やわらかなバッハの会 The Society of Soft Bach

先入観念にとらわれることなく、バッハの音楽に親しむ会です。
イコール式音楽研究所  所長  橋本絹代
Equal Method Music Institute President Kinuyo Hashimoto

ピッチの歴史

ピッチとは音高のこと。
オーケストラがチューニングする時にA音のピッチが440であるとか442であると言う使いかたをします。

ピッチに関する最古の説明書は中全音律の体系を初めて記述したアーロン(1480生)によるものです。1523 年の著作「音楽におけるトスカーナ人」の中で、ハープシコードの調律に関して「最初のC音を任意のピッチに置いてよい」と教えています。

また、最古のヴィオラ・ダ・ガンバ教則本を書いたガナッシ(1492生)はその本の中で「声とヴィオラ・ダ・ガンバのピッチは作品や演奏能力に合わせて自由に変えて良い」と明言し「美的に理想と思われるピッチより半音高くして危険を冒すよりも、理想よりも全音低いピッチを選んだ方が良い」と主調しました。

無秩序なピッチの時代を経てバッハの時代は町ごとに違うピッチが存在し、オルガンは高いピッチが多く、聖歌隊は歌うことが楽な低いピッチが多いという状態でした。
バッハがハンブルクで弾いたオルガンは、彼がドレスデンで弾いたオルガンよりほぼ短3度高く調律されていましたが、ピッチを揃えるために移調したという可能性は考えられません。
なぜなら、当時のオルガンはウルフ5度を持つ調律であったので移調することはできなかったからです。
バッハはハ長調の曲を変ホ長調のピッチで演奏したことになります。

記譜された音とピッチを厳密に一致させるという概念は当時の音楽家には無縁のものでした。
18世紀以前にはピッチそのものを指す特別な用語さえ存在しなかったのです。

不等分音律の時代に多くの理論家が異なる調の性格について論じましたが、特定のピッチとの結びつきを主張したものはありません。
調の性格を決定するのはピッチではなく、その調に固有の音程の違いだからです。

プレトーリウスの計測を元に研究された1500年〜1850年のピッチはA音が360〜510となっています。これは標準音A=440の場合、ほぼF〜Hに当るピッチが存在した
ことになります。

1850年以降、平均律や絶対音感という考え方の発展と共に正確なピッチの基準を維持し得ると考えられるようになりました。
1858年パリでは政府の委員会が標準音A=435という結論を出し、1939年の国際会議においてA=440の採用が決定されました。

ピッチを歴史的に見てくると音楽の本質と無関係であることが分ります。
18世紀は現在より約半音低いピッチであったと言われますのでバッハの時代のロ長調は現在のピッチではハ長調になってしまうわけです。
イコール式は意味のないピッチにはこだわりません。
音楽の本質はピッチと無関係です。
大切なことはピッチではなく相対音感によって音楽の構造を理解することです。

ざる教授法

ビルロート(1829生)はブラームスとの往復書簡で知られているドイツの外科医です。彼はホームコンサートで自らヴィオラを受け持ってブラームスの室内楽曲を演奏するなど音楽に造詣が深い人物でした。これから紹介する話は彼の著書「音楽的なのは誰か」から引用したものですが、この話はピアノ教授法のあり方に対する問題の核心をつくものです。

**ピアノを習っている少女はモーツァルトの曲を家で3週間も練習してから、先生に見てもらうためにレッスンに出掛けました。遅刻したので先生はピアノを弾いていました。少女は暫くその演奏に耳を傾けてから訊ねたのでした。「先生の弾いておらた曲は何ですか?」先生は驚いて「これは今日あなたがレッスンに持って来た曲ではありませんか」と答えました。少女はレッスンが始まると、その曲を上手に弾いたということです。**

実を言うとこの少女と同じ生徒は日本にも外国にも沢山いるのです。過去に仕上げた曲や、現に今さらっている曲なのに、楽譜を目で確認しなければその曲と分らない少女は多いのです。

