やわらかなバッハの会

先入観念にとらわれることなく、自由にバッハの音楽を楽しむ会です。
イコール式音楽研究所

バッハが自身の手で移調した作品

《G線上のアリア》 は 《管弦楽組曲第3番 ニ長調》 の中の一曲を、ヴァイオリンとピアノ用に編曲して広く知られるところとなった。編曲にあたってニ長調の管弦楽組曲をハ長調に移調した。このような後世の音楽家によるバッハ作品の移調や編曲は枚挙に暇がない。
しかし、今回は、後世の音楽家によるものではなく、バッハ本人が自身の手で移調した作品だけを挙げる。

BWV 232 《ミサ曲 ロ短調》 の第17曲「十字架につけられ」 ・・・・・ へ短調 → ホ短調
  カンタータ 12番 「泣き、嘆き、憂い、怯え」の第2曲 からミサ曲ロ短調の「十字架につけられ」に転用する  際にバッハはへ短調からホ短調に移調した。

BWV 243  《マニフィカト ニ長調》 ・・・・・・・ 変ホ長調 → ニ長調
  クリスマス礼拝用に最初は変ホ長調で作られたが、他の祝日にも演奏できるものに作りる際に、トランペッ  トがよく響くニ長調に移調した。変ホ長調は♭3個、ニ長調は♯2個、この2つは非常に隔たった調であるが、  バッハは移調した。

BVW 515 《パイプにおいしいタバコを詰めて》 ニ短調 → ト短調
  息子のハインリヒが作ったニ短調の旋律(BWV 515a)を母親のアンナ・マグダレーナが筆写し、バッハがバ  スを加筆する際にト短調に移調した。

BWV 594 《オルガン協奏曲 ハ長調》 ニ長調 → ハ長調
  ヴィヴァルディの《ヴァイオリン協奏曲 ニ長調》 を編曲する際にハ長調に移調した

BWV 831 《フランス様式による序曲 ロ短調》・・・・・ハ短調→ロ短調
  この曲は 《イタリア協奏曲 》 BWV 971 とともに 「クラヴィーア練習曲集第2部」を構成する作品。ヘ長調の   《イタリア協奏曲》と三全音の関係におかれているが、これは両者の対立を強調するための、出版時の工夫  と思われる。なぜなら、アンナ・マグダレーナの手で書かれたハ短調の筆写譜があるからだ。
  
BWV 846 〜 893 《平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第2巻》
  全曲が一度に書き下ろされたものではなく改訂の手を加えて編纂されたものである。曲集を編纂するにあ   たり、移調して収録された曲もみられる。主として遠隔調の曲がそうである。先に簡単な調で作曲したものを  半音上げるか下げるかの移調を試みたものが多い。

BWV 946 《フーガ ハ長調》 ・・・・・・・変ロ長調 → ハ長調
  主題はアルビノーニのトリオ・ソナタ 変ロ長調からとられた。

BWV 976 《協奏曲 ハ長調》・・・・・・・・ホ長調 → ハ長調
  ヴィヴァルディの 《調和の霊感 第12番》、ヴァイオリン協奏曲とチェンバロとオルガン用に編曲した。その  際バッハがハ長調に移調した。

BWV 978 《協奏曲 ヘ長調》 ・・・・・ト長調 → ヘ長調
  同じく 《調和の霊感》からの編曲

BVW 1030 《オブリガート・チェンバロとフルートのためのソナタ ロ短調 》 ・・・・・ト短調 → ロ短調
  移調の際と思われる3度音程の書き間違えが自筆総譜に散見されることから、もとはオーボエ用としてト短  調で書かれていた可能性が高い。 

BWV 1053  《1台のチェンバロのための協奏曲 第2番 ホ長調》 ・・・・・変ホ長調 → ホ長調
  バッハは 1726年に 《オーボエ協奏曲 変ホ長調》 を一端、ホ長調のオルガン協奏曲に編曲し、更に加   筆修正してチェンバロ協奏曲として完成させた。

BWV 1056 《チェンバロ協奏曲 第5番 へ短調》 ・・・・ト短調 → へ短調
  2楽章の有名な美しいラルゴはへ短調の平行調の変イ長調である。この協奏曲は2つの協奏曲からの組み  合わせで成立したものである。両端の速い楽章はおそらくヴァイマル時代に書かれたト短調のヴァイオリン  協奏曲にさかのぼる。これに対して2楽章のラルゴ変イ長調はカンタータ 156 番 「わが片足すでに墓穴に  入りぬ」の第1曲「シンフォニア ヘ長調」のオーボエのソロに豊かな装飾を加えてチェンバロ協奏曲に転用  した。その際ヘ長調から変イ長調に移調した

BWV 1057 《チェンバロ協奏曲 第6番 ヘ長調》・・・・・ト長調 → ヘ長調
  この曲は《ブランデンブルク協奏曲 第4番 ト長調》 のヴァイオリンパートをチェンバロに書き換えたもので  あるが、その際ト長調からヘ長調に移調した

BWV 1060 《2台のチェンバロのための協奏曲 ハ短調》 ・・・・・ニ短調 → ハ短調
  原曲は 《オーボエとチェンバロのための協奏曲 ニ短調》である 



<バッハ自身の手による移調が疑われるもの>

BWV 539  《前奏曲とフーガ ニ短調》・・・・・ト短調 → ニ短調
  BWV 1001《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第1番》のフーガの編曲に、手鍵盤のみによるプレリュードを加え  た

