やわらかなバッハの会 The Society of Soft Bach

先入観念にとらわれることなく、バッハの音楽に親しむ会です。
イコール式音楽研究所  所長  橋本絹代
Equal Method Music Institute President Kinuyo Hashimoto

自筆譜

「平均律クラヴィーア曲集 第1巻」の自筆譜はベルリン国立図書館に大切に保管されていますが、紙やインクの腐食のため存続の危機に瀕していました。ゲッティンゲンのバッハ研究所から小林義武が自筆譜の調査に出向いた時、穴だらけの資料を渡され開いてみると記入箇所がさらにこぼれ落ちそうになったため、即座に返却し修復の措置を取るように図書館側に伝えたことが何度かあったそうです。修復方法は紙面の表面と裏面をはがし、その間に新しい紙を1枚挿入して再び張り合わせるという方法です。この方法によって「平均律クラヴィーア曲集 第1巻」の自筆譜は紙が厚くなり強化修復されました。

「平均律クラヴィーア曲集第2巻」の自筆譜は祖国を離れロンドン大英博物館所有となっており、保存の状態はかなり良好ですが、不完全な形で残されています。このロンドン自筆譜は24曲中、3曲のプレリュードとフーガ(嬰ハ短調、ニ長調、ヘ短調)が欠けており表紙も消失しています。
従って正確に言うと「平均律クラヴィーア曲集第2巻」という表題はバッハがつけたものではないことになります。現存する筆写譜の中にバッハの弟子で娘婿でもあるアルトニコルの手によるものがあります。これは研究者たちがバッハの意図も反映しており最終稿に相応しいと見なしているものですが、その表紙に「平均律クラヴィーア曲集第2巻、すべての全音と半音を用いたプレリュードとフーガ集。ポーランド国王兼ザクセン選帝侯宮廷作曲家、楽長、ライプツィヒ合唱音楽隊監督ヨハン・セバスティアン・バッハがこれを作曲す」とあります。これによって私たちは「平均律クラヴィーア曲集第2巻」と呼ぶことになったのです。第2巻はバッハの肩書きや「全音と半音」という表現が第1巻のそれとは異なっています。

第2巻は第1巻のように完全な形の自筆浄書譜が残っていません。欠けた3曲は信頼のおける弟子たちが書き写した「もう一つの失われた自筆譜」によって完成しています。弟子のアルトニコルやキルンバルガーの筆写本にはバッハが更に改訂の手を加えているので信頼できる資料と言えるのです。第2巻の自筆譜は次の3つのグループを成しています。第1のグループは調号が4つまでで比較的簡単な調が12曲入ったもの、第2のグループは調号の多い難しい調が7曲入ったもの、第3のグループはハ長調と変イ長調の2曲、そして最後に欠けている3曲です。
        

出版譜

「平均律クラヴィーア曲集」の出版譜が世に出たのはバッハの死後50年を経た1901年のことでした。出版譜が出るまでは自筆譜をはじめとする手書きの筆写譜によって伝承されてきました。最初の出版譜は時期を同じくしてライプツィヒのフォルケル校訂、ボンのシュヴェンケ校訂、チューリヒのネーゲリ校訂による3種類でした。これらの出版譜は死後世間から忘れ去られていたバッハの復興運動を起こす導火線の役目も果たしました。

1829年はメンデルスゾーン(1809生)によってマタイ受難曲の復活上演がバッハ縁の地ライプツッヒで行われ、それが大センセーションを巻き起こした年です。この時以後バッハの音楽の偉大さが広く再認識されることになり、1837年にはチェルニーの校訂による解釈付き「平均律クラヴィーア曲集」が出版されました。
1850年にはバッハ没後100年を記念してバッハ協会が設立され、バッハの全作品の校訂が始まることになります。何度も改訂の手を加えた自筆譜や沢山ある筆写譜を校訂する作業は半世紀もの年月を要し、バッハ全集の最終巻が出版されたのは1900年のことでした。このバッハ全集の中にあるクロル校訂の「平均律クラヴィーア曲集」は当時としては最も権威のあるものでした。ビショッフ、ブゾーニ等の校訂者にも多大な影響を与え、多くの校訂版が出版されました。

