やわらかなバッハの会 The Society of Soft Bach

先入観念にとらわれることなく、バッハの音楽に親しむ会です。
イコール式音楽研究所 所長 橋本絹代 Kinuyo Hashimoto

やわらかな発想で臨む

私の音楽の原点は小学生の頃の体験にあって、それはシュヴァイツァーの言葉と同様な体験であった。
――「バッハのフーガを練習したことのある子供は(その際どんなに機械的に行われたにせよ)声部進行を目のあたりに学び取るのであり、この直感はもう二度と消し去られることは無いであろう。そのような子供はどんな曲にも同様な音響の線による尊厳な動きを本能的に求めるようになり、その欠如を貧しさと感ずるであろう」――シュヴァイツァー

(その際どんなに機械的に行われたにせよ)という部分は特に大事である。なぜなら、作法を間違えて弾くと壊れてしまう曲もあるが、バッハはどのように弾かれても壊れない、機械的に弾かれても壊れない、我流で弾かれても壊れないからだ。

子供の頃、ピアノの愛好家だった父と一緒にバッハの曲を連弾で楽しんでいた頃の体験は忘れがたく、今でもあの貴重な体験が私の中に息づいている。「やわらかなバッハ」とは、まさにその到達した心境に他ならない。音楽を学ぶ上で、既成観念に囚われない自由な精神をモットーとするものである。

バッハを愛してやまなかった作曲家、レーガー(1873〜1916)は 「バッハはアカデミックに弾かねばならぬというのが、お偉い先生がたの合言葉になっていますが、演奏の本質に思いを致す時、この言葉を聞いただけで、私はときどき激しい怒りに襲われるのです」と言う。

父は子供にあまり極端な音大受験教育をさせようとしなかったが、今になって思うと、それは父の大学オ−ケストラの先輩、朝比奈隆(1908〜2001)の影響が大きかったのではないかと思う。朝比奈隆は大学の学生オーケストラの指揮者からやがてプロになり、最後には世界最長老指揮者として世界各国で活躍した。これまでに西洋音楽関係で文化勲章をもらったのは、山田耕筰と朝比奈隆の2人だけである。

朝比奈隆は言う――「スポーツのように体を動かせば良いと思われるようなものでも、アタマを使わなかったら負けてしまう。音楽もアタマを使え。アタマを使うとは自分で考えよということである。先生の言うことを鵜呑みにせず、自分で考える習慣を身につけると本当の意味で音楽が理解できるようになるものである」

作曲家ブラームス(Johannes Brahms 1833〜97)は言うーー「良い音楽家になるためにはピアノを練習するのと同じだけの時間を読書に費やさねばならい」

古楽オーケストラを立ち上げるた指揮者、チェロ奏者のアーノンクール(Nikolaus Harnoncourt 1929〜2016)は言う――「もはやすべてを定められたものとして受け入れることはない。不遜や誤解に満ちた伝統によって築かれた解釈の不確実性は、関心を抱くものの探求によって揺らいでいる」――

ウィーン三羽烏の一人、ピアニスト、音楽学者のパウル・バドゥーラ=スコダ(Paul Badura-Skoda 1927〜)は言う――「常識は幾つかの規則としてまとめられ、世界中の音楽学校で”標準の作法”として教えられています。しかしこのように普遍化された奏法がバロックの伝統に合致する保証は全くないばかりか、多くの奏法は粗雑な単純化がもたらした”思い込み”に過ぎないのです。正しい知識の断片や、資料の部分的な参照から導かれ、限定された事象にのみ適用可能な奏法が、その他すべてに通用するわけではありません。」

父は大学と大学院の間、学生オーケストラのクラリネット奏者として過ごし、社会人になっても仕事の合間に世界中のオーケストラを聴いて歩き、家庭ではピアノ演奏を楽しんでいた。父が時には我流でバッハの鍵盤曲を弾き込んだとしてもバッハの音楽は壊れない。バッハは弾き手の自由に答えてくれる。そして何度弾いてもまた最初から繰り返して弾きたくなる。バッハはそのような尽きせぬ魅力をもっている。バッハの音楽の魅力は、理屈抜きで子供にもわかる。大人の固定観念を刷り込まれる前にバッハと出会うことが大切ではないだろうか。




標準ピッチ

1523年に出たアーロン(Pietro Aaron 1480頃〜1550頃)の著作はハープシコードの調律法について、「最初のC音を任意のピッチに置いてよい」と教えた。また、1542年のガナッシ(Fontego Dal Ganassi 1492〜16世紀中頃)の著書は「弦楽器と声のピッチは作品や演奏能力に合わせて自由に変えて良い」と教えている。
つまりピッチは自由に変えてよいというのだ。楽譜に書かれた音符は音の動きを示してはいるが、実際の音の高さ=ピッチを示しているわけではなかった。ピッチというものは記譜された音と関係なく歌手の声域如何によってその都度決められていたのである。

ピッチと記譜された音符との関係に一種の標準ピッチが用いられるようになるのは16世紀末になってからである。とはいえ、当時の標準ピッチは教会ごとに、或いは街ごとに異なる多様なものだった。