<アンナ・マグダレーナ・バッハ の手による移調>

 BWV 82  《カンタータ 82番 われは満ち足れり》 ・・・・ハ短調 → ホ短調
    レチタティーヴォ 「Ich habe genug!」はハ短調をホ短調に移調して 《アンナ・マグダレーナ・バッハの     ためのクラヴィーア曲集》に収めた。
    同じく アリア 「Schlummert ein,ihr matten Augen」 は変ホ長調からト長調に移調して同曲集に収め     た
以上

ミサ曲ロ短調

鈴木雅明率いるバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)は今年創設25周年を迎えた。2013年にはバッハの《教会カンタータ》全曲録音を完成させるなど世界的な高い評価を受けている。

2015年7月28日バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)は第45回サントリー音楽賞受賞記念コンサートにおいて《ミサ曲ロ短調》を演奏した。この7月28日は後で述べるが重要な日である。

鈴木は言う。「ミサ曲ロ短調はバッハの作品群の集大成である。その理由は緻密な対位法を駆使していること、もう一つはラテン語の歌詞を使ったこと」

「ラテン語の歌詞を使ったこと」とはどういう意味か。
バッハはルター派教会に属し、プロテスタント信仰を持っていた。プロテスタント教会ではルターによるドイツ語聖書が用いられ、膨大な曲数の「教会カンタータ」はすべてドイツ語の歌詞である。一方カトリック教会ではラテン語典礼文に基づくミサが演奏され、すべてラテン語の歌詞である。プロテスタント信者としてのバッハが、ラテン語の歌詞を書く必要は全くないばかりか、むしろプロテスタントらしからぬ、よくないことになるのではないだろうか。
にもかかわらず、バッハは39歳から65歳で没する間際まで断続的にラテン語の歌詞を書き進めた。
ラテン語の歌詞を使うことがバッハの作品群の集大成なのか?
生前に《ミサ曲ロ短調》全曲が演奏された形跡もなく、作曲の目的に関する謎が深まるばかりである。

この点について鈴木は次のように主張する。
「バッハがラテン語の歌詞を使ったのは、カトリックとプロテスタントの垣根を超える共通語を意識したからだ。普遍的なものへの希求を最も感じさせる音楽」と。

私は拙著《やわらかなバッハ》 (2009年 春秋社)の”あとがき”として、この点について述べている。
「死を覚悟した時にバッハが書いたのは、《ミサ曲ロ短調》のクレド以降の部分だった。ドイツ語ルター派の会衆には、ラテン語のミサ曲は理解できないにもかかわらずである。バッハはカトリックに改宗したのではなく、プロテスタントとカトリックの融合、超時代性、超地域性をミサ曲というジャンルで集大成しようとしたのである。《ミサ曲ロ短調》は異なった宗教観を克服した世界平和へのバッハの最後の祈りと言うことができるだろう」

バッハ・コレギウム・ジャパンによる 《ミサ曲ロ短調》 の公演が行われたのが7月28日、この日がバッハの命日であることをうたっての演奏会であった。バッハの命日が一般に意識され始めたことは、私には喜ばしいことに思えた。

何故なら、わがイコール式音楽研究所は、2年前の2013年からバッハの命日を記念してバッハ礼讃音楽会を開催しているからだ。この音楽会はバッハの命日を意識して7月28日に一番近い日曜日と決めた。バッハが亡くなった日 1750年7月28日は、西洋音楽の分水嶺をなす日であり、1作曲家が亡くなった日というにとどまらないのではないか。バッハの誕生日を記念して世界中でバッハが演奏される 「バッハ・イン・ザ・サブウェイ」 の運動にも通じるのではないだろうか。

バッハ・イン・ザ・サブウェイ

バッハ・イン・ザ・サブウェイとは、NYのチェリストから始まった世界的ムーブメントで、J.S.バッハの誕生日3月21日に、プロアマ問わず街中でライブを繰り広げ、多くの方にバッハの音楽をお届けする運動です。

この運動は2010年3月21日、すなわち5年前のJ. S. バッハの誕生日、 チェロ奏者デール・ヘンダーソンが、ニューヨークの地下鉄ホームでひとりバッハの 《 無伴奏チェロ組曲 》 を弾き始めたことから起こりました。

地下鉄が走る喧騒の中にあってさえも、その音は道行く人の心を自然ととらえ、多くの人が足を止め、ほぼ初めて身近で聴く生のチェロの音色に感動を覚えたのです。地下鉄で偶然デール・ヘンダーソンが奏でるチェロの音色を聴いた多くの人は、300年前のバッハの音楽がときに鮮烈でときに温かく響き、たった一台のチェロからまるでオーケストラのように音が流れ重なっていくことに驚きました。

居合わせた人々は彼にチップを払おうとしますが、彼はそれを受け取らず、 かわりにポストカードを配りました。 そこにはこう書いてありました。

「偉大なる”音楽の父”ヨハン・ゼバスティアン・バッハの誕生日を祝って、今日は一日中バッハの音楽を奏でます。
音楽に対する愛と敬意を街ゆく人々と分かち合い、クラシック音楽を育む次世代につないでいくために」