当時としては画期的だったバッハ全集も第2次世界大戦を経て1950年には絶版になっていました。再版も可能でしたが、これを機会に新バッハ全集を作ろうという声が上がり、新バッハ協会が設立されました。旧バッハ全集が主に音楽的見地から校訂されているのに対して、新バッハ全集は文献的な見地から校訂されています。文献的とは現存するすべての資料を調査し、資料間の親子関係を明らかにし、その家系図を作り、さらに資料批判をするという緻密な作業で、今回もまた半世紀の年月を要しました。ゲッティンゲンのバッハ研究所で編纂されたデュル校訂の「平均律クラヴィーア曲集」が出版されたのは1997年、最終巻の出版完了が伝えられたのは極最近のことで2007年6月13日でした。

新バッハ全集の校訂進行中に、イルマー校訂版、デーンハルト校訂版、トーヴィ校訂版などが相次いで出版されたことによって、従来の解釈的校訂版に替わって原典版ブームが起こり、通称ヘンレ版は音大生必携原典版になりました。しかし1出版社の1校訂者が世界中に散らばった資料の大捜査や資料批判をすることは個人の仕事としては限界を超えています。このことはゲッティンゲンのバッハ研究所でバッハ全集の編纂に携わった小林義武氏は「すべての資料のレチェンジオ(資料批判)を行って原典を探る仕事は、収益とは無関係に、国家の文化政策の一環としてのみ実現されるものである」と述べていることからも明らかです。新バッハ全集をもとにベーレンライター社から出版されたデュル校訂の「平均律クラヴィーア曲集」も、ベーレンライター社に出版のみを委託したに過ぎません。
デュル校訂版は通称ベーレンライター版と言われていますが、本当は出版社名を言うのではなく、ゲッティンゲンのバッハ研究所編纂による新バッハ全集のデュル校訂版「平均律クラヴィーア曲集」です。
原典版の主流であったヘンレ社はベーレンライター社に負けじと2007年に更に新しい校訂版を出版しました。最新版は「平均律クラヴィーア曲集 第2巻」に関する世界的権威である富田庸の校訂によるものです。

ピッチが半音低い時代

平均律クラヴィーア曲集第1巻から3番嬰ハ長調プレリュードを取り上げます。キラキラと輝く2つ声部が位置を交換しながら輪舞する天使を思わせる佳曲です。バッハは、足が地に着かないほど高いシャープ調の嬰ハ長調を平均律クラヴィーア曲集で使用した以外には使っていません。

バッハが作曲した当時、最も一般的だったミ−ントーン音律における嬰ハ長調では、その主要3和音がすべて非常に極端な響きになります。当時の音楽理論家たちの耳に嬰ハ長調がどのように聴こえたのかケレタート著、竹内ふみ子訳「音律について」から探ることにしましょう。マッテゾン(1681生)は「その効果があまりまだ知られていない」、ゾルゲ(1703年)は「殆どどうしようもなく硬い」、シューバルト(1739生)は「やぶにらみのような調性、この調性にはただ珍しい性格と情緒しか託すことができない」、クラーマー(1752生)は「ただ不愉快感だけが残っている」と述べました。しかし、バッハが平均律クラヴィーア曲集で用いた嬰ハ長調は明るく輝く調性として捉えられており、マッテゾン等の捕らえ方と正反対のようでもあります。バッハが用いた音律は12等分平均律に近いものだったと考えられていますが、現在の私たちが使っている12等分平均律のピアノでは、すべての調が同一の調性格を持ちモノクロの世界が広がるだけです。

バッハが作曲した当時のピッチはどうだったでしょうか。
作曲された当時の楽器や奏法をオリジナル或いはピリオド楽器と言います。現代の楽器はモダン楽器と言います。オリジナル楽器のピッチはa’=415ぐらいであるのに対してモダン楽器はa’=442〜445 です。モダン楽器の方が約半音高いのです。つまり、オリジナル楽器で演奏する嬰ハ長調の曲はモダン楽器ではハ長調になってしまうわけです。

