向いていた唯一の作曲家であった。従ってバッハのWTCには「新しい音楽」にあるような情動や激情は存在しない。WTCに人間的な悲しみも苦しみも存在しない。人間界のすべての現象を超越して宇宙に鳴り響く神秘の世界である。WTCは言葉や文字で現せない宇宙の法則の波動である。創造主のコトバの波動が鳴り響く世界である。そこには人間界とは異なる時間の世界であって、テンポ表示などもとより無意味である。

今日、バッハのWTCが極端に速いテンポで演奏されるようになったのは、ヴィルトゥオーソたちの名誉心のためである。また嘆かわしいコンクールの競争心のためである。そして何よりも平均律の鍵盤楽器の罪である。すべての音程を等しく狂わせて調律する平均律のピアノは、和音が不純である。だからピアニストは不純な和音をぼかすために、ペダルを多用するしか、猛スピードで駆け抜けるようになった。その結果としてバッハ演奏も速いテンポになってしまったと考えられる。

結論としていえることは、バッハのテンを各自の基準で決めるべきということである。特に学習者はテクニックに応じてゆっくり弾くべきである。十分なテクニックを持つ人もフーガの良い演奏をしようとすればするほど、ますますゆっくり弾くことになるだろう。

自分自身の基準を持つために大いに参考とすべきユニークなピアニストは、前ブログで紹介したエフゲニー・ザラフィアンツである。彼はWTCの中のプレリュードのみを収録した衝撃のCDを発売した。フーガのないことに驚くばかりか、常識を逸したスローテンポに更なる驚きを隠せない。
彼はイ短調プレリュードを♩ = 31というテンポで演奏している。これほど遅いイ短調プレリュードはかつて聴いたことが無い。ザラフィアンツの31と他の多くのピアニストとは倍半分のテンポの違いがある。

極端に遅く演奏してもバッハがバッハたりえる事実に驚愕の他はない。超スローテンポでもバッハは不思議にびくともしない。逆にスローテンポゆえに無限の時間を象徴しているかのようだ。現象の世界を超越した世界、宇宙に鳴り響く完全調和の世界、そこで人間の魂は空中遊歩する。深い静寂の中で平安を見出し、至福の時を得る。ザラフィアンツはいわゆる「標準の作法」というものから自由に解き放たれた稀有なピアニストである。

バッハ演奏のテンポは各自の「内面」から汲みだしてくるべきである。人それぞれに最も弾きやすいテンポというものがあるはずだ。「標準の作法」や「常識」から自由にならなければバッハの真髄を理解することはできない。聖書に「真理は汝を自由ならしめん」とあるがその通りである。







やわらかなバッハの会
〒753-0072 山口県山口市大手町
3−6 大手町ビル4F
毎週土曜日 輪奏会17:00 PM
第2金曜日 輪読会10:00 AM
毎月1回   対話集会17:00 PM

5周年記念バッハ礼讃音楽祭
2018.7.29(日)14:00

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<プロフィール>
やわらかなバッハの会 
代表 橋本絹代
新しい鍵盤楽器記譜法「イコール式」の創始者

子供の頃、父と一緒に、バッハのフーガをピアノ分担奏で弾くことによって、声部進行を直感的に学び取り
バッハのとりこになった。
これまで約400人のピアノレッスンを通じて、バッハのフーガを弾くことの重要性を認識し、初級者でもバッハ演奏を楽む方法を提案。

2007年 世界で初めての楽譜《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》カワイ出版 

2009年 音楽書『やわらかなバッハ』春秋社

2013年「やわらかなバッハの会」設立

2014年 バッハ礼讃音楽会 (於 旧県会議事堂) 毎年開催

2016年 バッハ・イン・ザ・サブウェイズ (於 新山口駅南北自由通路 )毎年開催

2017年 Bach Network UK 対話会議研究発表 (於 ケンブリッジ大学)

Prof.Yo Yomita (富田庸) 講演会「バッハを嗜む」主催 (於 山口大学)

イコール式とは「鍵盤楽器においてどの調も皆同じ」という意味です。
なぜなら12等分平均律の鍵盤楽器における調性とは、ただ高さのみによって識別される2つの旋法、すなわち長調と短調の性格だけに限られるからです。
12等分平均律は勿論のこと、不等分音律を前提に論じたマッテゾンでさえも調性格の恣意性を指摘しています。
異名同音、ピッチの変動、バッハの手による移調の試みなどを考慮すれば、《バッハ平均律クラヴィーア曲集》の中の難しい調を簡単な調に移調してまず親しむことが大切です。初級者は更にそれをアンサンブルで楽しむことが大切です。
やわらかなバッハの会は既成概念にとらわれず、自分自身の判断で音楽の本質を探究するところです。


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音楽の構造が良く解る










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<イコール式の意味>
*12等分平均律の鍵盤楽器においてはどの調も同じ(イコール)です *フーガの各声部は主従関係ではなく対等(イコール)です *12等分平均律の調律法はイコール・テンペラメントと言います *音名と階名が同じ(イコール)読み方です
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