なぜ、このような現象が起きるのかというと、音楽を指の感覚や楽譜写真の記憶として経験しているからなのです。それは音楽を耳や頭の中に持ち合わせないことを証明しています。指は耳や頭が命ずることをやらなければならないはずなのに、頭は真っ白で指の感覚に任せて弾くのは間違っています。このような少女は演奏会が近付くと暗譜が不安で恐怖心に苛まれます。一旦ステージで止まってしまうと、頭は真っ白、指は感覚を失い次の音を探す手がかりを失ってしまいます。

ビューロー(1830生、ドイツの指揮者、ピアニスト)は「歌えない人は---声の良し悪しにかかわらず---ピアノも弾くべきではない」と言っていますが、これは内的音感覚の大切さをのべたものです。内的音感覚で音楽を捉えその記憶でピアノで演奏することの大切さを述べたものです。ビルロートが描いた少女の先生も、ビューローが言うように内的音感覚を伸ばし、その記憶で音楽を演奏させる教授法に変えて欲しいものです。内的音感覚があれば楽譜を写真として記憶するのではなく、音として記憶することが可能です。内的音感覚をないがしろにした教授法は、糸の端に玉止めをしないで、針を進めるようなものです。どんなに上手に速く針を進めて縫っても、永久に着物はでき上がらないのです。生徒に沢山の曲を教えても、指の感覚が覚えているだけで、頭の中はカラッポのままのザル教授法となってしまいます。ザル教授法を防ぐ玉止めは内的音感覚です。内的音感覚を成長させる最も良い方法は相対音感でもって教授することです。イコール式は正にこの点を改良すべく考案したものです。

例えばモーツァルトのピアノソナタ K331 イ長調の冒頭部分「Cis-D-Cis-E--E」はイコール式の楽譜では「E-F-E-G--G]となります。従来の楽譜をそのまま固定ドで読むと音の機能が分らず、単に弾くべき鍵盤を指定するのみですから、内的音感覚の成長は望めません。これを移動ドで読めば、音の機能は分かりますが、弾くべき鍵盤と階名が食い違うという混乱が起こります。それ以前に移動ドに読み替えるのは大変難しい壁があります。イコール式の楽譜は読み替えを無くしました。しかも音の機能が理解できて、弾くべき鍵盤との間に混乱が生じません。絶対音感を持つ人も、持たない人も両方とも内的聴覚を伸ばすためには相対音感による読み方が必要です。

現状のピアノ教授法は、絶対音感を基準にした読み方で行われていることが大きな問題です。幼少期に絶対音感教育と無縁であった人、つまり相対音感保持者対しても、絶対音感教授法を用いるのは更に大きな問題です。現状のピアノ教育は「移動ド」に読み替えるのが難しい、固定ドが便利という安易な理由だけで音楽の根幹に関わることがおろそかにされています。

イコール式はこのことに警鐘を鳴らし内的音感覚を成長させることを目指した教授法です。イコール式はすべての音楽をハ長調とイ短調で記譜する方法です。イコール式は単に移動ド読みの難しさを取り除いただけではなく、読んだ音と弾くべき鍵盤が一致する方法です。従来の移動ド読みでは階名と弾くべき鍵盤名が食い違うという混乱がありましたがこれを解消しました。ハ長調とイ短調だけが相対音感保持者のみならず絶対音感保持者の耳にも無理なく受け入れることができる調です。





絶対音感

絶対音感とは先行するいかなる音も参考とすることなく、ある音の高さを言い当てる、あるいはその高さの音を出す能力を言います。
一口に絶対音感といっても、ジェット機の爆音、鐘の音、鳥の鳴き声までも識別できる人間周波数測定器のような能力から、特に親しんでいる楽器や特定の音域に関してのみ識別能力を示すものまで様々な段階があります。

