やわらかなバッハの会 The Society of Soft Bach

先入観念にとらわれることなく、バッハの音楽に親しむ会です。
イコール式音楽研究所  所長  橋本絹代
Equal Method Music Institute President Kinuyo Hashimoto

調性格 # ホ短調

ケレタート著「音律について」

#ホ短調を明るい調として捉えているもの
シューバルト・・・純真無垢、無邪気な愛の告白

#ホ短調を暗い調として捉えているもの
マッテゾン・・・・重く垂れ込めた滅入るような気分
シューバルト・・・ぼやきの無い嘆き、
シリング・・・・・助けることができないと言う力不足にたいする悩み、絶望
ロッホリッツ・・・軽く嘆くように、冷たい、無気力、
シュテファニー・・秋のように色あせて生気がない、疲れて無気力なものを表す
リューティー・・・(モーツァルトに関して)陰気で悲劇的な要素、憂鬱

ホ短調の性格に関しては概して暗いものが多いようです。
ただし、これらはバッハの時代に一般的であった中全音律などの不等分音律で演奏した場合に感じられる調性格です。

現在私たちが演奏している12等分平均律で演奏すると、すべての調が同じ音階構造を持つのであらゆる調が同じ性格=調性格が存在しません。

イ短調に移調した「バッハ平均律クラヴィーア曲集」
イコール式


今度は「バッハ平均律クラヴィーア曲集」の中のホ短調を見てみましょう。
http://ml.naxos.jp/default.asp

第1巻ホ短調は物悲しいアリオーソ風の装飾的な旋律からプレストの嵐に進んで気分をがらりと変えるプレリュード。続く2声フーガは転調主題が休み無く動き続ける多少荒々しい感じのものです。

第2巻ホ短調は甘い感傷を漂わせたイタリア風のクーラントに続いて熱烈で多彩、エネルギッシュな純器楽曲風のフーガです。

「バッハ平均律クラヴィーア曲集」の中のホ短調は調性格論者が言う暗く憂鬱なものが1巻のプレリュードに見られる程度です。ここではホ短調に一定の調性格が感じられません。
バッハは「すべての長3度を純正より広く取って」12等分平均律に限りなく近い音律を自ら作って演奏しました。そこにはもはや調性格と言うほどの差異は残っていなかったものと想像できます。

調性格論 #### ホ長調

ケレタート著「音律について」から調性格のホ長調を書き出してみます。

####ホ長調の性格として暗いもの

マッテゾン・・・疑念に満ちた状態、死ぬ程辛い悲嘆
フォーグラー・・身を切るように辛い
クラーマー・・・尊大さ、癪に障る

####ホ長調の性格として明るいもの

シリング・・・・・悲しみの表現ではなくむしろ聖なる愛、率直         さ、純粋な楽しみ
シュテファニー・・豊な輝くもの
マルクス・・・・・明るい太陽の壮麗さのように晴れ晴れと明る         い
ベック・・・・・・精神的な暖かさ
ミース・・・・・・優雅、愛らしい、素朴
リューティー・・(モーツァルトのホ長調)気高く品位に満ちた気分、朝の気分
シンドラー・・・(キルンベルガー音律に基づいて)祝典的な表現に適している

調性格論は普通どのような音律に基づくものなのか書いてない場合が多いので、仮に同一人物が、音律の違うホ長調を聴いた時にどのような違いがあるのか不明です。

上記の調性格論を読むとホ長調は明るいものから暗いものまで実に様々なものが列挙されており、一定の傾向としての調性格が見えてきません。

ではバッハ平均律クラヴィーア曲集におけるホ長調はどうでしょうか。
http://ml.naxos.jp/default.asp

1巻ホ長調プレリュード・・・幸福な牧歌的情緒→明るい
  ”  フーガ   ・・・若々しい活気と喜び→明るい
2巻ホ長調プレリュード・・・穏やかで淡い美しさに輝く→明るい
  ”  フーガ   ・・・ラファエロ的な柔和な美しさ→明るい

バッハ平均律クラヴィーア曲集におけるホ長調は調性格論者たちの意見と異なり、明るく穏やかな一定の傾向が見られます。

バッハの平均律クラヴィーア曲集ではホ長調の調性格が一定しているので、他の調で弾くと、明るく穏やかな調性格が消えてしまうのでしょうか。

バッハは今まで使えなかった難しい調も含めて24すべての調が使えるような独自の調律法でこの曲集を演奏しました。
そのためにはすべての長3度を広く取って、今日の12等分平均律に非常に近い調律を行う必要がありました。
12等分平均律に近いということは調性格が殆んど存在しないということを意味します。