イコール式の「平均律クラヴィーア曲集」は嬰ハ長調の曲をハ長調で記譜しています。モダン楽器のピアノで演奏する場合には、嬰ハ長調の曲をハ長調に移調すると丁度バッハの時代のピッチになります。しかしイコール式が目的としていることは、古い時代のピッチを再現することではありません。古い時代のピッチに合わせるだけなら平均律クラヴィーア曲集をすべて半音づつ低く移調して記譜すれば良いのですがイコール式はすべての調をハ長調とイ短調に移調しました。それはイコール式の目的が古楽思考ではなく、相対音感による鍵盤楽器教授法だからです。ハ長調とイ短調だけは、絶対音感読みと相対音感読みがイコールになります。この二つの調に限定することによって、絶対音感を持つ生徒も、持たない生徒も耳に抵抗なく相対音感を身につけることができるのです。

イコール式が従来の移動ド読みと何処が違うかと言うことをご説明しましょう。ト長調のメヌエットを例にとると、固定ド読みの「レーソラシドレーソーソ」の移動ド読みは「ソードレミファソードード」となります。この時、絶対音感を持たない生徒は耳に抵抗を感じることはありませんが、絶対音感を持つ生徒は音の読み方とその音高が食い違っていることに抵抗を感じます。イコール式の楽譜の場合は記譜されている音符そのものもハ長調の「ソードレミファソードード」ですから、絶対音感を持っていても抵抗を感じなくてすみます。イコール式がハ長調とイ短調に限定しているのはこういった理由からです。

現状の鍵盤楽器教授法は固定ド読みが一般的です。固定ド読みは絶対音感を持つ生徒に抵抗がありませんが、絶対音感を持たない生徒にとって「レーソラシドレーソーソ」は耳に抵抗が生じます。このことは非常に危険なことでもあります。例えば、本番中に音を忘れた場合です。今弾いているところが何ページ目の何段目のあたりであるか分っており、音楽が頭の中で鳴ってはいるのですが、絶対音感を持たないためにその音名が分からず弾くべき鍵盤の見当がつかないのです。「レーソラシドレーソーソ」という固定ド読みで覚えてもそれは音楽理論的に意味を持たないメロディーですから、頭の中にある音程記憶の引き出しからこのメロディーを呼び出すことは不可能です。
しからば絶対音感さえあれば安心といえるでしょうか。絶対音感を持つ生徒は、このメヌエットを「レーソラシドレーソーソ」とソルフェージュすることは可能でしょう。しかし、それは弦楽器奏者などが作る正しい音程ではなく、12等分平均律のメロディーでしかないのです。音楽は相対音感で捉えた時に始めてメロディーが生命を持ち、その和声とともに理解できるのです。私の生徒の中にはピアノの鍵盤を無茶苦茶に10個以上同時に鳴らしてもそのすべてを言い当てる絶対音感の持ち主もおります。そういった生徒でもテレビから流れてくるメロディーをピアノでさぐり弾きする時や、作曲、編曲をする時は不思議なことに相対音感でやってしまうのです。

イコール式は絶対音感による鍵盤楽器教授法の危険性に警鐘を鳴らし、相対音感による教授法を提唱しています。バッハの時代には存在していた調による性格の違いも、モノクロの12等分平均律においては空理空論になってしまいました。また、時代と共にピッチが変化することによって調の絶対音高も定まりません。このことは同時に標準音a’=440の時の12等分平均律というものに基づく絶対音感も神話に過ぎないことを物語っています。こういった状況にある現在鍵盤楽器教授法において「平均律クラヴィーア曲集」を元の調のままで演奏することに何のメリットが望めると言うのでしょうか。実体のない調性格やピッチにこだわることよりも、相対音感による鍵盤楽器教授法によって、楽曲を深く理解することの方が音楽力を高める近道です。

バッハの転職

時は1720年のクリスマス前、ドイツのハンブルク聖ヤーコビ教会で起こった話です。
ケーテン宮廷楽長で35歳になっていたバッハは聖ヤーコビ教会オルガニストに志願しました。最も名高く最も偉大なオルガンの巨匠はハンブルグの最も大きなオルガンによって見事な演奏を聞かせ、絶賛を浴びました。老巨匠のラインケン(1623生)はバッハの演奏に「オルガン音楽はもう死滅したものと思っていたが、今君の演奏を聴いて未だその精神が受け継がれていることが良く分った」という賛辞を贈りました。