19世紀になってもまだ多様な標準ピッチが共存しており、都市や演奏団体ごとに違っていた。1810年にパリのオペラ座の標準ピッチは a‘=423 であったが、やがて432にまで上昇した。歌手たちの反対運動がそれを426まで下げさせることに成功した。しかし、1830年にはまた元に戻ってしまい、その後さらに上昇を続けた。1859年にフランス政府の委員会は標準ピッチを a’=435 と結論し、これが法的効力を持つようになった。
ところが、ロンドンのコヴェントガーデンオペラでは、ピッチが450 にも上昇した。1895年のプロムナード・コンサートにおいて異常に高いピッチで演奏しようとした時、ソプラノ歌手と咽喉医の圧力でピッチを435に下げるという条件で開催にこぎ着けることができた。ロンドンの他の都市もこれに倣い、ヨーロッパとアメリカ大陸のピアノ製造会社もその後を追った。

20世紀になるとピアノ貿易協約に至るピッチに関する複雑な議論が交わされた。この議論は国際標準化機構に移され、機構は1938年の英国規格協会会議勧告に従い、標準ピッチをa’=440と勧告した。この 440 が
今日に言うところの標準ピッチである。世界的な標準ピッチがやっと決まった。それは1938年。1938年といえば、プロコフィエフがピアノ・ソナタ第6番を書いたころだ。ということはバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、ドビュッシー、ラフマニノフなどのピアノ作品は標準ピッチが決定される以前に成立した作品である。従って、私たちは作曲家が意図した高さと違うピッチで今日演奏しているかもしれないのである。
例えば、バッハの時代は今日より約半音低かったと言われている。バッハがハ長調で書いた曲を今日の標準ピッチで演奏すると、バッハの耳には半音高い調に聞こえたことだろう。バッハが意図したピッチで演奏するには、半音低いロ長調で弾かねばならないことになる。バッハが書いた調で弾くべきとの主張はピッチの上から考えても矛盾していることになる。

ピッチ

ピッチとは音の高さ、周波数のことである。オーケストラの演奏前にオーボエが a=440Hz をロングトーンで出して種々の楽器のピッチを合わせる。絶対音感教育で使用されるピアノも 同じ a=440Hz である。しかし近年のオーケストラでは輝かしい響きを求めてかピッチは上昇傾向にあり、 a=445Hz ぐらい高く合わせることもある。逆に古楽の世界ではa=415Hz ぐらい低く合わせる。a=440Hz のピアノによる絶対音感を身に着けた人達は、 a つまり 「ラ」 の音にどれくらいの幅まで許容できるのだろうか。こう考えると絶対音感教育は非絶対のように思われる。

芥川也寸志(1925〜98)は芥川龍之介の息子で戦後の日本を代表する作曲家の一人である。彼は「若い頃の標準ピッチが、自宅の住所、田端町435番地と同じ435Hzであった」と書いている。(芥川也寸志著 『音楽の基礎』 P.27 ) 彼の幼いころの日本には、未だ絶対音感教育のa=440Hz はなかったのであろう。

バッハが活躍した時代の18世紀はどうであったか。当時はコーアトーン と カンマートーン 2つのピッチ体系が存在していた。コーアトーンは絶対音感教育の a=440Hz より高く、カンマ―トーンは低い。世界標準音をa=440Hz と決めたのは最近のこと20世紀になってからである。バッハの時代に絶対音感の基準となる標準音もなかったし、絶対音感という概念すら無かった。それどころか、バッハの時代は街々によってピッチは違っていた。さらに時代をさかのぼると、歌手の都合の良いピッチが採用され、楽譜と実際の音の高さを一致させるという考え方は存在しなかった。

ここで平均律クラヴィーア曲集第1巻 3番 嬰ハ長調 プレリュードを例にとってピッチと調の関係について考えてみたい。
バッハの時代、嬰ハ長調はその効果があまりまだ知られていない調性の中に数えられ、バッハもこの調はWTC(平均律クラヴィーア曲集)でしか使用してない。何度も言うが、WTC(平均律クラヴィーア曲集)は理論上考えられるすべての調を網羅することが目的であって、調性格を確立する意図を14バッハは持ってなかった。平均律クラヴィーア曲集以外に嬰ハ長調で書かねばならぬ理由もなかった。当時一般的だったミーントーン調律で使用可能な調は大方14の調であった。嬰ハ長調を採用するにあたって、新たな調性格が作り出されたはずもない。嬰ハ長調はシャープが7個もついている高い調で、この曲は2つの声部が位置を交換しながら軽やかに舞い遊ぶ天使たちの輪舞のようである。もし、この曲を、電子ピアノのトランスポーズを使ってピッチを半音下げて演奏したらどうだろうか。勿論弾く楽譜はシャープ7個のままである。実はピッチを半音下げると古楽のピッチ、つまり丁度バッハの時代のピッチになる。演奏して出て来る音は絶対音感者の耳にはハ長調に聞こえる。しかし楽譜はシャープ7個で黒鍵ばかりの演奏である。絶対音感者はピッチ=調と考えているので、楽譜と鍵盤が嬰ハ長調でも耳はハ長調と感じるだろう。ピッチは歴史的に変動してきたことを先に述べたが、古来から調というものはピッチと無関係に存在してきた。調は楽譜と鍵盤の中に存在している。このことを忘れて、ピッチ=調と考えてしまう絶対音感者が多いようである。