たった一人のチェロ奏者から始まったこの運動は2015年の誕生日には世界50都市以上に広がりました。
来年は更に増えることでしょう。

調性格はお伽話

バッハの時代の調律法はミーントーンが一般的だった。
この調律においては、調号にシャープやフラットが沢山付く遠隔調は、極端な響きになり、使用することが難しかった。使えるのはシャープ、フラット3個ぐらいまでの調に限られていた。

ところが、バッハが理論上考えらるすべての調に挑戦し、《平均律クラヴィーア曲集》という歴史的金字塔を完成した。この時代はバッハだけではなく、同じようなことを試みた作曲家もあった。例えば

.泪奪謄哨鵝Johonn Mattheson 1681〜1764)
《規範的オルガニストの試験》:Exemplarische organisten-Prove 1719

▲肇薀ぅ弌次Johann Philipp Treiber1675〜1727)
《一風変わったインヴェンション:全ての音、和音、拍子記を用いた一つのメロディーによるアリア》
        :Sonderbare Invention : eine Arie in einzigen Melodey aus allen Tonen und Accorden         auch jederley Tocten zu componiren 1702

《通奏低音における正確なオルガニスト》 Der accurate Organist im General-Bass 1704

キルヒホフ(Gottfried Kirchhoff 1685〜1746)
《ABCムジカル:全ての調によるプレリュードとフーガ》 :L’ABC musical : Plaeludia und Fugen aus allen                                     Tonen (消失)


ミーントーン調律と違って、24すべての調が演奏可能な調律においては、美しく響く調と、極端に響く調という差異が薄れ、必然的にどの調も似たりよったりとならざるを得ない。その結果、何調という音階終止音による違いは薄れ、長調か短調かという違いのみになる。

ケラー(Hermann Keller 1885〜1967) は「平均律クラヴィーア曲集以来ようやく、調の性格と言う問l題が純粋に精神的なもの、作曲者と演奏者のなかにのみ存する問題となったのであった」と述べた。

前述のマッテゾンは後に、「どんな調もそれ自体ではその逆を作曲し得ないほど悲しかったり楽しかったりする事はない」と述べ、『新管弦楽法』で述べた調性格論を後になって自ら取り下げている

ゾルゲ(Georg Andress Sorge 1703〜78)はマッテゾンが『新管弦楽法』で述べた調性格論に対して、「調のアフェクト(情念)を述べる場合は、長調は楽しく愉快な感情に適し、短調は悲しく憧れに満ちた感情に適していると言えるだけである」と嘲笑した。

理論上考えられる24すべての調が自由に弾ける調律を、今、我々は使っている。したがって、調による性格の違いはお伽話の域を出ないのである。
どの調も同じという意味で”イコール式”と名付けた鍵盤楽器教授法は新しい教育法である。

作曲家が選ぶ時

一般に作曲家が調を決定する際、どのような要因が考えられるだろうか?
概して次のような要因から決定されるのではなかろうか。

1)古典から学んだ既成概念
2)個人的な感覚、気質
3)楽器の特質、
4)音域の制約

1)古典から学んだ既成概念について

バッハという作曲家を例にとるならば、彼にとっての古典とは教会旋法ということになる。バッハは教会旋法を近代和声学として集大成した作曲家であり、バッハの作品は教会旋法と近代和声学が混在している。

教会旋法においては、各旋法の音階構造が異なるので、旋法ごとに性格が違うのは当然である。しかし同じ旋法の中で音階終止音が違っても性格は変わらない。例えばドリア旋法はド調ドリア、レ調ドリア、ミ調ドリアと言う具合に音階終止音がいろりろ考えられるが、音階終止音が変わっても調の性格はドリア旋法である。音階終止音がいかに変化しようと、音階構造が同じである以上、性格は不変である。

イオニア旋法は近代和声学における長音階に匹敵するが、これも同様に、ド調イオニア、レ調イオニア、ミ調イオニアといろいろな音階終止音が考えられるが、調の性格はすべてイオニア旋法である。

近代和声学では、ド調イオニアのことを、音階終止音がドである長音階という。ド調イオニアはハ長調、レ調イオニアはニ長調、ミ調イオニアはホ長調である。
ハ長調、ニ長調、ホ長調とどのように音階終止音が変わろうとも、調の性格はイオニア=長調という不変のものである。

にもかかわらず、ハ長調、ニ長調、ホ長調がそれぞれ異なる性格だという思い込みがあるようだ。どれも同じ長調の音階なのに既成概念にとらわれて調性格が異なると思い込んでいるようである。再三述べたように、鍵盤楽器で演奏する限り、異名同音がある限り、調性格の違いはない。12等分平均律では当然であるが、不等分音律では違いがあるという意見もあるだろう。これについては 2)個人的な感覚、気質の項で詳しく述べる。

今ここでは音階構造が同じであれば終止音がいかに変化しても調の性格は変わらないということを覚えておいてほしい。我々の近代和声学においては音階は長調と短調の2種類しかない。音階終止音としては12種考えられるが、その12種はすべて同じ性格である。長調1種である。

2)個人的な感覚、気質について

これについては、調性格の代表者マッテゾンが次のように述べている。
「調の性質について何か確実なものを定めようとすればするだけ、おそらく、意見の食い違いも表面化してくるように思われる。この問題をめぐる見解はほとんど数えきれないほどあるからである。その理由としてただ一つ考えられるのは、人間の体液の組成が一人一人非常に異なっていると言うことである。それゆえ、例えばある調を、多血質の人は楽しげで快活に感じ、一方、粘着質の人は、ものうく、嘆き、悄然としているように感じたとしてもまったく不思議はないのである」