そもそも絶対音感という概念は世界中のピアノが12等分平均律になった後に、この調律法のピアノによって作られたものです。ですから19世紀末頃からの概念です。
aを440Hzとするとg は395Hz(小数点以下四捨五入)になりますが、これは12等分平均律の場合に限ります。
同じg 音でもピュタゴラス音律ならば391Hz, 中全音律ならば394Hzです。ですから標準音aが440Hzの場合の395Hz だけがg音であるとは言えないのです。
また歴史的にみても標準音は変化しており、最近のオーテケストラの標準音は 440Hz より上昇傾向にあります。その場合いったい何Hzをもってg の音だというのでしょうか。
また、何Hz から何Hzまでがgis音 でなくg音 に留まると言い得るのでしょうか。甚だ疑問であります。

もともと音楽は祈りとして発祥しました。まだ楽譜という記譜法がなかった頃、記憶に頼って伝承されたフレーズは自由な高さで歌われました。やがて記譜法が発明され、音楽が目で見えるようになりました。しかし楽譜に書かれた音と実際の音高の関係は全く自由なものでした。音高とは歌手の歌いやすい音域という意味でした。
バッハの時代になると一応の標準音というものがありました。しかし標準音といっても町ごとに違っているものでした。
作曲家たちは音高にはさほど関心を払いませんでした。音高に音楽の生命があるわけではないからです。

私たちが歌を歌う時、楽譜と違う高さで歌ったとしても、移調して歌ったとしても音楽そのものには何の変化も起こりません。シューベルトの歌曲集は上声用、中声用、低声用と3種類の異なる調で出版されていることは皆様ご存知のことと思います。カラオケを歌うときも、私たちは歌いやすいキーに変えて歌います。

昨今の日本では絶対音感を持っていることがプロの必須条件であるかのように誤解されていますが、これは音楽を破滅に導く愚かな考えです。絶対音感は音楽の生命と全く無縁であるばかりか、絶対音感が音楽をする上で邪魔になることも多いのです。音楽にとって重要なものは絶対音感ではなく相対音感です。相対音感を伸ばすことが音楽力を伸ばすことなのです。
もし不幸にして幼少時に絶対音感教育を受けさせられた人は、本当はハ長調とイ短調の曲しか弾いてはならないのです。
なぜならハ長調とイ短調だけは、固定ドで読んでも移動ドで読んでも、シラブルが同じだからです。
イコール式はすべてをハ長調とイ短調の2モードで記譜しますから、絶対音感者も相対音感者も使えるようになっています。
『イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集』を使って全曲制覇を試みることは真の音楽力を伸ばす近道です。

バックハウス

20世紀前半最高の一人に数えられるバックハウスはドイツのピアニストです。
彼は「平均律クラヴィーア曲集」の中のどの曲も、あらゆる調で自由に弾くことができたといいます。
なぜこのような超人的なことができるのかいうと、音楽を相対音感的に捉える訓練が必要なのです。
子供の時から、相対音感(=移動ド)で簡単な曲を他の調で弾く訓練をしていれば、《平均律クラヴィーア曲集》を弾く頃になってもそれほど難しくはないはずです。

現在のピアノ教育は絶対音感(=固定ド)が主流であり、相対音感(=移動ド)は絶対音感を持たない音楽的敗者の方法と誤解されるようになってしまいました。
絶対音感保持者にとって、移調によるピッチの変動は耐え難く、《平均律クラヴィーア曲集》の移調奏はまず耳が拒否してしまうでしょう。
音楽を鍵盤と指の感覚で覚えている人にとっては、たちまち指の運びに支障をきたす移調奏は困難です。
楽譜で音楽を覚えている人は、音部記号を変える感覚で多少対処できますが、日頃使わないハ音記号などは、たちまち頭の混乱を起こし、移調がスムースにいきません。

このように絶対音感ピアノ教育では《平均律クラヴィーア曲集》の移調は難しく、音楽を相対音感で覚えている人は比較的楽に移調奏ができるのです。
ピアノの楽譜は絶対音感(=固定ド)で読む人が大半ですが、非絶対音感者の中にも、固定ドで《平均律クラヴィーア曲集》を弾く人は少なくないのです。
この現象は根幹的な大問題をはらんでいますがこれについては拙著に詳しく述べました。(『やわらかなバッハ』 橋本絹代 著)