現在はピッチと調を同一視する傾向が強くなってしまったが、ピッチと調は全く別の概念であることを忘れてはいけない。
さらに深刻な問題は、調の意味するものが現在の等分平均律に存在しないことである。ただ、ピッチによって区別される名目上の調が存在するだけである。等分平均律を前提にa=440Hz で覚え込んだピッチ感覚をもってして調を判別し、それがプロの持つべき優れた音感であり、調性格も聞き分けられると主張することは土台から崩壊している。さらに一層不可解なのは、相対音感者までがピッチと調を同一視することである。

絶対音感者は嬰ハ長調の曲を半音下げてハ長調のピッチで聞こえてくる場合、それを聞いて「嬰ハ長調はキラキラ輝く調性だが、ピッチを半音下げてハ長調になると、無関心であまり魅力のない作品になってしまう」と主張できるのだろうか。逆にピッチを半音上げてニ長調のピッチで聞こえてくれば「祝典行進曲風になった」と言えるのだろうか。否、もともと等分平均律はどの調も均等であり、ピッチ=調によって性格が変わることはないはずだ。確かにWTC(平均律クラヴィーア曲集)第1巻3番嬰ハ長調はキラキラした軽やかな曲であるが、それは嬰ハ長調というピッチに起因するのではない。どのピッチどの調で演奏してもキラキラ輝くのである。その原因は曲の性格そのものの中にある。

バッハは自作のカンタータを演奏する際、オルガンと他の楽器のピッチを揃えるためにオルガンのパート譜を移調した。なぜならオルガンは容易にピッチを変えられないので、楽譜の方を移調したのである。バッハが自由に移調したように、われわれも、もう少し自由に移調してよいのではないだろうか。



絶対音感

「絶対音感」はよく耳にする言葉であり、音楽家のパスポートとさえ考えている人もいるだろう。しかし、「相対音感」という言葉もあることをを知っている人は少ない。さらにプロや音大生は「相対音感」の方が多いと云うことを知っている人はもっと少ないだろう。「相対音感」は作曲家の方法であり、声楽など自分で音程を取る人達は「相対音感」が多く、自分で音程を取らないピアニストは「絶対音感」が多い傾向にある。

ピアノは等分平均律で調律されているので、このピアノの音程に即して覚える絶対音感は、等分平均律の音感を持つことになる。絶対音感保持者はピアノの音は勿論のこと、他の楽音、鳥の鳴き声、サイレンの音、コップをスプーンで叩いた音など、すべての音がピアノの鍵盤に匹敵して聞こえる。すべての音が「ドレミ」に聞こえる。とはいうものの、世の中のすべての音が、「ドレミ」の音程にドンピシャではない。「ミとファ」の間の音もある。絶対音感保持者の中には、1Hrz の違いごとに聞き分ける人もいれば、大体わかる程度の人もあり個人差が大きい。

我が国においては戦後急速に、絶対音感教育が盛んになった。日本人は皆、絶対音感が音楽の英才教育だと思い込み、全国の楽器メーカーの音楽教室や個人のピアノ教室で、さかんに 「C―E―G、ツェ・エー・ゲー」と和音を当てさせる教育が行われた。ピアノで乱暴に和音を叩き、等分平均律の音程を子供たちの耳に刷り込むことが行われた。

桐朋で使用されていた《子供のためのハーモニー聴音》は長年、版を重ねロングセラーになった。付録の和音表を見ると1番「ツェ・ーエー・ゲー」から始まり、416番「♯デー、♯エー、♯♯ゲー、♯ハー」まである。これを教育ママたちが、何番までわが子が覚えられたかを競い合い、その結果が音楽家への道につながると信じていた。《子供のためのハーモニー聴音》のはじめに「音感訓練の意味」とあり、そこには「絶対音感はこれからの音楽家にとって必須ともいうべき有利な条件で、音感訓練は少なくともその確実な取得を目標とすべきである」と書かれている。また、「現実にはよく調律されたピアノで十分である。a’音を正しく440振動とする。狂ったピアノでの訓練はむしろ誤った音感を養成する結果となり、その矯正は私たちの経験に徴しても一仕事だから、くれぐれも常に楽器を正しく調律しておくことに意を用いられたい」とある。これを信じて絶対音感教育は繰り広げられた。

《子供のためのハーモニー聴音》は1978年に、柴田南雄(1916〜96)他が編集したものである。彼は「音楽家に必要な能力はきわめて多面的で、たとえ和音聴音やソルフェージュにおいて能力が劣っていても、独創的な表現力を持ち、リズム感がすぐれ、演奏技術がひじょうに高ければ前者の欠をじゅうぶんに補うことができる訳で、音楽大学の入試などで聴音やソルフェージュの検定を重視して、その出来によって志願者をふるい落とす今日の傾向は行きすぎではないかと思う。もしこの本が過去においてそうした風潮に少しでも力を貸したとしたら、直ちに絶版にしてしまいたいと思うくらいである」と述べている。つまり絶対音感があれば聴音やソルフェージュは良い点が取れるが、それだけで志願者を選ぶのは問題であるというのだ。