従って、平均律クラヴィーア曲集の中のホ長調に見られる明るく穏やかな性格は音楽の曲想そものの中にあるのです。ホ長調であるがゆえに明るく穏やかなのではなく、何調で演奏しても明るく穏やかな曲なのです。

このことを理解したら「バッハ平均律クラヴィーア曲集」をハ長調とイ短調に移調して弾くことに抵抗を感じなくなるでしょう。
抵抗を感じないだけではなく、この2つの調だけが、音楽の正しい理解に繋がる道なのです。
 イコール式






		

平均律と調性格

キルンベルガー(1721年生まれ)はキルンベルガー音律で知られる音楽理論家です。バッハに師事し、その教えを「正しい作曲技法」として著しました。
キルンベルガーは平均律と調性格について次のように述べています。

・・・平均律によって実際何も得られないばかりでなく、非常に多くのものを失った。平均律は作曲家に長調にするか短調にするかの選択肢しか残さない ・・・

次にミツラー(1711生まれ)はドイツの大学で音楽を講じた最初の人で、彼が設立した音楽学協会にバッハを加入させたことで有名な音楽学者です。彼の意見は次のようなものです。

・・・平均律を前提とすれば、ただ高さによってのみ識別される12の調種には、2つの調性(長調と短調、すなわちこの概念はむしろ旋法と捉えることができる)だけがある ・・・

次にヘルムホルツ(1821生まれ)は音楽的な音響学を確立したドイツの音響学者、物理学者ですが、彼の平均律論は以下のようなものです。

・・・すべての半音が音階全体を通じて同じ大きさであり、すべての音が同じ音色をもっている時には、異なる調性の作品が異なる性格をもつはずであるという見解に対する根拠を示せない ・・・

最後に私見を述べさせていただくと、今日まで完全な平均律などというものはなく、僅差の処理は調律師に任されています。しかし、平均律における僅差が調性格を形成するのではありません。
楽曲が作曲された時代には実態として存在した調性格ですが、今は実態として存在しないにも関わらず、調性に関する神話の呪縛から開放されていないだけなのです。

バッハの手による移調 1巻No.8

平均律クラヴィーア曲集は1巻2巻共に、プレリュードとフーガを一組としてハ長調、ハ短調、嬰ハ長調、嬰ハ短調の順に半音ずつ上がり、ロ長調、ロ短調で終わる構成になっています。
ところが1巻のNo.8だけはプレリュードが♭6個の変ホ短調、フーガが#6個の嬰ニ短調です。なぜバッハはプレリュードとフーガを同じ調で書かなかったのかという疑問が湧いてきます。

この疑問を解く鍵がフーガの第16小節の1拍目にあります。
第14小節の最後から始まるのソプラノ上行音階はロ音上の掛留で停滞するのではなく、いっきに嬰ニまで上昇したはずです。ところが上行音階の最高音となるはずの嬰ニ音が当時のクラヴィーアにはありませんでした。バッハが平均律クラヴィーア曲集に用いたクラヴィーアは3点ハが最高音だったからです。

シュピッタ(近代バッハ研究の基礎を築いた音楽学者)たちの主張によると、バッハはニ短調で書いたフーガを嬰ニ短調に移調する際、旋律線の頭を撥ねなければならなかったというわけです。
今日の私たちは、本来の望ましい形に書き換えて演奏することも可能です。実際、
バレンボイムは上行音を一気に嬰ニ音まで駆け上がる形で演奏しています。

バッハが平均律クラヴィーア曲集を編集するにあたって、ニ短調を嬰ニ短調に移調したために、プレリュードと揃えて変ホ短調にすることができず、嬰ニ短調にしたのでしょう。
また、プレリュード自体もホ短調からの移調であると考えられています。
これらの移調は♭系から#系への遠く離れた調への移調であり、調性格に対する配慮をそこに感じることはできません。

「平均律クラヴィーア曲集」は史上初めて24すべての調を網羅した記念碑的作品です。それまでに無かった新しい調を開拓したのですが、その開拓に相応しい新しい感情が開拓されたのではありません。

バッハにとって、「平均律クラヴィーア曲集」の目的は24すべての調を踏破することだけで十分でした。24種類の調性格まで列挙して確立することを考えていたとは思われません。
何故なら、バッハ自身がすべての調を弾くことが可能な調律法を考案し、その調律で自ら平均律クラヴィーア曲集を弾いたからです。平均律に限りなく近い調律で弾く場合、もはや調性格の確立は不可能であることをバッハ自身が一番良く承知していたことでしょう。