しかし、その採用試験には、他の無能なオルガン奏者とならんである金持ちの職人の息子も志願していました。彼は指で弾くよりも財産で弾く方が上手でした。そして、その彼がオルガニストに選ばれたのです。これにはほとんどすべての人が納得できませんでした。聖ヤーコビ教会の後任者を実力ではなく寄付金で決めたことに対する不満の意をヤーコブ教会牧師がその年のクリスマス説教で次のように述べました。
「たとえ、天使がこの教会のオルガニストを志望して天から舞い降り、神の様な演奏をしても、現金を持ち合わせていなければこの町では受け入れられないのだから、虚しく飛び去る以外にないであろう」

バッハが失望することはこのことの前、31歳の時にも起こりました。それはヴァイマル宮廷でのことです。高齢の宮廷楽長の後任になりうるという見通しで奉職していたバッハが、自分ではなく、高齢で亡くなった楽長の息子にその地位を奪われたことです。今まで認められてきたバッハの業績が軽視され、全く凡庸な息子の下に位置づけられるということは、バッハの正当な自負心を傷つけ、辞任を願うこと意外にありませんでした。そして、バッハは自ら望んだ転職によって、ヴァイマルでは得られなかった楽長の地位をケーテンで与えられ驚くほどの高額な俸給を約束されたのです。





第2巻 プレリュードとフーガ 変イ長調

バッハが自ら移調した曲のひとつである平均律クラヴィーア曲集第2巻17番 変イ長調を取り上げます。プレリュードとフゲッタ ヘ長調 BWV 901 プレリュードこの曲はヘ長調のプレリュードとフゲッタ BWV 901として作曲されたものをバッハ自身が変イ長調に移調し、大幅な改作を行った上で平均律クラヴィーア曲集に収録しました。
写真をクリックしてご覧いただくとプレリュードには「3点ハ」が4回出てきます。バッハの時代の楽器は今より鍵盤数が少なく「3点ハ」が最高音でした。このプレリュードを変イ長調に短3度上げると演奏不可能な音が出てくるためにバッハは新たにプレリュードを書きました。ヘ長調の前作は静かなパストラーレ風、変イ長調の新作はバッハ円熟期の卓越したプレリュードです。

フーガはフゲッタとして作曲されたものでもともと23小節で終わっていました。
バッハはその後に27小節も付け加え、その継ぎ目が誰にも気づかれないほど上手に前半と後半のまとまりをつけています。

バッハの時代に一般的であった中全音律における変イ長調は極端な調です。
主和音「変イーハー変ホ」にウルフの5度を含むからです。さらに凝戮力族察嵎僖蹇縞僖法璽悄廚鉢催戮力族察屮悄縞僖ぁ璽蓮廚盒肪爾紛舛です。属和音だけが純正です。音楽理論家のシューバルト(1739生)は変イ長調を「墓の調性であり、死、墓、朽ち果てること、審判、永遠がその範疇にある」と述べました。さらにシリング
(1805生)も「霊や魂がゆらゆら揺れながら天国へと到達するかに見える」と述べました。

ではバッハの変イ長調はどうでしょうか。バッハの全鍵盤曲の中で変イ長調は平均律クラヴィーア曲集にある2曲のみです。
平均律クラヴィーア曲集第1巻17番のプレリュードは合奏と独奏が交替する協奏曲形式ですがこの曲ほど音楽的解釈が分かれる曲は珍しいと言えるでしょう。暗く荘厳な解釈、威風堂々としたフォルテの解釈、穏やかで優美な解釈、軽いスケルツァンド風の解釈などです。フーガはまるで鐘のように反響する主題によって「大寺院フーガ」と呼ばれ、厳粛な宗教的情緒を感じさせます。
平均律クラヴィーア曲集第2巻17番のプッリュードは整然とした流暢な流れがナポリの7の和音に向けて強烈な終結的盛り上がりに達する威風堂々とした佳曲です。フーガは48曲中最も卓越していると言われ技巧的かつ変化に富んだ雄大なフーガです。