例えばホ長調の調性格を比較してその意見の食い違いを確認しよう。

マッテゾン・・・絶望、死ぬほどの悲しみ
シューバルト・・・賑やかな歓声、満足感
フォーグラー・・・身を切るようにつらい
クラーマー・・・尊大さが目立ち癪に障る
シリング・・・燃えるような黄色、聖なる愛、率直さ
シュテファニー・・・火花を散らす、明るい、純金
ミース・・・耳をつんざくような、優雅な、愛らしい
ベック・・・精神的な温かさ

このようにホ長調という調の性格は8人8様で、何の共通性も感じられない。
例えば《平均律クラヴィーア曲集》にあるホ長調を比較するだけでも、全く共通性が無いことがわかる。

1巻9番ホ長調プレリュード=平安な牧歌的情緒
  ”      フーガ    =熱烈な青春の喜びが奔流となって躍動している
2巻9番ホ長調プレリュード=穏やかな淡い光、洗練された美しさ
  ”      フーガ    =パレストリーナ様式の厳かな宗教合唱曲風 

調性格を考える得る場合、調律法が不等分音律であることが前提となる。なぜなら不等分でないと微妙な響きの違いが出ないからである。12等分平均律の響きはどこをとっても均一である。多少なりとも響きの違いを得るためには不等分音律でなければならないのだ。

バッハの時代は不等分音律の一つであるミーントーンが主流だった。ミーントーンはハ長調、ト長調といった調号の少ない調は綺麗に響くが、変ニ長調、嬰へ長調といった調号の多い調は聞くに堪えない響きとなる。
そのため、バッハの時代には、♯♭3個ぐらいまでの調しか使えなかった。

そのような時代にあって、バッハは理論上24すべての調が聞くに堪える響きとなる独自の調律法を考案した。その独自の調律法でもって24の調を演奏した。24の調を網羅した《平均律クラヴィーア曲集》を演奏した。それは音楽史上画期的なことであった。♯♭3個までの調だけではなく、♯♭6,7個の調まで使える調律は、純正の綺麗な響きを少し不純に、聞くに堪えない響きを純正に近づけて、どの調も平均的な響きにならざるを得ない。つまり24すべての調が弾けるためには12等分平均律に限りなく近い調律法にならざるを得ないのである。
12等分平均律に非常に近いということは、調による性格の違いはほぼ無いということである。

よってバッハの《平均律クラヴィーア曲集》は不等分音律といえども、12等分平均律に非常に近いものであり、調による響きの違いは殆どないということである。

1)古典から学んだ既成概念、2)個人的な感覚、気質 の考察からいえることは、バッハの《平均律クラヴィーア曲集》は長調と短調2種の性格があるのみで、音階終止音が異なるだけである。調性格は2種類しかないと言うことが理解できるであろう。《平均律クラヴィーア曲集》に24種類の異なる調性格があると思うのは根拠のない固定観念に過ぎない。










マッテゾンが調性格を否定

マッテゾン(Mattheson 1681〜1764)は 『新管弦楽法』 の 「各調の性質とアフェクト表現上の作用について」 という項目のもとに調性格論を展開した。これは彼自信が認めるようにあくまで 「私論」 であり、各調がそれぞれ絶対的な性格を有するという見解にマッテゾンは懐疑的であった。

その証拠に、彼は 『完全なる楽長』 において 「調の性質については、何も絶対的なことを言うことはできない。なぜならば、どんな調もそれ自体では、その逆を作曲し得ないほど悲しかったり楽しかったりすることはできないからである」 と述べている。

マッテゾンの調性格論を見ると24の調のうち7つの調については記述がない。♯♭の多い7つの調である。これらは当時使われてなかったので触れられてないのだろう。このことから、マッテゾンの調性格論は、ミーントーン音律に近いと考えられる。

つまりマッテゾンはミーントーン音律においてすら、絶対的な調性格は存在しないと言っているのである。ましてや24の調のすべてが演奏可能な音律においては、調性格の存在のしようがない。

マッテゾンとバッハは同時代であり、教会旋法と近代長短調の移行期に2人は位置する。
マッテゾンが述べたのは近代長短調の調性格であるが、次にプリンツ(Prinz 1641〜1717) が述べた教会旋法の特有な性格をあげてみよう。

イオニア旋法・・・・・・・・陽気で活発
ドリア旋法・・・・・・・・・・・温和、敬虔
フリギア旋法・・・・・・・・非常に悲しい
リディア旋法・・・・・・・・過酷、不親切
ミクソリディア旋法・・・・陽気、いくらか穏健
エオリア旋法・・・・・・・・穏健、優しい、いくらか悲しい

教会旋法においては、例えばイオニア旋法とドリア旋法は音階が全く違う。だから調の性格も違う。教会旋法には6種類の音階が存在するからこそ、6種類の調性格が存在する。

近代長短調においては長調と短調の2種類の音階しか存在しない。だから2種類の調性格しかない。
ハ長調、ニ長調、変ホ長調などと言ってあたかも違う調ように思われがちだが、これらはすべて長調という同じ音階である。ただ音階開始音が違うのみである。

