やわらかなバッハの会

先入観念にとらわれることなく、バッハの音楽に親しむ会です。
イコール式音楽研究所

誤解の原因

なぜ、バッハが自ら調律した楽器が平均律であったと断定されたのでしょうか?
バッハは本当に平均律で《平均律クラヴィーア曲集》を演奏したのでしょうか?

それは音楽批評家マールプルク(1718生)が語った言葉の「かのキルンベルガー氏がバッハのもとでレッスンを受けていた時、バッハは長3度をすべて純正より広く取るように強く要求した」から始まっているようです。

バッハが弟子のキルンベルガーに要求した内容は、平均律以外にもいくらでも当てはまるのですが、マールプルクは短絡的に、バッハが平均律を採用したことの証拠と見なしました。

「すべての長3度が純正より広い」といえる音律は実は無数に考えられるのですが、有名なものでははヴェルクマイスター、ナイトハルト、ヴァロッティなどがあります。

音楽理論家テュルク(1750生)はマールプルクによって挿入された誤りを「多くの人々は自分自身で確かめることができないか、確かめる気持ちがないので、マールプルクの名声に惑わされて、彼の過った意見に説得されてしまう恐れがある」と指摘しました。

フォルケル

フォルケル(1749生)は著名な「J.S.バッハの生涯」を書いた音楽学者です。

彼は「バッハはチェンバロやクラヴィコードを調律するのに15分もかからなかった」と述べました。

また彼の言葉によれば「バッハは弟子たちを諸音の関係の計算に引き留めておくようなことはしなかった。なぜなら、計算は理論家と楽器製作者のものだからである」のです。

当時は楽器の修理、調律までもが演奏者の仕事でした。さらに、演奏者は即興演奏や自分が作曲したものを披露しました。平均律一辺倒の現在と異なり、当時は無数の不等分音律がありましたから、自ら調律して自分の耳で適正な音律を作ることが作曲の一部でした。

上記のバッハが言った言葉の意味は「音律の理論計算は理論家とオルガンパイプの長さを設計する楽器製作者の仕事であって、演奏家は耳で音律を作る」ということです。調律、作曲、演奏が分ち難く一体でした。
現在のように作曲者と演奏者が別れたのは、手の故障でピアノが弾けなくなったシューマン以降のことです。
それまでの作曲家は同時に演奏の名手でもありました。作曲のための作曲ではなく、自ら演奏するための作曲でした。

バッハが表題に書いた「うまく調律された」の意味は「算術的アプローチによらず、耳で簡単に調律できること」も大切な要素だということです。

キルンベルガー

バッハは音楽についての理論的な著書を全く書きませんでした。残念なことにその教えは弟子の著書を通じ後世に伝えられているのみです。
弟子のキルンベルガー(1721生)は師バッハを「あらゆる時代を通じて最も偉大な和声の達人」と呼び、方法論的にも内容的にもバッハの教えである主著[正しい作曲技法 1771 ]を書きました。
[正しい作曲技法]についてシュピッタ(1841生、音楽学者)は次のように述べました。すなわち「バッハの実践的教えの反映である。20世紀までほとんど独占的に決定的なものであった」と。

そのキルンベルガーは最初から平均律を拒否し、1779年においてもなお「平均律は退けるべきもの」と語るました。
「平均律を耳だけで調律するのは不可能であること」や「調性格が失われること」などが平均律を退ける理由でした。

もし、バッハの教えが平均律であったのなら彼がこのようなことを言うのは理解し難い事です。「平均律クラヴィーア曲集」の平均律という訳語を今日の12等分平均律であると考える意見もありますが、キルンベルガーの考えから察すると不等分平均律であるというのが妥当です。

日本語訳はバッハの意図か

「平均律クラヴィーア曲集」! 不思議な題名ですね。
これはバッハの自筆譜に書かれている「Das Wohltemperirte Clavier」を翻訳したもので、昔から最も親しまれている翻訳です。

Das → 英語のThe
Wohltemperirte →英語の Welltemperament うまく調律された。現代ドイツ語では Wohltemperierte となり i と r の間に e が入ります。 
Clavier →クラヴィーアとは元来鍵盤の意味です。バッハの時代には、オルガン、ハープシコード、クラヴィーコードなど鍵盤楽器全般を指しました。ピアノの意になるのはほぼ1800年以降です。現代ドイツ語では最初がKで始まる Klavier と綴ります。