《子供のためのハーモニー聴音》は、もともとピアニスト園田高弘(1928〜2004)の父である園田清秀が考案した「絶対音早教育」に「桐朋学園子供のための音楽教室」が注目し導入したものである。以後、同教室が日本における絶対音感教育の牙城となる。園田高弘は「絶対音教育」を受けた日本人第1号であるが、本人は「言葉ばかりが一人歩きしている」として、「絶対音感教育」とはあえて言わず、父親の命名に従って「絶対音教育」と言っていた。つまり、単なる絶対音がわかる教育であって、音感ではないという主張である。
それでも、後続の人達は園田高弘の真意を汲み取ることなく絶対音感教育に走り、「このCDはハ長調の曲がロ長調になっているから気持ち悪い」とか「相対音感で歌うのは頭が混乱する」と言うようになった。その陰で絶対音感を持ち得なかった人達は劣等感を持ち、自分が相対音感であることを隠すようにさえなった。

その後「桐朋学園子供のための音楽教室」は絶対音感訓練の行き過ぎに気づき、既に絶対音感と称するレッスンは止めている。室長の別宮貞雄氏(1922〜2012)は「私は絶対音感訓練の過熱が原因で教室をやめたのです」と語った。当時の生徒であったピアニストの青柳いづみこさんは師の別宮氏に尋ねた。「どうしてあんなに極端な教育をしたのか?」と。師は「我々は皆、絶対音感を持っていなかったので、それがすばらしいと思ってしまったんだね」と答えた。それを聞いて、青柳さんは「思ってしまうのは勝手だが、それで集団訓練された子供の身にもなってほしい。音の高さがすぐにわかるなどということは、専門教育を受けた人間にとってはごく当たり前で、別に特殊技能ともなんとも思っていないのだ。だから『持っている』ことをうらやましがられても困ってしまうし、勝手にコンプレックスを感じられたら、なお困る」と語った。また「二十世紀音楽のすぐれた演奏家を育成するためには役立ったかもしれないが、古典やロマン派など調性音楽を演奏する際にはむしろ障害になっていると思う」という見解も述べている。[最相葉月著 「絶対音感」文庫版解説より 新潮文庫]

現在でもまだ、無条件に絶対音感を絶賛する傾向はあるようだが、音楽家以外の人にその傾向は強い。音楽家の池辺晋一郎氏は「絶対音感は音楽性とは全く関係のない物理的な能力」と述べている。バッハは相対音感であった。バッハの時代には絶対音感という言葉すら存在しなかった。オルガンのピッチは教会ごとに違ったし、標準ピッチは街々によって違った。さらにさかのぼれば、書かれた音符と音の高さは無関係だった。歌手たちが、それぞれ歌いやすい高さで歌うのが当たり前だった。今日の絶対音感の基準となっている世界標準音440Hz=a'(1点ラ) はやっと20世紀になって定められたものである。
絶対音感は特にピアニストにとって大変便利なものである。しかし、あなたは絶対音を知りたいのか、音楽を知りたいのかと問われれば、音楽と答えるだろう。音楽は必ずしも絶対音とイコールではないことを知っておきたいものである。

移動ド読みは機能読み

「ドレミファソラシ」という名前(シラブル)にはそれぞれ固有の機能がある。「ド」は大黒柱の主音であり、残り6個のシラブルは「ド」に中心帰一する。「シ」はそのすぐ上にある半音を前もって感じさせる役割がある。これを導音と呼び「シ」は自分のすぐ上にある半音を主音として通告する役割を持つ。一方、「ソ」は完全4度上の音を主音として通告する役割を持つなど、シラブル固有の機能がある。

ハ長調の音階各音を7人家族に例えると、ド=お父さん、ソ=お母さん、ファ=長男  レ=おじいさん、ラ=おばあさん・・・・というように、個々の家族の苗字や名前は知らねど、「ド」と言えばお父さんだとわかる。どの家も、つまりどの調も、「ド」はお父さんだ。常にお父さんの役割は「ド」と呼ばれる。これが「移動ド読み」である。例えばト長調の場合は「ド」が5度高くなるので鍵盤名の「ソ」に移動する。音高や鍵盤名がどうであれ、お父さんを「ド」と読み、主音だとわかるのである。「ド」と読む音高や鍵盤名が色々な位置に移動するので「移動ド読み」というわけである。

対する「固定ド読み」は、「ド」と読む音高や鍵盤名が移動しない。「ド」と読む音高や鍵盤が固定しているから「固定ド読み」という。7人家族に例えるなら、「ド」と読みながら、その役割はお父さんだったり、お母さんだったり、調によって様々に変化する。従ってお父さんのシラブルが何かさっぱりわからない。お父さんなのに「レ」や「ソ」などと読むことになる。「固定ド読み」は、音高や鍵盤名読みであり、シラブルのもつ機能は反映されない。

一般的に、自分で音程を作るヴァイオリンや声楽は「移動ド読み」、鍵盤楽器のように押すだけで音程が作れる場合は「固定ド読み」が用いられ易いようである。
或いは単旋律は「移動ド読み」、同時に沢山の音符を奏する場合は「固定ド読み」が用いられると言ってもよいだろう。
しかし調性音楽は「移動ド読み」で理解されるべきであり、これを「固定ド読み」で演奏するのは作曲家の方法に外れるのである。無調の音楽ならば許されるというものだ。