長調と短調という2つの音階が、音階開始音の違いだけで24種類もの調性格があると考えてはならない。
特に鍵盤楽器においてはこのことを銘記する必要がある。なぜなら鍵盤楽器は、異名同音だからである。長3度と減4度は、音楽理論上では明らかに異なる音程であるが、鍵盤上では同じ鍵盤だからである。鍵盤楽器においてはどんな達人でも、長3度と減4度などの異名同音を弾き分けることは不可能である。この点が弦楽器などとは違うところである。

バッハの代表作の一つ 《平均律クラヴィーア曲集》 を移調によってより解りやすく弾くことのできる 《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》 は、大きな音楽的成長をもたらすだろう。移調することに抵抗のある方は以下のことをもう一度考えてみて欲しい。

1、バッハ自身が移調して編集した曲も入っている《平均律クラヴィーア曲集》
2、同一調なのに全く性格の異なる曲が多い《平均律クラヴィーア曲集》
3、ウィーンのシュテファン大聖堂の楽長、ベートヴェンやチェルニーの教師であったアルブレヒツベルガーが   編集したウィーンの移調譜は《平均律クラヴィーア曲集》の中の遠隔調を移調して♯♭の少ない調にしたも   のである。
4、バッハの弟子たちの筆写譜に移調したものが見られる
5、その他、バッハは前に作った曲を他の曲に転用する際、頻繁に移調している
6、ピッチの変動を考えるとバッハの時代は現代より約半音低いので、《平均律クラヴィーア曲集》 の全24曲   を半音低い調に移調すべきであるが、元の調で演奏しているのは絶対音感的発想の矛盾である。





長3度と減4度は同じ鍵盤

「ドーミ」は「ドレミ」と全音が3つ分だから長3度という。

では「 ド」 の代わりに 「シ♯」を使って「シ♯ーミ」と書くとどうなるか?
ピアノには「シ」の ♯ たるべき黒鍵がないので「シ♯」は白鍵の「ド」になる.
「ド」と「シ♯」は 異名同音である。
従って「ドーミ」と「シ♯ーミ」はどちらも同じ音程だ。あくまで鍵盤上では。

実は「ドーミ」と「シ♯ーミ」は、鍵盤上では同じ音程であっても、音楽理論上では異なるのだ。
「ドーミ」は長3度、「シ♯ーミ」は減4度である。長3度と減4度は鍵盤上では同じ鍵盤を弾くしかない。
しかし音楽理論上では異なる音程であるし、声楽やヴァイオリンなどは「ドーミ」と「シ♯ーミ」を異なる音程でもって弾き分けることができるのだ。

音楽理論上では、長3度は協和音程、減4度は不協和音程である。同じ音程なのに、一方は協和、他方は不協和。
このような音楽理論と鍵盤上の音の矛盾が存在する。

ここで「シ♯ーミ」の減4度を含むフーガを探してみると 《平均律クラヴィーア曲集》の第1巻4番、ハ短調フーガのテーマが思い浮かぶ。
減4度音程 「シ♯ーミ」を含むテーマは重苦しく、十字架を背負って喘ぎながら歩く姿などと考えられがちである。
しかし鍵盤楽器で弾くと、重苦しいはずの減4度が、同時に明るい長3度でもあるのだ。かくのごとき大きな矛盾が鍵盤楽器には存在する。

バッハが独自の調律法でもって 《平均律クラヴィーア曲集》を演奏したとき、このテーマの減
4度をどのような音程で演奏したのか興味深い。
因みに主要な音律における鍵盤楽器の長3度=減4度のセント値を以下に示す。

中全音律・・・386セント(純正)
キルンベルガー機ΑΑΑ386セント(純正)
ヴェルクマイスター掘ΑΑ390セント
12等分平均律・・・・400セント
ピュタゴラス・・・・408セント

バッハの独自の音程はどの音律に近いのだろうか。バッハの音程が純正に近くても遠くても「ドーミ」と「シ♯ーミ」が同じ鍵盤である以上、同じ音程であることにかわりはない。

鍵盤楽器の同じ音程をして、長3度は明るい、減4度は重苦しいなどと区別するのは甚だ滑稽である。
今日のピアノが12等分平均律だから滑稽なのではない。
不等分音律の場合においても、長3度と減4度の音程は同じである。不等分音律においても長3度と減4度の違いを右顧左眄することは滑稽である。同じ鍵盤を弾くからである。
声楽やヴァイオリンならば、長3度と減4度を区別することができるが、鍵盤楽器は調律法の如何にかかわらず、区別することは不可能である。



バッハの原体験

私は子供の頃、父とよくピアノ連弾をして遊んでいた。正確にいえばピアノソロ曲を2人で弾いて遊んでいたというべきだろう。本来一人のピアニストが弾くべきピアノ曲を2人で弾いていたのである。ピアノの楽譜は2段楽譜なので、父は上段を、私は下段という具合に分担して弾くという方法である。2人合わせれば立派な曲になるのだった。この方法なら結構難しい曲もラクに弾けた。
ブルグミュラー、ソナチネ、ソナタ、インヴェンション、シンフォニアなどのピアノレッスン用の曲や、いろいろな作曲家のピアノピースなどを父との分担奏で楽しんだ。時間の経つのも忘れて興じていたが、中でも特にバッハのフーガは楽しかった。

