やわらかなバッハの会 The Society of Soft Bach

先入観念にとらわれることなく、バッハの音楽に親しむ会です。
イコール式音楽研究所  所長  橋本絹代
Equal Method Music Institute President Kinuyo Hashimoto

音楽大学の学科偏差値

受験シーズン真っ只中、音大受験生にも学科試験はある。実技偏重はさておき、学科の方の偏差値を 「2019年度 入試対応 大学・学部 偏差値一覧」 benesse から調べてみた。

「大学偏差値一覧」は文系と理系に分かれており音大は文系に分類されている。

中世の大学では自由七科といい、文法・修辞学・弁証法の3科が文系、算術・幾何・天文・音楽の4科が理系である。音楽は明らかに理系だった。
いつの間に音楽が文系になり、実技偏重になったのだろう?

以下は文系のみを調べたもので数字は偏差値を示す。
同一大学でも学部ごとに偏差値が異なるため、最も高い学部に従って記した。
音楽大学や音楽系学部は太文字で示した。
男女共学、4年制大学のみ記した。
あまりに大学の数が多いためすべてを記すことはできなかった。


83 慶応大
82 早稲田大
80 東京大
77 京都大
76 上智大
75 一橋大  大阪大  国際基督教大
74 中央大 明治大 立教大 法政大 同志社大
73 関西学院大
72 名古屋大 神戸大  
71 九州大 青山学院大 立命館大
70 関西大 南山大 
69 東北大 横浜国立大 東京外国語大  学習院大
68 北海道大 千葉大 大阪市立大 
67 首都大学東京  成蹊大 武蔵大
66 明治学院大 獨協大 東京理科大 中京大
65 国学院大 竜谷大 近畿大
64 成城大 創価大 立正大 関西外語大
63 東京芸術大(音) 岡山大 玉川大 明星大 専修大 佛教大
62 東京学芸大(教育) 筑波大(芸術専門学群) 熊本大 駒澤大  
61 広島大(教育) 埼玉大 信州大 甲南大 順天堂大 中村学園大
60 専修大 武蔵野大 畿央大
59 帝京大 立正大 金城学院大 福岡大
58 大阪経済大学
57 大阪教育大(教育) 日本大(芸術)  亜細亜大  東京経済大  
56 玉川大(芸術)  帝京大  大正大 広島専修大
55 山口大(教育)  拓殖大  桜美林大 
54 島根大学(教育) 大東文化大 亜細亜大  岡山理科大
53 国士舘大 阪南大 天理大
52  東海大(教養芸術) 東京福祉大 九州ルーテル学院大
51 琉球大(教育) 杏林大
50 山口学芸大(教育) 中部大 常葉大 
49 国立音大(音)  桐朋学園大(音)   目白大 育英大
48 武蔵野音楽大(音)
  京都精華大  沖縄国際大
47 沖縄県立芸術大(音楽) 東京音大(音) 大阪芸術大学(芸術) くらしき作陽大(音楽)   淑徳大   和光大
46 名古屋芸術大(芸術) 大阪音楽大 高松大 鶴見大
45 上野学園大(音)  昭和音大(音)  洗足学園大(音) 名古屋音楽大  鈴鹿大
44 エリザベト音楽大(音)  東邦音楽大 相愛大(音) 東亜大(芸術) 平成音大 札幌学院大
43 人間環境大  江戸川大 芦屋大
42 東京富士大  四日市大 豊橋創造大
40 朝日大

イコール式(Equal-Method)とは

イコール式とは等しいという意味である。12等分平均律はイコール、12等分平均律における24の調の響きはイコール、フーガの4声の役割はイコール、ハ長調とイ短調だけは移動ド読みと固定ド読みがイコールである。WTCの全48曲を一音たりとも編曲せずに、ハ長調とイ短調に移調した《 イコール式 バッハ 平均律クラヴィーア曲集 》 橋本絹代編著、カワイ出版、2007 は、、バッハのフーガを正しく学ぶ手掛かりとなる。イコール式は公文式などと同様に教育法のひとつである。WTCをハ長調とイ短調に移調した楽譜は、この種の出版物として世界で初めての試みである。