我々は「移動ド読み」と「固定ド読み」の双方に「ドレミファソラシ」というシラブルを用いているが、「移動ド読み」では音階の機能を示し、「固定ド読み」では音高や鍵盤名を示す。意味内容の違うものを同じシラブルで読むという矛盾が生じている。例えるなら「「高い」という言葉を使っても「高い山」 か 「確率が高い」 か わからないようなものである 。「ドレミファソラシ」の混用は発案者のグィードも驚き開いた口がふさがらないというところだろう。グィードが発案した「ドレミファソラシ」は音高と無関係であり、「移動ド読み」だったからである。現在の「ドレミファソラシ」が音高や鍵盤名を示すということなどグィードは想像だにしなかっただろう。










音には過去・現在・未来がある

音楽を演奏するということはメロディーの一つの音から、次の音を思い浮かべ、思い浮かべた音を現実に発音し、直後に過去のものになるということの連続であります。次の音を思い浮かべるのは内的聴覚の働きです。音楽家にとって内的聴覚は生命線ともいえるべきもです。
内的聴覚の想像する未来が必ず現実化していくということが即ち音楽の演奏ということになります。想像する未来が必ず実現するという宇宙の法則は、音楽の演奏にも当てはまります。内的聴覚によって想像された未来の音が、正しければ美しい演奏となり、狂っていれば下手な演奏となります。内的聴覚の想像が極端な場合は「音痴」ということになります。

しかし、ここに一つだけ音楽の演奏についての例外をあげなくてはなりません。それは鍵盤楽器の演奏です。鍵盤楽器は内的聴覚で想像する未来の音が現実化しないのです。それは鍵盤楽器の名人をもってしても不可能なことです。だから鍵盤楽器は宇宙の法則に反しているといえるでしょう。鍵盤楽器において、現実化する音とは、あらかじめ調律師の定めた音です。ここで問題にしている「音」とは、音階の音程という意味です。音色やタッチではありません。この音程は演奏者が内的聴覚で想像する音ではありません。内的聴覚で正しい音を想像しようが、狂った音を想像しようが、全く無関係に、一定の音が出ます。鍵盤楽器においては優れた音楽家も「音痴」と言われる人も同様の結果を得ます。鍵盤楽器の演奏に関しては「音程の良い人、悪い人」という表現は当てはまらないのです。鍵盤楽器の音程に関して内的聴覚は作用しないのです。

このような鍵盤楽器特有の事情から、ピアニストは内的聴覚で未来の音を想像しない習慣がつき、往々にして指だけが鍵盤の上をバタつかせるタイピストになってしまいます。正しい音程を取れない人でもピアノは難無く弾けてしまうが、正しい音程の取れない人がヴァイオリンを弾くとどうなるか想像してみてください。あるいは歌を歌ったらどうなるか想像してみてください。
ヴァイオリンや声楽は正しい音程を取ることが最重要課題ですが、ピアノはその技術を必要としません。

ハンガリーの作曲家にして音楽教育者として有名なコダーイ(1882〜1976)は「内的聴覚が未発達なピアニストは、指だけで弾いているのであって、頭と心では弾いていないのです。彼らは音楽家ではなく、タイピストです。音楽大学はポンポンとピアノを鳴り響かせるだけの高貴なお嬢さんを入学させることを目指すわけにいきません。そんなお嬢さんたちは、以前は《乙女の祈り》を弾き、今日ならバルトークの《アレグロ・バルバロ》を弾くことでしょうが、それが音楽とは全く関係のない人達であることは昔も今も変わりはないのです。卒業証書の名目上の価値と、実際の価値とのギャップは、ますます大きくなっていきました。音大が卒業証書を出すことによって、それを受けとった人の能力を、はるかに超えた力量を証明したからです」と述べました。

コダーイの言葉は、特にピアノ科出身の人には耳の痛い言葉となっています。
音には過去・現在・未来があります。内的聴覚によって、過去の音から未来の音を想像し、想像した音を現在において発音し、直後にその音は過去のものとなるという一連の作業が音楽を演奏するということ、です。音楽の演奏とは想像した未来を現実化する作業に他なりません。想像できない音は現実化することもできません。この想像力が、宇宙の大生命の法則であり、それはあなたの中にあるのです。

バッハ礼讃音楽会

第3回バッハ礼讃(らいさん)音楽会を7月31日に開催しました。バッハの命日7月28日を記念して、毎年この時期に開催しています。バッハ礼讃音楽会は「バッハが礼讃したものを礼讃する音楽会」という意味です。けっしてバッハという人間を礼讃するものではありません。その理由を述べましょう。
コンサートにおいては、とかく指揮者や演奏家が讃えられがちですが、その音楽は彼らが作ったものではありません。バッハの時代と違って、現在のコンサートは過去の作曲家のもの、他人の作品を演奏することが多いものです。それならばコンサートにおいて讃えられるべきは演奏家ではなく作曲家なのでしょうか。否、それも違います。本来、音楽というものは音を通じて宇宙の波動、宇宙の法則のような 「或る聖なるもの」 を讃えているのではないでしょうか。それこそがバッハの礼讃したものであり、バッハの作曲姿勢でした。バッハが礼讃したものが「バッハ礼讃音楽会」の目的とするものです。