父は技術開発の研究者で、楽譜は読めたが、ピアノはほとんど独学だった。父は大学と大学院で学生オーケストラに所属しクラリネットを吹いていた。当時、学生オーケストラの指揮者はあの朝比奈隆である。朝比奈隆は京大の学生オーケストラからプロになった異色の指揮者で、大阪フィルハーモニーを設立し、大阪音楽大学で教鞭をとり、ブルックナーの指揮者として世界中に名を馳せた。92歳まで現役の指揮者として活躍し、音楽界では初めての文化勲章受賞者になった。父は朝比奈隆の後輩にあたり、毎年のOB演奏会には喜々として出かけていた。また父は、仕事で海外に行くことが多かったので、町々のオーケストラを聴いて回り、その様子を家で話してくれたものである。

このように音楽好きの父との連弾で最も楽しかったのはバッハのフーガであった。子供だった私には、なぜバッハにそれほど心を奪われるのか、その理由はわからなかった。音楽理論も何も知らない子供と、音楽家ではない父とのたわいもない連弾であったにもかかわらず、バッハのフーガは格別の響きがして恍惚となるのだった。バッハのフーガだけは、曲の終わりまで弾いてくるとまた曲の頭から繰り返したくなるのである。それは本能的な要求だった。バッハの音響にいつまでも浸っていたいような、法悦、至福といった感覚だった。バッハだけは何度繰り返しても飽きるどころか、何度でも永遠に繰り返したくなるのであった。

シュヴァイツァーの言葉に「バッハのフーガを練習したことのある子供は、その際どんなに機械的に行われたにせよ、声部進行を目のあたりに学び取るのであり、この直感はもう2度と消し去られることはないであろう。そのような子供はどんな曲にも同様な音響の線による尊厳な動きを本能的に求めるようになり、その欠如を貧しさと感ずるであろう」というのがある。
子供のの頃、私はまさにこのシュヴァイツァーの言葉と全く同じことを感じていたのだ。
この直感が、私の原体験である。私はこの厳かで高貴なハーモニーがどこから来るのか、バッハが語り書けてくるものを虚心に受け止めたいと思った。それがバッハ研究の原動力になっている。








音楽の本源

サンマリノ共和国の特命全権大使をしているマンリオ・カデロ氏が天皇皇后両陛下とのご陪食の際、耳にされた音楽についての話である。
カデロ氏はある日の昼12時から約3時間、天皇皇后両陛下と食事を共にされた。(以下原文通り)

食事が始まると、陛下が皇太子時代にサンマリノ共和国にいらしたことがあるとおっしゃってくださいました。私の故郷のことを  〜   〜 おかげであっという間の3時間でした。

楽しく過ごさせていただきましたが、その間、部屋の中にはずっと静かに心地よい音楽が流れていました。私は音楽が大好きです。日本のオーディオはさすがに素晴らしいと思い、不躾にも陛下に質問をしました。

「この部屋に流れている音楽はとても素晴らしく感動しました。どのようなアンプとスピーカーを使われていらっしゃいますか。恐れ入りますが拝見させていただけないでしょうか」

すると陛下はにっこり微笑まれて、カーテンを開けてくださいました。するとそこには小さなオーケストラがいたのです。こんな素敵はおもてなしはあるでしょうか。私は感動して思わず拍手をしてしまいました。同席した他の大使も同様です。

他国の王室でも生演奏でもてなすことはありますが、オーケストラを隠すようなことはせず、むしろ客人に見せるようにするでしょう。もしかすると陛下は、オーケストラが見えると、私たちが演奏の終わるたびに拍手をしなければいけないからと気遣ってくださったのではないでしょうか。(以上)


カデロ氏は、カーテンに隠れての生演奏という陛下のお心遣いに感動された。普通の演奏会ならば、オーケストラは客より一段高いステージで、スポットライトを浴び、客からの拍手も要求する。たとえ食事のBGMとしてのオーケストラでも、カーテンに隠れて弾くようなことはまずないだろう。一般常識では考えられないような、おもてなしに感動されたカデロ氏の感性は素晴らしいと思う。そして何より天皇皇后両陛下が素晴らしい。

天皇皇后両陛下と同じような心遣いを音楽に示した作曲家にサティー(Satie 1866~1925)がいる。
彼は「家具の音楽」や「壁紙の音楽」を主張し「音楽界の異端児、変わり者」と呼ばれた。しかし、ドビュッシーもラヴェルも 「サティーによって作曲技法が決定づけられた 」 と公言して憚らないほど音楽家達に多大な影響を与えた。

例えばサティーは 《ヴェクサシオン》 という曲の冒頭に 「このモチーフを連続して 840 回繰り返し演奏するためには、あらかじめ心の準備が必要であろう。最も深い沈黙と真摯な不動性によって」 と記した。
《ヴェクサシオン》 のモチーフは、4分と8分音符の6小節分ほどであるが、勿論小節線などはない。これを 840 回繰り返すと 18 時間はゆうにかかる。これだけ無限に繰り返せば、ちっぽけな演奏表現や個人的な感情や思想などはどこかにふっとんでしまう。無色透明のフィルムを映すスクリーンのように、時間空間を超越する。ただ白い光だけの世界になっていくだろう。