もしもバッハが、平均律クラヴィーア曲集を編集する際に調性格の確立を主たる目的にしていたとしたら、ヘ長調だった初稿を遠く離れた変イ長調に移調できなかったのではないでしょうか。バッハの主たる目的は24すべての調を網羅することでしたから、#♭の多い調は#♭の少ない調から移調することも平気でやったのでしょう。

イコール式は調性という不確実な神話に囚われることなく、音楽にとって最も大切なことを教授することを目指しています。それは従来の絶対音感による鍵盤楽器教授法を相対音感による教授法に変えることです。絶対音感による教授法は、絶対音感という概念が定着した20世紀末以降の音楽にこそ相応しいのです。それ以前の音楽は、相対音感で捉える方が分かりやすいのです。



無農薬ピアノ

現代人はピアノといえば平均律と思い込んでいる人が非常に多いものです。何の疑いもなく平均律のピアノを購入して定期的に調律師に調律してもらうのが当然のこととされています。ピアノのユーザーは自分で調律することができないので、調律師まかせの平均律と言うのが暗黙の了解で常識となっています。ユーザーは鍵盤の重さやタッチの不揃いについて調律師に注文をつけることはあっても、音律まで注文をつける人は滅多にいないのが実情です。

平均律のピアノが一般に普及したのはイギリスのブロードウッド社が等分平均律に調律したピアノを1842年に市販した頃からです。それ以前は調によって変化を伴う不等分音律が一般的でした。不等分音律は調によって多彩な表現があるからこそ、作曲家は各自の好みによって特定の調に特定の性格を与えることができたのです。
それなのに平均律はすべての調を単純でモノクロの音楽にしてしまいました。それは丁度ドビュッシーの頃、平均律ピアノが普及し始めた時期と重なります。不等分音律から平均律への移行は音楽史に大きな溝を作ることになりました。

不等分音律の消失とともに印象派、調性の崩壊、12音音楽、無調、微分音、トーンクラスター、電子音によるミュージック・コンクレート、視覚的要素に大きく依存するインターメディア、不確定性の音楽、空間音楽、コンピューター音楽等などの新しい音楽が生まれました。

しかし現在、私たちが平均律のピアノで演奏している音楽の大半は不等分音律の響きで作曲された調性音楽です。ピアノのレッスンで弾く曲の大半が調性音楽であるにもかかわらず、音楽教室や音楽大学には平均律のピアノしかありません。平均律のピアノで弾いてよいのはドビュッシー以後の作曲家なのです。平均律のピアノでベートーベンやショパンを弾いても、その作曲家が意図した響きではありません。

無農薬野菜を食する人の舌は、農薬がかかった野菜を苦く感じ、野菜本来の味が損なわれていることを知っています。ピアノも全く同じことです。無農薬ピアノを弾く人の耳は、平均律で弾く調性音楽をモノクロに感じ、作曲者が意図した本来の美しい響きではないことを知っています。無農薬ピアノ、それは作曲された当時と同じ不等分音律で調律されたピアノのことです。私たちの耳は無農薬ピアノを弾くことによって初めて、今まで何の疑いもなく弾いてきた平均律が単純でモノクロであることを聞き分ける耳ができるのです。平均律は作曲家が選んだ調で弾いた時も、移調して弾いた時も、旋律や和声に何の変化もなくモノクロです。

イコール式は平均律を逆手にとった鍵盤楽器教授法と言えます。移調することによって、移動ドに読み替える手間を省きました。そしてすべての曲をハ長調とイ短調で記譜することによって、絶対音感を持つ人も、持たない人も、音楽を相対音感で捉えることを可能にしました。相対音感がもたらす音楽的成長は計り知れないほど大きなものです。



内田光子

内田光子は1970年のショパンコンクール第2位に輝き、ロンドンを中心に世界的に活躍しているピアニストです。世界中の音楽家の憧れであるザルツグルク音楽祭に今年も出演が決まっています。彼女が1982年に東京とロンドンで行ったモーツァルトのピアノソナタ全曲演奏会は大変な盛り上がりを見せました。