バッハのみならず、名を成した偉人たちは、それぞれの分野において、名もなく形も無く言葉で言い表せない「或る聖なるもの」に目覚め、それを讃えました。「皮相な見解」である儀礼的、経典的、学説的なものを除去した「或る聖なるもの」 を礼讃しました。
バッハは自己に執着する芸術家のような自己表現には一切の関心を持ちませんでした。バッハは自我を捨て、ごく当たり前の生活の中で淡々と音楽を生産しました。今日に言うところの芸術家とはかけ離れており、むしろ技術者と言えるでしょう。バッハの音楽は宗教宗派を超越した宇宙の法則のようなものであり、バッハは楽譜の最後に「ただ神の栄光のために」と度々書いています。キリスト教ルター派として一生を終えたバッハですから 「ある聖なるもの」 「宇宙の法則」 といったものを 「神」 という言葉で表現しましたが、彼の真意はキリスト教の「神」に限定されず、あらゆる宗派に通底するとろの 「或る聖なるもの」 と考えられます。それこそが宗教宗派を超えてバッハの音楽に心から感動を覚える所以でしょう。

音楽会場は築100年の洋館、旧県会議事堂です。重厚感あふれる建物の中に優雅なバッハの音楽が鳴り響きました。30余名の奏者の熱演は、観客と一体となって、言葉に現せない或る聖なるものを感じとることができたように思います。

プログラム第1部は 《平均律クラヴィーア曲集第1巻》 の1番から12番までを順に演奏。
楽器は電子ピアノのソロあり、デュオあり。音色はオルガン、ハープシコード、ピアノなど曲によって様々です。中には、ヴァイオリンと電子ピアノで演奏した曲もありました。

プログラム第2部は、演奏形態自由、編曲自由のバッハ尽しです。

ヴォーカルとしては《インヴェンション》 8番 を男性2人が「ダバダバ」で合唱、
《マタイ受難曲》より アリア 「憐れんでください、神よ、私の涙ゆえに」 の カウンターテナー独唱、
《カンタータ186番》より「ああ、魂よ、憤ることなかれ」のソプラノ、アルト二重唱、
《無伴奏チェロ組曲1番》より「ジーグ」をバスのアカペラ独唱、
《クリスマスオラトリオ》より「主よ、勝ち誇れる敵どもの息まくとき」のテナー独唱など。

鍵盤楽器では《2つのヴァイオリンのための協奏曲》より第2楽章、
《チェンバロ協奏曲 5番》よりラルゴ、
《オルガン小曲集より》より「われ汝に呼ばわる」
《フランス組曲 6番》よりメヌエット など

その他にリュート独奏で《リュート組曲 BWV 996》より、アルマンド、ブーレ、
ダルシマーで「グノーのアヴェマリア」
鼓とのコラボで《無伴奏チェロ組曲 1番》よりプレリュード、
ジェンベとのコラボで《トッカータとフーガ ニ短調》、
ギターとコントラバスで《ゴルトベルク変奏曲》よりアリア、
ギターとのコラボで《トッカータとフーガ ニ短調》など。

最後は全員で《主よ人の望みの喜びよ》を演奏しました。続いて《G線上のアリア》でお客さまをお見送りしました。
長時間のコンサートでしたが、皆さんから「楽しかった」との感想をいただきました。
翌日の新聞には写真入りの大きな記事が載っていました。
高度な演奏を追及するアカデミックなバッハは演奏者を讃えることになりがちです。「バッハ礼讃音楽会」は演奏者ではなく、バッハが讃えた或る聖なるものを讃えます。誰でも自由にバッハ体験のできる「やわらかなバッハの会」が主体となって行っているこの音楽会は毎回大好評をいただいています。これからも暖かい目で見守っていただければ幸いです。




ベートーヴェンの調感覚

ベートーヴェンは最初ネーフェのもとで作曲の基礎を学ぶが、やがてウィーンに出て本格的な作曲の勉強に励む。作曲の師はシュテファン大聖堂オルガニストの地位にあって、ウィーンで最も有名な教師、アルブレヒツベルガーである。アルブレヒツベルガーがベートヴェンを指導する際に使用したのはキルンベルガー著「純正作曲の技法」だった。これはバッハの弟子のキルベルガーが、バッハの作曲法を著したものである。作曲に関する理論書を全く書かなかったバッハの作曲法を知る上で最も重要な理論書である。当時、理論書はいくつもあり、本人が書いた理論書も多数あったにもかかわらず、師のアルブレヒツベルガーによって、バッハの理論体系が選ばれたことは重要である。。その理論書の第1部第1章は「音階と音階の調整について」から書かれており、音律は作曲の一部であり最も重要なものであることが強調されている。

ウィーンではそのころから「12等分平均律クラヴィーア曲集」について議論されていたものの、鍵盤楽器においてはまだ一般的ではなかった。当時はキルンベルガー音律が一般的であって、それがウィーン古典派にとってのまさに”今日の音律”であった。当然ベートーヴェンもキルンベルガー音律を前提として多数のピアノ作品を書いた。音律ばかりか、作曲理論もキルンベルガーに負うところが大きい。

ベートーヴェン自身の言葉にもあるように、彼は音律にはことさら敏感で合っただけに調選択には極めて厳格だった。
彼は言う「緊張長3度を持つホ長調から祝典的な表現に適したニ長調、ト長調への移調は出来ない」。これはキルンベルガー音律で作曲したベートーヴェンだから言えることで、12等分平均律で作曲していたら、緊張長3度も、祝典的もない。なぜなら、どの調の長3度も皆等しいからである。