WTCはハ長調からロ短調まで上昇順で24の調を弾くことに意義があると一般的に考えられている。
インヴェンンション&シンフォニアもハ長調からロ短調まで上昇順に編集されているが、WTCcと違う点は遠隔調を飛ばして15の調が網羅されているということである。
インヴェンション&シンフォニアまで最初から順に弾くことに意義があると考える人は少ないだろう。なぜなら全24の調がそろっていないからであろう。

WTCはそれぞれ多様な趣をもつ独立した曲であるが、24の調を網羅していることから順に弾くことに意義があると思われているようである。バッハは上昇する順作曲したのではない。書き溜めたものを編集し、時には移調も試みて上昇順に並べたのである。上昇順に弾くと調的に関連のない半音上昇となる。例えば2番ハ短調に続くのは3番嬰ハ長調でそれは♭3個の調から♯7個の調に続ける演奏となる。なめらかな転調のため繋ぎに即興演奏を入れるピアニストもいるくらいである。
ショパンの《24のプレリュード》 や ショスタコーヴィチの《24の前奏曲とフーガ》 は 自然な順序で網羅されている。すなわち C: → a: → G:→ e:→ D: → h:〜〜〜 F♯: → e♭: → D♭: → b♭: → F: → d: で環が閉じる。

WTCとインヴェンションシン&フォニアの違いは遠隔調があるか無いかである。WTCの成立過程から確かなことは非遠隔調を先に作った後に遠隔調を作ったということである。バッハの作品のほとんどは、ミーントーン音律で弾ける範囲の非遠隔調であり、日頃は遠隔調の作曲をしていなかったのであるから当然である。しかもバッハは遠隔調を挿入する際に非遠隔調からの移調を試みて編集した形跡がある。デュル(Alfred Durr 1918-2011) や 富田庸(1961-)の研究によって、バッハが浄書の際に書き間違いをしてしまい、それを訂正した痕跡を調べた結果、非遠隔調で作った曲を遠隔調に移調しながら書いたことがわかったのである。

バッハは教会ごとにピッチの違うオルガンで管弦楽や歌と合わせなければならなかったので、その際オルガンパートを移調した。合奏の際のオルガンは移調楽器として扱われていたのである。オルガンのソロ曲を演奏する際は、教会ごとに異なるピッチでそのまま演奏されたが、時には3度もピッチが違っていた。

またバッハは転用や編曲した作品が多いが、その際、様々な事情から多くの移調を試みた。
例えばカンタータ12番の第2曲はロ短調ミサ曲の ” Crucifixus  十字架につけられ ” に転用する際、へ短調からホ短調に移調された。ヴァイオリン協奏曲2番はチェンバロ協奏曲3番に編曲する際、ホ長調からニ長調に移調された。このような例は沢山ある。

「イコール式」教育法はハ長調とイ短調なので古典音律で弾けば美しい響きが得られる。また難易度を下げ、声部進行を正しく学ぶためにもアンサンブルをすすめる。
以下にイコール式の優れたところを説明する。

1、調号としての ♯ ♭ がゼロ
楽譜には臨時記号としての♯♭のみ存在することになる。♯ ♭ が常に音符と近い距離にあるので譜読みの間違いが起こり難い。

2、移動ド読みの煩わしさを解消
見たままで “ 移動ド読み ” になっているのでラクに移動ド読みができる。転調部分については後述する。

3、音楽の正しい理解
イコール式は “移動ド読み” が可能になるので、音の機能を表す階名がわかる。

4、近親調が常に同じ調
主調がハ長調の場合、属調がト長調、下属調がヘ長調、平行調がイ短調というように常に一定であるのでフーガの構造を理解しやすい。

4、相対音感者の救済
相対音感者は移動ド読みで耳に聞こえるので、ピアノ譜を固定ド読みで演奏するのは無理がある。イコール式は耳に聞こえる音と楽譜が一致するので無理なく演奏できる。

5、絶対音感者の救済
絶対音感者は固定ド読みで耳に聞こえるので、ト長調の主音の 「 ソ 」 を 「 ド 」 と歌うことに抵抗を感じる。イコール式はハ長調とイ短調なので固定ド読みと移動ド読みが一致するため無理なく歌える。音楽を階名で理解するという視点から厳密にいえば、絶対音感者はハ長調とイ短調以外の曲を演奏してはならないとも言える。