リスト(Franz Liszt 1811〜86)は19世紀の華麗なるヴィルトゥオーソですが、彼は 10 才の時、ハンガリーの貴族たちから提供された奨学金でもって父親と共に、ウィーンに移住しました。
そこでリスト父子は有名なベートーベンの門を叩きました。
ベートヴェンは何度も入門を断ったのですが、あまりの熱意に根負けしたベートーヴェンは幼いリストに「今弾いたバッハのフーガを別の調で弾けますか」と問いました。
10才のリストは移調を見事にやってのけたということです。もしリストが絶対音感をもち、音楽を固定ドでとらえていたら移調奏はできなかったでしょう。
リストの秀でたピアノテクニックは相対音感(=移動ド)がもたらした精華といえるでしょう。


相対音感的訓練こそ、真の音楽家の基礎となるものです。絶対音感は音楽家にとって邪魔にこそなれ音楽力とは無縁のものです。
イコール式はハ長調とイ短調の基礎調を用いますので、音楽を相対音感的に捉えることが容易です。
相対音感こそが音楽家としての良い耳を育てるのです。

念ずる音程

楽典の音程問題を考えてみましょう。
「ハ−変イ」は短6度、「ハー嬰ト」は増5度です。
楽典では短6度は協和音程、増5度は不協和音程になっています。
ピアノで弾けば同じ鍵盤なのに、協和音と不協和音があるとは不思議に思われませんか。
耳で聴けば同じ和音、目で見れば異なる和音というわけです。

また、「変ロ」から完全5度上行した「ヘ」は協和音程ですが、「変ロ」を異名同音の「嬰イ−ヘ」にすると減6度という和声法上最も悪い不協和音程になってしまいます。

音程は周波数比が簡単な整数比になるほど協和に感じ、複雑な比になるほど不協和に感じるという性質があります。

平均律の「変イ」と「嬰ト」はどちらも同じ 800 セント、純正では「変イ」= 814 ,
「嬰ト」=773 と異なる黒鍵が2個必要になります。
短6度の協和音「ハー変イ」が純正の協和音として耳に聞こえるためには
「変イ」=814でなければなりません。
「変イ」=814の時、周波数が5:8という簡単な整数比になり真の協和音となります。
増5度の不協和音「ハー嬰ト」は簡単な整数比にはなりません。

平均律は「変イ=嬰ト」=800ですから、純正の短6度より幾分狭いが何とか協和音に聞こえるという程度です。しかし純正のような簡単な整数比にはなりません。

平均律では短6度だけではなくすべての音程が、何とか我慢できる程度ではあるが狂っているのです。
平均律で狂っていないのは1:2のオクターヴだけです。

私たちは譜面上で見た短6度が、平均律でもって演奏されているとおりで、美しく協和して響いているのだと耳に信じ込ませているのです。

最後にリヒテルの言葉を引用します。
「それは調律師の仕事だ。聖ペテロのように水の上を歩けると信じて与えられたピアノを弾けばよい。そうでないと沈んでしまう。ピアノが好きではないのかと聞かれたら、ピアノより音楽の方が好きだと答える」

耳障りな長3度

音律を考える時ハーモニーの基礎になる長3度の響きがポイントになります。
「ハ」から長3度を重ねると「ホ、嬰ト、ハ」となります。
平均律の長3度は 400 セントですから オクターヴ上の「ハ」は 400 +400 +400 = 1200 です。 

ところが純正の長3度は 386 セントですから 386 +386 + 386 = 1158 になってしまいます。
1200 と1158 の差 42 を均一に 14 づつ広くとったものが平均律です。
差の 42 を不均一にとると、何種類もの音律が考えられます。
ミーントーン、キルンベルガー、ヴェルクマイスター、シュリック、ヴァロッティ、ナイトハルト、ケルナー、ビレター、等々無数の人達が知恵を絞りました。
12等分平均律はたったひとつ、不等分音律は無数にあるわけです。