サティーの影響を受けた作品には

演奏時間 639 年・・・ジョン・ ケージ 《ASLSP》

”       336 年・・・ シュトックハウゼン《336年》

”      102 年・・・ ノールハイム《Poly-Poly》

”      5 年・・・・ 小杉武久《革命のための音楽》

”      12 日・・・ ヤング《12日間のブルース》

”      28 時間・・・ シュトックハウゼンのオペラ《光》

等があり、いずれもサティーの 《ヴェクサシオン》 の演奏時間より長い。
特にジョン・ケージの 《ASLSP》 は演奏終了まで 639 年もかかる曲だが、現在演奏が進行中。2001年に演奏が開始された。
この曲が終わるまで聞き届けることは不可能だ。肉体は朽ちるが生き続ける何かが確実にある。音楽が終わらないように。

”永遠の命” というテーマはサティーから新たに始まったわけではない。
バッハはフーガの中で ”永遠の命” を表現した。
バッハのフーガは最後まで弾くと曲頭に戻ってまた弾きたくなるという不思議な曲である。何度繰り返しても、いつまでも終わらない曲である。
バッハは無限に繰り返すことを、曲の内面から要求してくるのだ。”永遠の命” がバッハのフーガに内在しているのである。

またバッハのフーガは小節線があっても実質的には無いに等しい。なぜならフーガの同一のテーマが或る時は1拍目から、或る時は3拍目から出てくるという具合に拍節と無関係だからである。小節線を無視した形で
テーマが現われる。またテーマが拡大されたり縮小されたりすことでも小節線は無視される。

バッハは、ジョン・ケージの《 639 年 》よりもずっと長い無限というものを表現するといえないだろうか。




《平均律クラヴィーア曲集》の意味

《平均律クラヴィーア曲集》はバッハの代表作の一つで鍵盤作品の聖書ともいわれるが、何とも変わった表題である。
バッハはこの曲の表紙に古い独語で 「Das Wohltemperirte Clavier」と記した。これを英訳すると 「The Well-Tempered Clavier」となる。直訳すると「良い調律のクラヴィーア」 である。良い調律とは?クラヴィーアとは?
バッハはどのような意味でこれを書いたのか、そして、なぜ日本では「良い調律」ではなく「平均律」と訳されたのか? 疑問だらけである。

クラヴィーアとはラテン語のクラヴィス(鍵)から派生したもので鍵盤楽器全般を指す。従って《平均律クラヴィーア曲集》は鍵盤楽器の曲集であることがわかる。
鍵盤楽器といえば、オルガン、チェンバロ、クラヴィコード、フォルテピアノなどがある。とはいえ、《平均律クラヴィーア曲集》第1巻が成立した時点(1722年)ではクラヴィコードやフォルテピアノは楽器としてそれほど発達した段階にはなかった。
バッハは鍵盤作品を書くとき、オルガン曲を別にして楽器の名前を記すことはあまりなかった。《平均律クラヴィーア曲集》 《パルティータ》 《フランス組曲》 《イギリス組曲》 《インヴェンションとシンフォニア》 など特に楽器指定をしていない。
というわけで《平均律クラヴィーア曲集》のクラヴィーアがどの楽器を具体的に指すのかという解釈や選択は多様であり、演奏者に任されている。今日の鍵盤楽器奏者はピアノを選ぶものが最も多く、次にチェンバロである。珍しい例としてはロバート・レヴィンや野平一郎がいる。彼らは《平均律クラヴィーア曲集》を、オルガン、チェンバロ、クラヴィコードなどの楽器を使い分ける。それぞれの曲に最も相応しい楽器を選んで弾くのである。そうかと思えばルイ・ティリーのように、《平均律クラヴィーア曲集》の全曲をオルガンだけで、レジストレーションを変えることによって多彩な表現を可能にした演奏もある。

《平均律クラヴィーア曲集》 という表題の 「曲集」と言う意味は、1曲ではなく、1巻に24曲、2巻に24曲、合計48曲からならる。これらは理論上考えられるすべての調を網羅した記念碑的曲集である。なぜなら、バッハの時代は♯♭3個ぐらいの調しか使われなかったからである。

「クラヴィーア」と「曲集」の意味はこれで分かった。次は「平均律」という調律法の意味に進もう。


実は《平均律クラヴィーア曲集》というのが誤訳であるといわれるようになって久しい。つまり英訳や仏訳のように《良い調律のクラヴィーア曲集》と訳すべきで《平均律クラヴィーア曲集》と訳すのは間違っているという説である。今日、「平均律」と言えば「12等分平均律」を意味するが、バッハは「12等分平均律」を意図してなかったから《平均律クラヴィーア曲集》と訳すのは誤りだというのである。もしバッハが「12等分平均律」を意図していたならば「gleich schwebende Temperatur (同じように唸る)」 か 「zwolfstufige  Temperatur (12等分平均律) 」と書いたはずであるが、そのように書かなかったのは、「不等分音律」を意図していたからである。バッハが意図したのは「上手く調律された不等分な調律」であって決して今日にいう「平均律」ではないする説である。