「平均律クラヴィーア曲集」を何故移調したのか

私は楽典や音楽理論を知るに及んで、音楽を直感だけではなく理論的に理解するようになりましたが、それは音で理解するのではなく、机上で理解するものに過ぎませんでした。何かが変だという漠然とした違和感を抱きなら各種のピアノメソード、各楽器メーカーの教育システム、リトミック、オルフシュールベルクなどを研究して解決の道を探りました。

そんなある日、書店でケレタート著「音律について」という本が目に留まりました。早速読み始めると「平均律に調性格はない。平均律には長調と短調の選択肢しかない」と書いてあり衝撃を受けました。「それなら何故、私たちは調性格のない平均律のピアノを弾いているにもかかわらず、バッハの平均律クラヴィーア曲集を24もの難しい調で弾かなければならないのか」という疑問が湧いてきました。               
私は直ぐに「バッハ平均律クラヴィーア曲集」を楽譜作成ソフトのフィナーレを使って全曲ハ長調とイ短調に移調して弾いてみました。自宅の2台のグランドピアノを従来の平均律ではないキルンベルガー、ヴェルクマイスター、ミーントーンなどの音律に変え、更に多種の音律が設定できるキーボードでも弾き比べてみました。そのような研究の結果でき上がったのがイコール式平均律クラヴィーア曲集です。
ハ長調とイ短調に移調した「イコール式 バッハ平均律クラヴィーア曲集」は下記の URLをご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/equal_shiki/

アグリーコラによるバッハ賞賛

ーーーギリシャにはただ一人のホメーロスしかなく、ローマにはただ一人のヴェルギリウスしかなかったごとく、ドイツもまたただ一人のバッハをもったにとどまるかのようである。今日にいたるまで、作曲の技においても、オルガンやチェンバロの演奏においても、彼に比肩しうるものはヨーロッパ広しといえど一人としてなく、将来もまた、なんびとも彼を凌駕し得ないであろう。かの名高いマルティーニ神父の和声、マルチェッロの巧妙さと創意、ジェミニアーニの歌唱的な旋律と様式、はたまたスカルラッティの手腕、たとえそれらを一つに合わせても、このバッハ一人には遠くおよばないのであるーーー

アグリーコラ:1720〜74
       ベルリンで活躍した作曲家       
       ライプッヒ大学に入るとすぐに楽長バッハ氏のも とでレッスンを始めた。バッハのカンタータ演奏に直接参加 し、写譜などにも協力した。

シュヴァイツァー

シュヴァイツァー(1875〜1965)はオルガンの名手であり音楽家としての成功を約束されていましたが、30歳の時、医療と伝道に生きることを志し、アフリカのランバレネにおいて、住民への医療などに生涯を捧げました。彼は医師としてアフリカに行く準備のための多忙な生活の中で『J.S.Bach』を書き上げました。この論文は今もなお、バッハ研究書としての価値を失わずシュヴァイツァーの名を永く音楽界に残すことになりました。この中から一部を以下に引用します。

「本物の芸術と偽者の芸術を区別する分別においてはたしかにずっとすぐれているとすれば、それは第一にバッハのこれらの曲に負うものといえよう。それを練習したことのある子供はーその際どんなに機械的に行われたにせよー声部進行を目のあたりに学び取るのであり、この直感は2度と消し去られることはないであろう。そのような子供は他のどんな曲にも同様な音響の線による尊厳な動きを本能的に求めるようになり、その欠如を貧しさと感ずるであろう。」

また彼は《平均律クラヴィーア曲集》の世界を次のような美しい言葉で表現しています。
「平均律クラヴィーア曲集は宗教的な感化を与える。喜び悲しみ泣き嘆き笑いーすべてが聴く者に向かって響き寄せてくる。しかし、その際にわれわれは、このような感情を表現する音によって、不安の世界から平安の世界へと導き入れられ、あたかも山間の湖畔で底知れない深さをたたえた静かな水面に山や森や雲の映る姿を眺めるときのように、現実を見るのである。平均律クラヴィーア曲集ほど、バッハが自己の芸術を宗教を感じていたことをよく理解させてくれる作品はない。彼が描写するものは、ベートーベンがそのソナタでしたような自然のままのさまざまな魂の状態ではなく、また一つの目標に向かっての苦闘や抗争でもなく、生を超越していることをあらゆる瞬間に自覚している精神―最も激しい悲しみと最も底抜けの朗らかさなどの極度に対立した感情をいつも同一の超然たる根本的態度によて体験する精神―が感じ取る生の実在なのである。それゆえに第1巻の悲痛に打ち震える「変ホ短調プレリュード」の上にも、また第2巻の憂いなく流れてゆく「ト長調プレリュード」のなかにも同一の浄い光が漂っている。」