この演奏会で使われたピアノの調律が普通の平均律とは違うものであったことが1982年11月27日の新聞に掲載されました。内田光子がコンサートで古典調律を用いたのではないかと言ううわさがごく一部の音楽関係者の間でささやかれていましたが、本人の口からはっきり語られたのは今回が初めてのことでした。内田光子はインタビューに答えて「東京での4夜の演奏会はすべて古典調律法を使いました。弾いている私にとって、これ以上はないと思うぐらいのすばらしい音でした」と語りました。続けて「とりわけ、モーツァルトでは古典調律法がそれは美しく響きすっかりこの音のとりこになってしまいました。今、世界でも古典調律法で演奏したピアニストは多分私だけでしょう」と語っています。この演奏会で使用されたのは古典調律の中のヴェルクマイスターでした。

近年の古楽ブームの影響で多少は古典調律に興味を持つピアニストが増えてきました。非平均律のピアノを使った演奏会も時々耳にするようになりましたが、それでも未だピアノ界は平均律がほとんどという状態です。自分で音程を作りながら演奏するヴァイオリニスト等に比べて、ピアニストは音程に対して関心が薄く調律師任せにする傾向が見られます。

バッハ、モーツァルト、シューベルト、ベートーベン、ショパン等の時代は古典調律でもって作曲し、演奏していました。平均律に移行したのは1850年以降のことです。18、19世紀の美しい響きを20世紀の平均律が単純でモノクロの響きに変えてしまったのです。

私たちは生まれた時から平均律に囲まれ、平均律で古典の曲を弾いてきました。
そのことに何の疑問も持たずに弾いてきたわけですが、私は10年程前から古典調律に興味を覚え、家の2台のグランドピアノをヴェルクマイスターとキルンベルガーに変えました。いつも信頼をおいて自宅のピアノをお願いしている調律師は「古楽の演奏会で古典調律をやったことはありますが、ピアノの先生のお宅でやるのは初めてです」と最初は驚かれた様子でした。ミーントーンの調律などもやっていただきましたが、これはほとんど使えず直ぐに調律変えしました。古典調律に慣れてくると今までの平均律が非常に無表情で濁って聴こえてくるから不思議です。無表情と感じるのは何処をとっても等しい幅の調3度であり、何調で弾いても同じ表情になるからです。
平均律は大型チェーン店の味、古典調律は店ごとに趣の違う味と言えるでしょう。



調性格テスト

オルガンの専門家であるケレタートが1978年におこなった調性格の聴取テストをご紹介します。

*被験者はピアニスト、チェンバロ奏者、オルガニスト、ピアノ調律師、オルガン等の製作者、音楽学者など40人。

平均律とキルンベルガーに調律したチェンバロを交互に弾くテストで、曲は平均律クラヴィーア曲集 1巻1番 ハ長調 プレリュードです。
この曲をロ長調、ハ長調、変ニ長調で演奏しました。

結果は平均律では音の高さが変わったことには気づいたが調性の違いを確認できた被験者は一人もいませんでした。
キルンベルガーでは純正の長3度でハ長調はおのずと分ってしまい、ロ長調と変ニ長調はどこかおかしいと感じられました。

次に平均律クラヴィーア曲集 1巻8番 嬰ニ短調 プレリュードをニ短調、嬰ニ短調、ホ短調で演奏します。

結果は平均律では特徴的な性格を持つ短調の表現に合わないと感じられた。
キルンベルガーではニ短調とホ短調は中立的で単に綺麗に響くだけ、嬰ニ短調は非常に説得力のある段階に達していると感じられた。*

以上の結果から言えることは平均律では音の高さの違いしか感じられず調性格は感じられないということです。一方キルンベルガーでは調性格の違いを実際に耳で確認することができたということです。

「平均律クラヴィーア曲集」は24の長短調が網羅されています。これらを、平均律で弾くと調性格は感じられずすべての調が同一のモノトーンです。何調で弾いても調性格に違いが感じられないのに何故24もの調短調で弾く必要があるのでしょうか。わざわざ難しい調で弾いて何のメリットがあるのでしょうか。