バッハは「うまく調律されたクラヴィーア」と書いただけであって「平均律クラヴィーア曲集」と書いた訳ではありません。英語では「うまく調律された」は Welltemperament、「平均律」は Equaltemperament と言います。日本ではこの区別ができていませんから「うまく調律された」を「平均律」と翻訳してしまったのです。

「ニューグローブ世界音楽大事典」によるとドイツ語の「平均律」に当たる語は
gleichschwebende =均一的にずれた、均一的に調律されたになります。
バッハは自筆譜にgleichschwebendet とは書いていません。
「うまく調律された」と言える音律は無数にありますが、平均律はただ一種類の音律です。翻訳が間違っていたのでバッハが「平均律」で弾いたと思い込んでしまった人が少なくありません。

1947年にバーバーが発表した誤訳説は次第に認識されるようになってきました。
しかし、これはまた1985年にR.ラッシュが発表した多角的な研究から覆されることになりました。
R.ラッシュによると、バッハは平均律の意味でこの表題を書いたというのですが、バッハ研究は毎日のように更新されていますので、今後の研究の成果を見守る必要があるでしょう。

常識を超えた「平均律クラヴィーア曲集」

世界で初めて、イコール式はバッハ平均律クラヴィーア曲集 第1巻、第2巻の 全曲をハ長調とイ短調に移調した楽譜を出版しました。
イコール式とは平均律の鍵盤楽器においては調性格がイコールであるという意味のイコールとコール・テンペラメント(12等分平均律、equal-temperament)の意味から名付けました。

「なぜ移調したのか」という疑問が投げかけられるとすれば「バッハ自身が移調を試みて平均律クラヴィーア曲集を完成したから」と答える他ありません。

専門家と言われる人達の中にもバッハが移調したことをご存知ない方が少なくないようです。
そういう方達は平均律クラヴィーア曲集を移調してはならないとお考えになるのです。

バッハ自身が平均律クラヴィーア曲集を移調したのですから移調してよいはずです。



移調しても良いもう一つの理由、それは調性格というものが、平均律の鍵盤楽器には実態として存在しないことです。

平均律において調性格は皆同一であるのに、ピッチの違いにこだわってしまうのです。調性格と混同してしまっているのはピッチ性格に他ならず、調性格とは全く別の話なのです。

ピッチ性格でない、本当の調性格を得るためには、平均律ではない古典調律に変えなくてはならないのです。


平均律では調性格は皆無です。
しかし、楽譜を見ると依然として調性格が感じられます。
視覚的なもので調性格があるように考えがちですが、楽譜は楽譜であって音楽ではありません。
実際の音響としては、平均律の鍵盤楽器で弾く限り、何調であっても皆同じ調性格です。



ピアノが一般家庭に普及し始めた 1850 年頃から 1900 年頃にかけて12等分平均律が
世界中を席捲しました。このことによって長い歴史に培われてきた不等分音律は姿を消しました。

調性格が実際の音響として存在していた不等分音律が、調性格の無い12等分平均律にとって代わられました。
それは色彩豊な絵がモノトーンの絵に変わったようなものです。

バッハ、モーツァルト、ベートーベン、ショパン等々の名曲は12等分平均律が一般的になる前に不等分音律でもって作曲されたものです。
作曲家は不等分音律ゆえに特定の調でもって曲想を得て作曲したのです。

これらのことを考慮せずに、12等分平均律の鍵盤楽器で弾いて作曲家が意図した本来調性格を壊しているのが現在の音楽活動です。

現在のピアノも電子楽器も同じく12等分平均律で調律します。
電子楽器のトランスポーズつまみを回して調を上げ下げした時、旋律や和声の本質が変化するでしょうか?

あるいは歌い手の音域に合わせるために調を上げ下げした時、旋律や和声が本質的に変化したと言えるでしょうか?

12等分平均律の楽器においては調を上げ下げしても、旋律や和声の本質は何の変化も受けず、調性格の変化もありません。

反対に不等分音律では調を上げ下げすると音階構造の変化に伴い旋律や和声が変化し、調性格も異なります。


現在は実際の音響としての調性格が無くなってしまったにもかかわらず、楽譜の上にだけ、演奏者の空想の中にだけ残っているのです。

「百聞は一見にしかず」と言うように、人は聴いたものより見たものによって物事を多く判断する傾向があります。
耳から聴いた音より目から見た楽譜の方を重視して音楽を判断している現在のピアニストは、あたかも絵画を耳で判断しようとする愚かな行為をしていることに気付く筆必要があります。