バッハ 平均律クラヴィーア曲集  イコール式版

平均律クラヴィーア曲集全48曲をハ長調とイ短調に限定して移調したイコール式版
新バッハ全集(ベーレンライター版)を基にして編集

あなたも、いくらでも好きなだけの名曲を弾ける世界を体験することができます。
もし、あなたがご存知の名曲を演奏したいと思っておられるなら、このページは今までご覧になった中であなたに最も重要なメッセージをお伝えすることになるでしょう。
http://blog.livedoor.jp/equal_shiki/

多声音楽は連弾で弾こう



鍵盤楽器は一人で3声、4声を受け持って多声音楽を演奏しますが、管楽器や声楽はその特性から1声しか受け持つことができません。人間の頭は一つしかないのですから、一人1声が基本です。無理して3声4声を弾いても、頭の中はテーマが出てくるパートを綱渡りしているだけで、結局一度に1声しか聞いていない場合が少なくありません。曲の最初から最後まで、たった一つの声部でさえ1音もらさず横の流れを聞き取って演奏できる人は稀です。
鍵盤楽器も無理せず、アンサンブルで多声音楽を楽しみましょう。
イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集は全曲をハ長調とイ短調に移調しました。鍵盤曲の私の音楽の原点は父と一緒に1台のピアノで連弾したバッハの多声音楽です。
父は大阪フィル創立名誉指揮者の朝比奈隆が学んだ京都大学交響楽団でクラリネットを吹いていました。朝比奈隆は京都大学法学部を卒業後、再度文学部に入学するなどして、京都大学交響楽団指揮者のメッテルに学び、やがてプロの指揮者になってしまった方です。朝比奈隆は世界中のオーケストラを指揮し、グレン・グールド、メニューヒン、パールマンなどと協演しました。また音楽人としては山田耕作以来2人目の文化勲章受賞者として、93歳まで現役指揮者を通すという輝かしい生涯でした。
父は先輩の朝比奈隆を尊敬しながら、大学ではクラリネット、家ではオルガンに親しみました。卒業後はOBオーケストラを楽しみにし、仕事で海外に出張した時は必ずその地のオーケストラを聴いてくるという愛好家でした。
私が父から受け継いだものを一言で言うと「アタマ、アタマ!」です。
この言葉は朝比奈隆の師であるメッテルの言葉です。メッテルはウクライナに生まれ、大学で法律を学んで弁護士になり、その後、リムスキー=コルサコフやグラズノフについて音楽を学びました。奥さんが宝塚歌劇団の日本人であった縁で、京都大学交響楽団の指揮者になった人です。

音楽を愛した父と子供だった私は、ちょっと変わったピアノ連弾をよくやりました。それはピアノソロ用の楽譜を上段と下段に分けて2人で分担して弾く連弾です。この方法は片手練習の手軽さで曲全体が音になるのでブルグミュラー、ソナチネ、ソナタ、バッハ、その他の名曲を簡単に楽しむことができました。とくに多声音楽の声部進行には連弾が最適な方法でしたので、子供だった私でも直感的にバッハの声部進行を学び取ることができました。その時以来バッハのフーガに魅せられ、多声音楽意外のものを物足りなく感じるようになりました。

バッハのフーガは難しいとされて初心者のレッスンでは敬遠されがちですが、連弾で弾けば簡単です。管楽器や声楽の人は最初から1声分しか担当できません。ところが鍵盤楽器奏者は頭が一つしか無いのに、一人で幾つもの声部を弾かなくてはなりません。それ故にテーマばかりを拾って繋ぐパッチワークのような演奏になり勝ちですが、連弾で弾けば簡単に声部進行を正しく理解できます。

一人ですべての声部を弾く醍醐味も捨て難いものですが、アンサンブルの形で弾く楽しみはまた格別なものがあります。
最高峰である「バッハ 平均律クラヴィーア曲集」を是非アンサンブルでお弾きください。カワイ出版のご協力を得て、世界に類を見ない、バッハ平均律クラヴィーア曲集を発売中。http://blog.livedoor.jp/equal_shiki/

調を表す#と♭はもう要らない

ベートーベンの悲愴ソナタは調号の♭が3つ付いたハ短調です。ベートーベンに限って言えば、ハ短調は悲劇的な感情に満ちた作品を支配しています。

これはベートーベンが作曲する際に弾いたピアノがキルンベルガー音律であったことと深い関係があります。キルンベルガー音律のハ短調はピュタゴラスに近い主和音と中全音律に近い属和音を持ちます。これらの特徴が、ベートーベンにとっては悲劇的な感情と強く結びついていたのでしょう。