「ハーホ」の純正3度の響きは唸りがなく、誰にでもハモりやすい和音ですが、これをピアノで音取りすると、純正の 386 セントより、14 セント広げて平均律の 400 で歌うはめになります。
純正をわざわざ狂わせて歌うのですから非常に難しい上に、綺麗な響きとはいえません。

平均律の長3度についてゾルゲ(1703生)は「あまりに耳障りである。これは杓子定規の調律に由来するものであり、長3度はその犠牲になっている」と述べました。
また他の平均律反対論者も「ひどい3度の絶叫」「快い響きという法則を故意に否定するもの」「非音楽的な人の耳をも汚す叫び」等の意見をのべました。

2の12乗根

純正な音程が簡単な整数比になることから、音程の計算はもっぱら、掛け算と割り算で行いましたが、イギリスの数学者エリス(1814生)はこれを足し算と引き算で行う方法を考案しました。

エリスの方法とは半音の周波数比が2の12乗根になるという等分平均律のための計算法です。2はオクターヴの整数比を表し、12は半音が1オクターヴに12個あることを表しています。2の12乗根とは、2のルート12であり、ある数を12回掛けると2になる数ということもできます。そのある数とは1.059463094.......という無理数になります。
1.059×1.059×1.059......これを12回掛けると2になります。

今なら計算機で簡単に2の12乗根が出せますが、中世の頃にこれを筆算で出した人もいました。一番最初が中国の朱載育(1596生)、続いてメルセンヌ(1636生)、日本の中根元圭(1692生)などが計算しました。これは12
等分平均律の計算としては成立していましたが、機械を使わずに人間の耳だけで正確に無理数的調律をすることは出来ませんでした。そのため人間の耳で調律し易い不等分音律が使われました。
少なくともバッハが歴史的な「平均律クラヴィーア曲集」を編纂した1722年の時点では12等分平均律を人間の耳で調律していたとは考えにくいのです。何故ならばバッハが「15分で調律する」と言ったからです。人間の耳だけで簡単にたった15分で調律できるのは不等分音律であったと考えるのが妥当です。

バッハの死後約100を経てからエリスによって考案された平均律セント値は、皮肉なことに、古楽の不等分音律の音程計算にも利用されるようになりました。その理由は掛け算や割り算を使う周波数比率の計算が、セント値を使えば足し算と引き算で簡単に計算できるからです。

セント値を使うことによって、音律は1オクターヴが1200段の階段と考えることができるようになりました。平均律は100段ごとに半音の標識が規則正しく立っている状態です。スタート地点Cから−−−100段目にC#−ー−200m段目にD−−−300段目にD#の標識、更にどんどん上がって1200段目が1オクターヴ高いCになります。
不等分音律のミーントンでは76m段目にC#ーーー193段目にDーーー310段目にD#の標識があることになり、平均律とは相当違うことが分ります。
このように不等分音律は1オクターヴの配分の仕方によって無限の音律が考えられます。

純正は神の秩序

純正とは唸りを生じない美しい協和音のことです。
その昔、ヨーロッパの大聖堂で聖歌を歌う時、ハーモニーに唸りが生じると残響時間の長い大聖堂では非常に聴きづらい状態が発生しました。そこで人々は唸りを生じない響きを求めたのです。

聖歌は始めユニゾンで歌われましたが、やがて5度の平行進行で歌われるようになりました。そこで人々はまず5度が純正に響くことを求めました。
ピタゴラスの定理で有名なピタゴラス(BC 582生)が発見した音律は、純正5度を積み上げていって作るものです。
従ってピタゴラス音律は5度を純正に響かせるには最も適しており、当時のグレゴリア聖歌はピタゴラス音律で歌われました。

純正とは二つの音程に唸りを生じないものです。唸りが生じない音程は2つの音の振動数比が簡単な整数比になります。
最も簡単な整数比が1:2であり、これを1オクターヴといいます。
整数比の2:3は5度、3:4は4度、4:5は長3度です。
これをセント値に置き換えると1オクターヴは1200セント、5度は702セント、4度は498セント、3度は386セントになります。