イコール式では、まず全曲をハ長調とイ短調で相対音感的にしっかりと理解することが大切だと考えます。この2つの調は階名と音名が一致するので、バッハの対位法を一目瞭然で理解し、内的聴覚でもって音楽を頭の中に記憶することができます。学んだ1曲1曲を記憶に留め、頭の中に財産として蓄積することが可能です。絶対音感に基づく固定ド読みで「平均律クラヴィーア曲集」を弾いたのでは内的聴覚でもって音楽を頭の中に記憶することが困難です。


朝比奈隆

2001年12月、現役の最高齢指揮者であった朝比奈隆が 93歳で亡くなりました。
彼は京都大学の学生オーケストラでヴァイオリンを担当して活躍しましたが卒業して一旦阪急電鉄に勤めました。しかし音楽への夢を断ち切ることができず、法学部を卒業後、再度文学部に入学してオーケストラを続けました。やがて彼は京大オーケストラ第4代指揮者メッテルの後を継いで第5代指揮者になり、その頃から大阪音楽大学で教鞭を執るようになります。大阪フィルハーモニーの常任指揮者、音楽監督として活躍し、海外オーケストラへの客演やブルックナー演奏の巨匠として絶賛を浴びました。世界から認められた指揮者として日本では初めて文化勲章を受賞し、世界最長老指揮者として生涯現役でした。

(朝比奈隆の前任者である京大オーケストラ第4代指揮者のメッテルはロシア生まれのユダヤ人、ハリコフ大学法学部出身、ペテルブルグ歌劇場指揮者。ロシア革命後、奥さんが宝塚歌劇団の舞踊指導に招かれた縁で来日滞在した。)

朝比奈隆が「プロの音楽家からみた京大オーケストラ」と題して京都大学音楽部交響楽団75年史の中で語っている内容を一部ご紹介します

朝比奈氏「選び抜かれた秀才の集団だったら、教える方だって張り合いがあるわな。メッテル先生は『アタマ、アタマ』って言っておられたもん。そういうことをメッテル先生はプロのいる前でおっしゃるから問題があったんだけど。だけども、湯川秀樹ほどできなくてもいいけど、頭が悪いのではどうも。サッカーでもね、体でやるんだけど、バカが一人入ったら負けますもん」

朝比奈氏「大学のオーケストラのうまい順っていうのは、正確じゃないけど、大学の入学の難しい順ですよ。君らは今の大学(京大)にいるからそういうこと思わないんだけど、これは学閥でもなきゃ何でもなくって、頭の順だって。いくら閥を作っても、バカが作ったってだめだよ」

朝比奈氏「アマチュアであろうが何だろうが、正確で緻密な訓練を受けるっていうことは当然だな。それがいやなら、やめるんだな。プロのサッカー選手だろうが、アマのサッカー選手だろうが、金もらうか会費払うかの違いだけで、スポーツやってるのぞみ方に変わりはない。アマチュアっていうのは、負けてもいいとか下手でもいいとかいうのと違うからね」

京大の身内意識を持って語っているせいか、多少激しい発言も見られますが、ここで朝比奈隆が語っていることは、サッカーに例えながら音楽の本質をついているものです。頭を使わない、あるいは使うべき頭が弱い音楽家は真の意味の音楽家ではないのであり、そのような人たちはプロであってもアマチュア音楽家であると言っているのだと思います。

日本の音楽大学は教養過程を終えてから専攻を選ぶというシステムではなく、入試の時点で音楽の専攻、その上に専攻楽器まで決めてしまいます。その結果として、普通高校から東大や京大に入学できる頭の人が音楽大学に進学することは殆どないのが現状です。音楽大学の入試は一般教科を軽視あるいは無視して専攻実技だけが重視されます。

実技それは指と腕のスポーツのようなものです。音楽はスポーツのレヴェルに留まっていては何の意味も成さないのです。イコール式は単なる指のスポーツとしてのピアノ演奏に警鐘を鳴らすものです。頭を使うことは内的聴覚を使うことです。内的聴覚を育てるのは相対音感です。イコール式は相対音感による教授法を提唱しています。