もう少し詳しく説明すると、キルンベルガー音律におけるホ長調の長3度 「E-Gis」は406セントと極端に広い。等分平均律の長3度は400セント、純正の長3度は386セントである。比較するとキルンベルガー音律は非常に緊張した長3度であることがわかる。一方キルンベルガー音律における、ニ長調 「D-Fis」 や ト長調「G-H」 は386セン、つまり純正である。
キルンベルガー音律において、ホ長調からニ長調やト長調に移調するということは、長3度が406ー386=20セントも違ってくるということだ。だからベートーヴェンは「ホ長調からニ長調やト長調への移調はできない」と言ったのである。この言葉はベートーヴェンの作曲がキルンベルガー音律を前提としていることの証拠でもある。

今私たちは、ベートーヴェンのピアノソナタを12等分平均律で弾いている。ホ長調の長3度を平均律の400セントで弾いている。キルンベルガー音律以外の音律でベートーヴェンのピアノ作品を弾くと、音体系つまり精神が変わってしまう。だからベートーヴェンのピアノ作品は音律の違いによって窒息してしまっている。現在ほとんどのピアノ奏者が演奏しているベートーヴェンは作曲者が意図した音響とはかなり違っていると思われる。

修道院の歌

古来より修道院では毎日グレゴリオ聖歌を歌ってきました。グレゴリオ聖歌は単旋律、無伴奏の歌です。或る時、修道院でグレゴリオ聖歌を歌うことを禁じたところ、修道士たちがみるみる元気を無くし、体調を崩す者が続出しました。再び歌うことが許されると、修道士たちは直ぐに元気になり、グレゴリオ聖歌とともに生活のリズムを取り戻すことができたということです。音楽は見えざる栄養素となって、人間の心と体に多大な影響を及ぼす一例といえるでしょう。
また音楽は人間だけでなく、植物やすべての物にも影響を及ぼします。次に音楽と植物の成長速度を調べた興味深い実験結果をご紹介しましょう。

3つの部屋を作り、そこに植物を置き次の3つの音楽を聴かせたのです。

1、ロックンロールのような騒がしい音楽の部屋
2、何の音もない部屋
3、神をたたえる音楽の部屋

植物の成長速度を比較してみました。結果は…

1,ロックンロールの部屋で育った植物は、約36cm.、根は弱く、茎はスピーカーと反対の方向に曲がっていました。
2.何の音もない部屋で育った植物は、40cm.。そして根は長く、毛も多く、茎も太く育ちました。
3、神をたたえる音楽が流れる部屋で育った植物は、なんと51cm。
根や茎は非常に丈夫に育ち、植物はスピーカーに向かい更に音楽を聴こうと、その方向に茎を傾けていたのです。

代表的なロックのスターたち115人の死亡原因を調べてみると、彼らの大部分は、20代、30代の若さで麻薬中毒、アルコール中毒、自殺等で死んでいたことがわかりました。
このように、私たちがよく聞いたり、歌ったりする歌は、私たちの人生に深いところで影響をもたらします。
感謝と賛美の音楽は私たちを健康にし、世俗的な歌はその人を病にし、滅ぼしてしまうのです。


感謝と賛美の歌が元気の元であった修道士たちは古来よりピュタゴラス音階で歌っています。ピュタゴラス音階の音程比が天体の運動と連動しており人体に影響を与えると考えられてきたからです。勿論無伴奏です。もしグレゴリオ聖歌を、12等分平均律のピアノ伴奏に合わせて、12等分平均律の音階で歌ったらどうなるでしょうか。
12等分平均律はどの音程も等しく非純正で、中立的、画一的で無彩色な音律ですから、その歌は当然不純になります。ハウプトマン(1792-1868)は12等分平均律について次のように述べました。
「諸音はもはやそれ自体で変化する力があったり、力の遊びの中で生き生きとているものではなく、12音に固定されて死んだ像として存在する」と述べました。

ピュタゴラス音階で歌うとメロディーが長3度跳躍する場合、その幅は408セントで、12等分平均律より相当広くなります。12等分平均律の長3度は400セント、純正の長3度は386セントですから、ピュタゴラス音階は12等分平均律よりももっと幅が広いです。長3度でハモると最も美しいのは純正の386セント、最も極端な響きになるのがピュタゴラス音階の408ということになります。しかしグレゴリオ聖歌は単旋律であり、長3度でハモることは皆無ですから、ピュタゴラス音階の単旋律は非常に美しく響くのです。

現代のピアノ調律

今日のピアノは1オクターヴを12に等分した平均律という調律法で調律します。12等分平均律の理論は古くからありましたが、実用化され、一般的になったのは1850年頃のことです。1850年といえば、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、メンデルスゾーンは既に昇天しており、短命のショパンも1849年に亡くなりました。1850年に活躍していた作曲家といえば ベルリオーズ、シューマン、リスト、ヴァーグナー、、ブラームスたちであり、ドビュッシーは活躍どころか生まれてもいません。