いやしくも音楽家であるならば、楽譜だけで判断するのではなく、音を聴いて判断することが大切です。

平均律の鍵盤楽器で演奏された音楽は、調の上げ下げによって旋律や和声が変化せず、調によって調性格が変化することもありません。
反対に不等分音律の鍵盤楽器では調を上げ下げすると音階構造の変化に伴って旋律や和声が変化し、調が変われば調性格も様々に変化します。

しかし平均律の鍵盤楽器であっても調の上げ下げによって音高=ピッチは変化します。ピッチについては後ほど詳しく述べますが、これは時代と共に変化してきたものであり、ピッチという絶対音高と調性格は別物です。

「平均律クラヴィーア曲集」の調を上げ下げしても12等分平均律の楽器で演奏する限り音楽の本質は何ら変化しません。
イコール式が提案するハ長調とイ短調で演奏しても、平均律の鍵盤楽器で演奏する限りにおいては音楽の本質は全く変化しないのです。

逆に言えば、原調の24の調で演奏しても平均律の鍵盤楽器で演奏する限り、その音楽の本質は同じであって、そこにはモードとして長調と短調の2種類しか存在しません。
もし、24種類の調性格を実際の音として聴きたいならば、不等分音律の楽器で演奏しなければなりません。

平均律の鍵盤楽器で演奏する「平均律クラヴィーア曲集」は本質的に長調と短調の2つしかないのに、わざわざ調号の多い調で弾くことは音楽の正しい理解を困難にしているだけではないでしょうか。

イコール式のハ長調とイ短調だけの楽譜を用いれば音楽の構造が一目瞭然に読み取れるのです。


音楽は長い歴史を通して相対音感で捉えられてきましたが、20世紀後半から絶対音感という考え方が台頭してきました。
このことによって、絶対音感という考え方が無かった時代の音楽まで絶対音感で演奏するようになってしましました。
音楽を最初から絶対音感で読むのではなく、まず相対音感で読むことが大切であり、それが作曲家の方法です。
よってイコール式は音楽の正しい理解への道を開くものです。







































やわらかなバッハの会
第1日曜日 輪奏会17:00 PM
第2金曜日 輪読会10:00 AM
第4土曜日 輪奏会10:00 AM

バッハ・イン・ザ・サブウェイズ
2018.3.21(水・祝)

第5回バッハ礼讃音楽会
2018.7.29(日)

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<プロフィール>
やわらかなバッハの会 代表
新しい鍵盤楽器記譜法「イコール式」の創始者

子供の頃、父と一緒に、バッハのフーガをピアノ分担奏で弾くことによって、声部進行を直感的に学び取り
バッハのとりこになった。
これまで約400人のピアノレッスンを通じて、バッハのフーガを弾くことの重要性を認識し、初級者でもバッハ演奏を楽む方法を提案。

2007年 世界で初めての楽譜《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》カワイ出版 

2009年 音楽書『やわらかなバッハ』春秋社

2013年「やわらかなバッハの会」設立

2014年 バッハ礼讃音楽会 (於 旧県会議事堂) 毎年開催

2016年 バッハ・イン・ザ・サブウェイズ (於 新山口駅南北自由通路 )毎年開催

2017年 Bach Network UK 対話会議研究発表 (於 ケンブリッジ大学)

Prof.Yo Yomita (富田庸) 講演会「バッハを嗜む」主催 (於 山口大学)

イコール式とは「鍵盤楽器においてどの調も皆同じ」という意味です。
なぜなら12等分平均律の鍵盤楽器における調性とは、ただ高さのみによって識別される2つの旋法、すなわち長調と短調の性格だけに限られるからです。
12等分平均律は勿論のこと、不等分音律を前提に論じたマッテゾンでさえも調性格の恣意性を指摘しています。
異名同音、ピッチの変動、バッハの手による移調の試みなどを考慮すれば、《バッハ平均律クラヴィーア曲集》の中の難しい調を簡単な調に移調してまず親しむことが大切です。初級者は更にそれをアンサンブルで楽しむことが大切です。
やわらかなバッハの会は既成概念にとらわれず、自分自身の判断で音楽の本質を探究するところです。


世界唯一! 平均律クラヴィーア曲集の移調
音楽の構造が良く解る










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<イコール式の意味>
*12等分平均律の鍵盤楽器においてはどの調も同じ(イコール)です *フーガの各声部は主従関係ではなく対等(イコール)です *12等分平均律の調律法はイコール・テンペラメントと言います *音名と階名が同じ(イコール)読み方です
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