もし、ベートーベンが平均律のピアノで作曲していたらどうなったでしょうか。平均律は主和音も属和音もすべての和音が同じ響きをもつモノトーンの世界です。すべての調が均一ですからハ短調だけが悲劇的なわけでも何でもありません。平均律に調性格は存在しません。

ベートーベンが調にこだったのは調性格が存在した証拠です。
つまり、調性格が存在する不等分音律のピアノで作曲したからに他なりません。

平均律のピアノが普及したのは大体ドビュッシー以降ですから、古典派やロマン派の作曲家の殆どは不等分音律のピアノで作曲したことになります。

現在、私たちは平均律のピアノを弾いています。平均律に調性格は存在しないので、ベートーベンの悲愴ソナタをハ短調で弾いてもその他の調と比べて、特に悲劇的な感情が感じられるわけではありません。悲愴ソナタを何調で弾いても同じです。悲愴的な感情は和音や旋律にあるのであって、ハ短調という調にあるわけではありません。

奏いう訳でイコール式はすべての調性音楽をハ長調とイ短調に移調して考える合理的な記譜法を用います。すべての長調はハ長調にすべての短調はイ短調に移調しますから、ハ短調の悲愴ソナタはイ短調に移調して弾きます。ハ短調とイ短調は短3度離れますが、そのことによって音楽の和音や旋律は変わるのではありません。

音楽は音の高さ=周波数で変わるのではなく、和音や旋律で変わるのです。
例えばバッハは普通より短3度高く調律されたオルガンを平気で弾きました。これは周波数からいえばイ短調からハ短調に高くしたようなものですが、音楽は何ら変わりません。

イコール式は提案します。
これからはすべての調性音楽をハ長調とイ短調で弾きましょう。
すべての調はハ長調とイ短調からの移調として考えましょう。
もう調を表す#や♭は要りません。




やわらかなバッハの会
〒753-0072 山口県山口市大手町
3−6 大手町ビル4F
毎週土曜日18:00 PM
毎週金曜日10:00 AM
毎月1回   対話集会18:00 PM
都合により日時を変更する場合もありますので初めての方は事前にご連絡ください

お問い合わせはこちら

マンスリーバッハ (第2日曜日)
午後4時〜6〜時
場所:新山口駅構内

バッハ・イン・ザ・サブウェイズ
2019年3月21日
場所:新山口駅構内

<プロフィール>
やわらかなバッハの会 
会長 橋本絹代
新しい鍵盤楽器記譜法「イコール式」の創始者

子供の頃、父と一緒に、バッハのフーガをピアノ分担奏で弾くことによって、声部進行を直感的に学び取り
バッハのとりこになった。
初級者でもバッハのフーガを楽む方法を提案している。

2007年 世界で初めての楽譜《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》カワイ出版 

2009 音楽書『やわらかなバッハ』春秋社

2013「やわらかなバッハの会」設立

2014 バッハ礼讃音楽祭 (於 旧県会議事堂) 毎年開催

2016 バッハ・イン・ザ・サブウェイズ (於 新山口駅構内)毎年開催

2017 Bach Network UK 対話会議研究発表 (於 ケンブリッジ大学)

2017 Prof.Yo Yomita (富田庸) 講演会「バッハを嗜む」主催(於山口大学)

2018 Thomas Cressy 明治150年記念「日本の明治時代におけるバッハ受容」

イコール式とは「鍵盤楽器においてどの調も皆同じ」という意味です。
なぜなら12等分平均律の鍵盤楽器における調性とは、ただ高さのみによって識別される2つの旋法、すなわち長調と短調の性格だけに限られるからです。
12等分平均律は勿論のこと、不等分音律を前提に論じたマッテゾンでさえも「どんな調もそれ自体では、その逆を作曲し得ないほど悲しかったり楽しかったりすることはできない」と述べています。
異名同音、ピッチの変動、バッハの手による移調の試みなどを考慮すれば、《バッハ平均律クラヴィーア曲集》の中の難しい調を簡単な調に移調してまず親しむことが大切です。初級者は更にそれをアンサンブルで楽しむことが大切です。
やわらかなバッハの会は既成概念にとらわれず、自分自身の判断で音楽の本質を探究するところです。


世界唯一! 平均律クラヴィーア曲集の移調
音楽の構造が良く解る










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<イコール式の意味>
*12等分平均律の鍵盤楽器においてはどの調も同じ(イコール)です *フーガの各声部は主従関係ではなく対等(イコール)です *12等分平均律の調律法はイコール・テンペラメントと言います *音名と階名が同じ(イコール)読み方です
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