以上が誤訳説の根拠とするところであるが、一概に誤訳と決めつけられるほど、事態は単純ではない。
バッハの時代は中全音律が主流であった。もしバッハが当時存在しなかった「12等分平均律」という言葉を知らなかったとしたらどうだろう。バッハは24すべての調の演奏を可能にする調律に対して単に「良い調律」と書いた可能性もあるだろう。
バッハがこの曲集において24のすべての調を演奏可能にするほどよい調律を意図したことは確かだ。
当時一般的だった中全音律では♯♭の多い調は極端な響きになってしまうので使い物にならない。だから24すべての調を演奏可能にする「良い調律」とは必然的に12等平均律に近づくことになる。厳密な12等分平均律ではないにしても、バッハは24すべての調が弾ける調律を意図したはずである。その調律に対してバッハは 「gleich schwebende Temperatur (同じように唸る)」や「zwolfstufige  Temperatur (12等分平均律)」という言葉を耳にしたことが無かった故に、表題として書けなかったかもしれぬ。
使用できる調が限られていた中全音律に対して、24すべての調が演奏可能な「一種の平均的に上手く調律された音律」という意味で「良い調律」と記した可能性もある。


当時すでに存在していたヴェルクマイスター音律は不等分音律でありながら24の調が演奏可能である。これも「一種の平均的に上手く調律された音律」という意味で「平均的調整律」という言葉が用いられていた。

つまり我々が「平均律」という言葉を使うとき、現代では「12等分平均律」の意味である。しかし24の調が演奏可能でしかも不等分な音律も存在するのである。微妙に不等分な「平均的調整律」は無数に考えられ、バッハの独自の調律も一種の「平均的調整律」である。

というわけで、「等分」にも 「不等分」にも 24の調が演奏可能な調律法は存在することがわかった。「等分」も「不等分」も24の調が演奏可能である限り、その調律法は非常に似てくるので、耳で聞いても大差はない。同じ不等分音律でも中全音律は、演奏可能な調が限られているので耳で聞いて大差がある。
24の調が演奏可能な音律と不可能な音律では大きな違いがあるのである。


《平均律クラヴィーア曲集》の表題において、バッハの意図した調律が等分か不等分かという問題については昔から議論が続いている。
バッハの死後すぐにマールプルクが、バッハの意図した調律は「等分」だと主張した。この意見がシュピッタに引き継がれ、シュヴァイツァーも「等分」を主張し、長い間、「等分」 が常識となっていた。
が、1947年にバーバーが「不等分」を主張した。バーバーの主張は、バッハは意図的に 「gleich schwebende Temperatur (同じように唸る)」 を避けて書いたのであり、バッハの調律は不等分であったというものである。以後、「不等分」説がにわかに有力になり、日本における誤訳説が少しづつ浸透していった。
ところが 1985年にラッシュの研究によって 「不等分」説が覆され、「等分」説がまた返り咲いた。
最近では1999年にシュパルシューが《平均律クラヴィーア曲集》のタイトルページ上部に書かれた螺旋渦巻き模様にバッハの調律の秘密が隠されていると言う説を唱えた。この螺旋渦巻き模様説は「不等分」であるから、またしてもひっくり返ったのである。

バッハが表題に書いた 「Wohltemperirte (良い調律)」律が 「等分」 か 「不等分」か、どちらに解釈してもよいと思うが、はっきりしていることは24すべての調が演奏可能な調律であることだ。それは必然的に「等分」か、さもなくば「等分」に非常に近い「不等分」ということになる。
どちらにしても、耳で聞いて大差はないだろう。大差のある「不等分」調律は、24のすべての調を演奏することができないからである。
バッハ定例会
第1日曜日 15:00 PM
第2金曜日 10:00 AM
第4土曜日 10:00 AM

第4回バッハ礼讃音楽会
日時:2017年7月30日(日)
午後2時
場所:山口県旧県会議事堂

富田庸講演会&公開レッスン
講演会:2017年9月9日 午後2時
公開レッスン:9月10日午前10時
場所:山口大学
大学会館1階大ホール
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<プロフィール>
鍵盤楽器の
新しい記譜法
「イコール式」を提唱

子供の頃、父と一緒に、バッハのフーガをピアノ分担奏で弾くことによって、声部進行を直感的に学び取った。爾来バッハの鍵盤作品の
とりこになった。

延べ400人の生徒のレッスンを通して、バッハのフーガを弾くことが音楽力を向上させる最も有効な手段であることを再認識した。
移調によって難易度を下げることで、ピアノの初心者も《平均律クラヴィーア曲集》に親しむことができる。

イコール式とは「鍵盤楽器においてどの調も皆同じ」という意味です。
なぜなら12等分平均律の鍵盤楽器における調性とは、ただ高さのみによって識別される2つの旋法、すなわち長調と短調の性格だけに限られるからです。
12等分平均律は勿論のこと、不等分音律を前提に論じたマッテゾンでさえも調性格の恣意性を指摘しています。
異名同音、ピッチの変動、バッハの手による移調の試みなどを考慮すれば、《バッハ平均律クラヴィーア曲集》の元調にこだわる必要は無くなります。簡単な調に移調して、まず親しむ方が大切なことです。
やわらかなバッハの会は既成概念にとらわれず、自分自身の判断で音楽の本質を探究するところです。
橋本絹代 著  『やわらかなバッハ』 春秋社
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<イコール式の意味>
*12等分平均律の鍵盤楽器においてはどの調も同じ(イコール)です *フーガの各声部は主従関係ではなく対等(イコール)です *12等分平均律の調律法はイコール・テンペラメントと言います *音名と階名が同じ(イコール)読み方です
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