ルネッサンスの時代になると、ハーモニーの主体は5度や4度から3度に変わってきます。
ピタゴラス音律の作り方にならって3度を作るとどうなるでしょうか。
「ハートーニーイーホ」と純正5度の702セントを積み上げて、「ハーホ」の3度を得る計算は以下のようになります。純正5度を4回積み上げるので702×4=2808セントが「ホ」になります。ここからオクターヴを引きます。1オクターブが1200ですから、2オクターブにあたる2400を引くことができます。2808−2400=408セントがピタゴラス音律における3度です。純正の長3度は386ですから、これは純正からかなり遠のいてしまいます。平均律の3度は400ですが、これでも純正3度より広いのに、ピタゴラス音律では更に広がって408にも達するのです。
ピタゴラスの長3度は平均律以上に幅が広くその響きは純正からかけ離れた極端なものです。
したがってピタゴラス音律の3度は使いものになりません。したがって音律は5度の響きを犠牲にしても3度の響きが美しく響くミーントーン音律が主流となっていきます。

大聖堂で3度のハーモニーが唸りを生じず歌えるようになるのは、ラミスの音律(1842)やミーントーン音律(1523)が確立されて後からになります。

二つの音は簡単な整数比のとき純正の美しい響きになり、人間が本能的に簡単な整数比のハーモニーを求めるという不思議さ、これは神の秩序であり、世界共通の真理、法則なのです。
何と言う不思議な神の秩序なのでしょうか。

適正音律

バッハが「平均律クラヴィーア曲集」を作曲するにあたって大前提としたことは、途中で調律替えせずに、理論上考えられる24すべての調を演奏することでした。

当時一般的であったミーントーンは#3つ、♭2つの調までしか弾けませんでした。
それ以上に調号が増えるとウルフが暴れ回るからです。

パッヘルベルは「平均律クラヴィーア曲集 第1巻」成立以前に、調号を4つまで使って17の調を踏破した曲集を1683年に書きました。

しかし、バッハの最も重要な先駆者は1702年にフィッシャーが書いた「アリアドネ・ムジカ」。これはハ長調からだんだん高い調に上って行き再び迷宮から脱出する20の調を使ったオルガンのための小さなプレリュードとフーガでした。

すべての調による迷宮脱出が実現されそうであったことは、マッテゾン(1681生)が、24すべての調による音楽を表したことからも明らかですが、これは教育用通奏低音でした。

そしていよいよ1722年にバッハが史上初めて、理論上考えられる24すべての調を使った「平均律クラヴィーア曲集」を完成させました。
同年にズッピヒがすべての調による音楽を表しましたが、バッハと比肩できるものではありませんでした。 

バッハは24すべての調を途中の調律替えなしで演奏するために、まずは何としてもウルフを和らげようとしました。その為には純正より狭いミーントーン5度を純正にまで広げ、極端に広い4個の長3度を分散して緩和しました。これがバッハが弟子に強く要求したと言われる「すべての長3度が純正より広く」の意味するところです。

ここで注意したいのは、バッハが「すべての長3度が純正より等しい幅で広く」とは言っていないことです。
「等しい幅で広く」と要求したのであれば、答えは等分平均律しかありませんが、「広く」という要求であれば、答えは何種類もあるのです。

また、バッハは「15分で調律できた」というのですから、不等分音律の中で最も易しい調律法のヴェルクマイスターに近いものであったかもしれません。等分平均律はバッハの時代には理論としてはあったものの、人間の耳だけで調律することは不可能でした。

バッハ自身が付けた表題の「Wohltemperirte」の意味を平均律と決めつけるのではなく、バッハが「うまく調律された」と考えていたすべて音律を含めて考えなければなりません。
従って「Wohltemperirte Clavier」を翻訳するならば「平均律クラヴィーア曲集」ではなく「適正音律クラヴィーア曲集」など含みのある言葉が適していると思います。