音楽の家訓と処世訓

「音楽の家訓と処世訓」はシューマン(1810生)が1848年にドイツの若者たちへの助言としてに書いたものです。以下にシューマンの言葉を引用します。

「小さい時から和声の根本法則を学べ。理論、通奏低音、対位法といった用語を恐れるな」

「自分の弾く曲は指で弾けるだけでなしにピアノなしに口ずさむこともできなくてはならない」

「たびたび戸外を散策せよ」

「大きくなったら、はやりのものは弾くな。はやりのものは再びはやらなくなる。現にある良い音楽をすべて知るだけでも100人分は生きなければならないのだから」

「良い大家のフーガ、とりわけバッハのそれを熱心に弾くこと。平均律クラヴィーア曲集は毎日の糧とするが良い。そうすれば君はきっと有能な音楽家になるであろう」

「しかし誰も例外なしに改めて汲み取るべき泉がひとつだけある。私の言うのはバッハという泉である」

「合唱団に入って熱心に歌うこと。特に内声部を歌うと良い。そうすると君は音楽的になるのだ」

最後にイコール式の主張を最もよく代弁しているシューマンの言葉を紹介します。

「ピアノを弾きながら小さな旋律を探し集めるのも、それはそれで結構だが、旋律がピアノではなくて、君自身からひとりでに生まれてきたら、それはもっと喜ばしいことである。その場合、君の中で内的音感覚が生起するのだからである。指は頭の欲することをやらなければならないのであってその逆ではない」
やわらかなバッハの会
〒753-0072 山口県山口市大手町
3−6 大手町ビル4F
毎週土曜日 輪奏会17:00 PM
第2金曜日 輪読会10:00 AM
毎月1回   対話集会17:00 PM
都合により日時を変更する場合もありますので初めての方は事前にご連絡ください

お問い合わせはこちら

<プロフィール>
やわらかなバッハの会 
会長 橋本絹代
新しい鍵盤楽器記譜法「イコール式」の創始者

子供の頃、父と一緒に、バッハのフーガをピアノ分担奏で弾くことによって、声部進行を直感的に学び取り
バッハのとりこになった。
これまで約400人のピアノレッスンを通じて、バッハのフーガを弾くことの重要性を認識し、初級者でもバッハ演奏を楽む方法を提案。

2007年 世界で初めての楽譜《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》カワイ出版 

2009年 音楽書『やわらかなバッハ』春秋社

2013年「やわらかなバッハの会」設立

2014年 バッハ礼讃音楽会 (於 旧県会議事堂) 毎年開催

2016年 バッハ・イン・ザ・サブウェイズ (於 新山口駅南北自由通路 )毎年開催

2017年 Bach Network UK 対話会議研究発表 (於 ケンブリッジ大学)

Prof.Yo Yomita (富田庸) 講演会「バッハを嗜む」主催 (於 山口大学)

イコール式とは「鍵盤楽器においてどの調も皆同じ」という意味です。
なぜなら12等分平均律の鍵盤楽器における調性とは、ただ高さのみによって識別される2つの旋法、すなわち長調と短調の性格だけに限られるからです。
12等分平均律は勿論のこと、不等分音律を前提に論じたマッテゾンでさえも調性格の恣意性を指摘しています。
異名同音、ピッチの変動、バッハの手による移調の試みなどを考慮すれば、《バッハ平均律クラヴィーア曲集》の中の難しい調を簡単な調に移調してまず親しむことが大切です。初級者は更にそれをアンサンブルで楽しむことが大切です。
やわらかなバッハの会は既成概念にとらわれず、自分自身の判断で音楽の本質を探究するところです。


世界唯一! 平均律クラヴィーア曲集の移調
音楽の構造が良く解る










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<イコール式の意味>
*12等分平均律の鍵盤楽器においてはどの調も同じ(イコール)です *フーガの各声部は主従関係ではなく対等(イコール)です *12等分平均律の調律法はイコール・テンペラメントと言います *音名と階名が同じ(イコール)読み方です
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イコール式チラシ
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