1850年という年をピアノの12等分平均律への転換点とすると、バッハの 《平均律クラヴィーア曲集》 も ベートーヴェンの 《ピアノソナタ》 も 12等分平均律ピアノを前提に作曲されたものではないことが分かります。バッハが演奏した鍵盤楽器は独自の調律を自分の手で行ったもので、その音律は不等分でした。ベートーヴェンはバッハの弟子であったキルンベルガーが考案したキルンベルガー音律を好みました。この音律も不等分です。ベートーヴェンは調ごとの微妙な変化のある不等分音律で、深い味わいを作曲に反映しました。

ベートーヴェンは、12等分平均律を嫌って次のような言葉を残しました。

「指の滑らかな動きによって、こうした人々からは知性と感性が流れ去ってしまってしまうのである。しかし、12等分平均律の音程の単純さは、時折、肉体的な限界まで能力を競うテンポの決定に重大な影響を及ぼしたに違いない」
ベートーヴェンの言葉の意味を要約すると、「もし、ピアノソナタ、キルンベルガー音律で弾くならば、ハーモニーの微妙な変化をゆっくりと味わいながら、知性と感性を研ぎ澄ますことが可能である。ところが、どの調の「ドミソ」も皆同じの単調な12等分平均律では、調ごとのハーモニーの変化を味わうことができない。12等分平均律においては何調も皆同じである。だからピアニストはハーモニーよりも、鍵盤上を素早く華麗に走り回ることに専念するようになる。ピアノ演奏は肉体的な限界までテンポの速さを競うスポーツになり果てる。そしてこうした人々からは知性と感性が流れ去ってしまう」ということです。

12等分平均律の実用化に貢献したのはエリス(1814-90)ですが、最初に平均律を算定したのは中国の「何承天」と言われています。続いて中国の朱載育が1596年に、フランスのメルセンヌが1636年に12平均律の理論を確立しました。メルセンヌより少し遅れて日本の和算家、中根元圭も1692年に「律原発揮」を著し平均律の算出法を紹介しました。しかし、まだどれも理論だけにとどまり、鍵盤楽器を12平均律で調律することはできませんでした。ただし、ギター、リュートなどのフレット楽器は12等分平均律の実用化が早くから行われていました。

12等分平均律の鍵盤楽器への実用化は、ヘルムホルツ(1821-94)が音の周波数を示し、エリス(1814-90)がセント値の定義と計算法を確立するに至って可能となりました。1850年ごろから起こったピアノの大量生産に伴って12等分平均律のピアノはあっと言う間に世界中を席巻し、今日に至ります。今日では調律といえば12平均律です。ピアノの調律師が仕事を始める前に「どの音律にしますか」などと尋ねられることはありません。もし尋ねられるとすればそれは「440 か 441か」などと言う標準ピッチだけです。現代の調律はすべて12平均律と決まっており、誰も疑わないのです。
現代の12等分平均律のピアノで弾くバッハやベートーヴェンと、昔の人々が耳にしたバッハやベートーヴェンとは全く別物だということを認識したいものです。
やわらかなバッハの会
〒753-0072 山口県山口市大手町
3−6 大手町ビル4F
第1日曜日 輪奏会17:00 PM
第2金曜日 輪読会10:00 AM
第4土曜日 輪奏会10:00 AM

バッハ・イン・ザ・サブウェイズ
2018.3.21(水・祝)

第5回バッハ礼讃音楽会
2018.7.29(日)

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<プロフィール>
やわらかなバッハの会 代表 橋本絹代
新しい鍵盤楽器記譜法「イコール式」の創始者

子供の頃、父と一緒に、バッハのフーガをピアノ分担奏で弾くことによって、声部進行を直感的に学び取り
バッハのとりこになった。
これまで約400人のピアノレッスンを通じて、バッハのフーガを弾くことの重要性を認識し、初級者でもバッハ演奏を楽む方法を提案。

2007年 世界で初めての楽譜《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》カワイ出版 

2009年 音楽書『やわらかなバッハ』春秋社

2013年「やわらかなバッハの会」設立

2014年 バッハ礼讃音楽会 (於 旧県会議事堂) 毎年開催

2016年 バッハ・イン・ザ・サブウェイズ (於 新山口駅南北自由通路 )毎年開催

2017年 Bach Network UK 対話会議研究発表 (於 ケンブリッジ大学)

Prof.Yo Yomita (富田庸) 講演会「バッハを嗜む」主催 (於 山口大学)

イコール式とは「鍵盤楽器においてどの調も皆同じ」という意味です。
なぜなら12等分平均律の鍵盤楽器における調性とは、ただ高さのみによって識別される2つの旋法、すなわち長調と短調の性格だけに限られるからです。
12等分平均律は勿論のこと、不等分音律を前提に論じたマッテゾンでさえも調性格の恣意性を指摘しています。
異名同音、ピッチの変動、バッハの手による移調の試みなどを考慮すれば、《バッハ平均律クラヴィーア曲集》の中の難しい調を簡単な調に移調してまず親しむことが大切です。初級者は更にそれをアンサンブルで楽しむことが大切です。
やわらかなバッハの会は既成概念にとらわれず、自分自身の判断で音楽の本質を探究するところです。


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<イコール式の意味>
*12等分平均律の鍵盤楽器においてはどの調も同じ(イコール)です *フーガの各声部は主従関係ではなく対等(イコール)です *12等分平均律の調律法はイコール・テンペラメントと言います *音名と階名が同じ(イコール)読み方です
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