ミーントーンに潜む狼

1オクターヴを12の鍵盤に適度に分割する方法を音律と言います。分割方法は大きく2つに分かれます。それは均等と不均等です。
均等は平均律ただ一つ、不均等には無数の音律が考えられます。不均等から均等への移行は西洋音楽史に大きな溝を作るものです。

平均律は1オクターヴを力ずくで12等分した機械的な調律ですので純正の音程が全く含まれておりません。すべての長3度が等しく純正より14セント広く、他の音程も等しく狂っています。

不均等のひとつであるミーントーンは純正3度をもつラミス音律にヒントを得て、アーロン(1480生、イタリアの理論家)が確立しました。純正3度はツァルリーノ(1517生)らによって大いに普及し、バッハの時代はほぼミーントーンでした。写真はケレタートが考案した図表です。266548e6.JPG
図表の下段、長3度の棒グラフを見ると C D A E F B Es が純正との差0セント、つまり純正の長3度であることがわかります。
両端の As Des H Fis は+42 セントもあります。
平均律ですら長3度は+14 セントなのですから、これは法外な長3度です。
上段の棒グラフは5度を表しています。As だけが+36と極端に広くなっています。
これは狼が吠える声の意味でウルフと言われ、聴くに耐えない音程になります。
図表からも見て取れる通り、ミーントーンは#♭の少ない調は美しく響きますが、#♭が増えるとウルフが出てくるなど、使用不可能になります。
やわらかなバッハの会
〒753-0072 山口県山口市大手町
3−6 大手町ビル4F
毎週土曜日18:00 PM
毎週金曜日10:00 AM
毎月1回   対話集会18:00 PM
都合により日時を変更する場合もありますので初めての方は事前にご連絡ください

お問い合わせはこちら

マンスリーバッハ (第2日曜日)
午後4時〜6〜時
場所:新山口駅構内

バッハ・イン・ザ・サブウェイズ
2019年3月21日
場所:新山口駅構内

<プロフィール>
やわらかなバッハの会 
会長 橋本絹代
新しい鍵盤楽器記譜法「イコール式」の創始者

子供の頃、父と一緒に、バッハのフーガをピアノ分担奏で弾くことによって、声部進行を直感的に学び取り
バッハのとりこになった。
初級者でもバッハのフーガを楽む方法を提案している。

2007年 世界で初めての楽譜《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》カワイ出版 

2009 音楽書『やわらかなバッハ』春秋社

2013「やわらかなバッハの会」設立

2014 バッハ礼讃音楽祭 (於 旧県会議事堂) 毎年開催

2016 バッハ・イン・ザ・サブウェイズ (於 新山口駅構内)毎年開催

2017 Bach Network UK 対話会議研究発表 (於 ケンブリッジ大学)

2017 Prof.Yo Yomita (富田庸) 講演会「バッハを嗜む」主催(於山口大学)

2018 Thomas Cressy 明治150年記念「日本の明治時代におけるバッハ受容」

イコール式とは「鍵盤楽器においてどの調も皆同じ」という意味です。
なぜなら12等分平均律の鍵盤楽器における調性とは、ただ高さのみによって識別される2つの旋法、すなわち長調と短調の性格だけに限られるからです。
12等分平均律は勿論のこと、不等分音律を前提に論じたマッテゾンでさえも「どんな調もそれ自体では、その逆を作曲し得ないほど悲しかったり楽しかったりすることはできない」と述べています。
異名同音、ピッチの変動、バッハの手による移調の試みなどを考慮すれば、《バッハ平均律クラヴィーア曲集》の中の難しい調を簡単な調に移調してまず親しむことが大切です。初級者は更にそれをアンサンブルで楽しむことが大切です。
やわらかなバッハの会は既成概念にとらわれず、自分自身の判断で音楽の本質を探究するところです。


世界唯一! 平均律クラヴィーア曲集の移調
音楽の構造が良く解る










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<イコール式の意味>
*12等分平均律の鍵盤楽器においてはどの調も同じ(イコール)です *フーガの各声部は主従関係ではなく対等(イコール)です *12等分平均律の調律法はイコール・テンペラメントと言います *音名と階名が同じ(イコール)読み方です
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