6、確実な暗譜
  音楽を正しく理解し、正しい記憶が可能になる。

7、古典音律で弾くと音感が良くなる
12等分平均律は24の調が弾ける半面、和音はどれも濁っている。古典音律は弾ける調が限られるが純正に近い和音が得られる。ハ長調とイ短調を古典音律で演奏するとハーモニー美しさを知ることができる。

次にイコール式に対してよくある質問について述べる。

1、元の調とのピッチの差

古来グレゴリア聖歌は楽譜なしで歌い継がれてきたものでピッチは歌手の自由であった。

1000年頃、楽譜が発明された。ネウマ譜や5線譜は音の高低を書き記すことはできたが記譜された音と実際の音の高さを示すことは無かった。

1500年頃、アーロン(Pietro Aaron 1480-1550) は ハープシコードの調理に関して「最初のC音を任意のピッチに置いて良い」と教え、ガナッシ(Fontege Dal  Ganassi 1492-16世紀中頃)は 「弦楽器と声のピッチは作品や能力に合わせて自由に変えて良い」と教えた。

1700年頃、バッハの時代は多様なピッチが共存しており時には3度くらいの幅があった。当時の音楽家はまだ寄付された音とピッチを厳密に関連させる習慣を持っていなかった。演奏機会に応じてまたオルガンのピッチに応じて移調が行われた。

1800年ごろ、多様なピッチへの対抗処置としてフランス政府委員会が a'=435 と決めた。一方イギリスではa'=450まで上昇し標準ピッチの変動が治まることはなかった。

1938年になってやっと英国規格協会会議の勧告に従い、標準ピッチがa'=440と 定められ、これが世界基準となった。標準ピッチ決定から80年を経て今日、また440が上昇傾向にある。一方1900年後半の古楽運動により古楽奏者は A'=415 という低いピッチを標準としている。グレゴリオ聖歌から今日にいたるまで、記譜された音と実音のピッチは一定していないと言える。

ピッチの歴史や現況を考えると、WTCもピッチを一定にする必要はないと思う。a'=440 のピッチでWTCが耳に馴染んでいる場合は 電子ピアノのトランスポーズでピッチを近づけることもできる。バッハの時代のピッチ対策は移調するしかなかったが、現代は電気的な方法がある。


2、転調部分の読み方
WTCのフーガにおける複雑な転調は近代和声で分析することは不可能である。フーガについてはSDTを持つ完全なカデンツよりもむしろ調的浮遊性のゼクエンツに支配されており、旋法、12音、復調、無調など、調が複雑に変化する。短い主題が途中で転調する転調主題も幾つかある。フーガは一つの調に長く留まらないという意味で転調が無いともいえるため、途中で「ド」を移動させて読み替える必要性に乏しい。
♯♭の多い遠隔調もそのまま固定ド読みするのが一般的なピアノ演奏法であるが、ハ長調とイ短調に移調してその近親調を固定ド読みする方がはるかにラクである。イコール式はハ長調とイ短調に移調し、すべてを主調の主音からの距離で読む。この読み方がベストとは言えないまでもベターであろう。




WTCの調の変わり目に即興演奏

 平均律クラヴィーア曲集(以下 WTC) の即興演奏を交えて演奏する試みを聴いた。2018 年のバッハ音楽祭のプログラムの一つだった。演奏者はアメリカ の レヴィン (Robert Levin 1947〜)。彼はハーバード大学名誉教授で、今年のバッハメダル受賞者である。
バッハメダル受賞式はライプツヒの旧市庁舎で行われた。毎年6月にライプツヒで開催されるバッハ音楽祭の中で、レヴィンは市長などの祝辞を受け、過去のバッハメダル受賞達がお祝いの演奏を披露していた。
 
 レヴィンのコンサートはスタインウェイピアノだけで行われたが、その演奏はWTCを深い彫琢で築き上げ、声部が生き生きと飛び回っていた。それらの演奏の途中でレヴィンは短い即興演奏を挿入した。例えば14番嬰へ短調フーガの最後の和音から15番ト長調プレリュードに進む時、唐突に聞こえる半音進行を滑らかにするために、即興で実に上手く爽やかな転調を試みた。耳に自然な形でト長調に流れ込んだあと、また次の場所でも繋ぎの即興演奏を挿入して進んだ。彼の即興は、さりげない短いものであったがバッハに対する敬意と感謝の意を表しているように感じられた。彼は割れんばかりの拍手に包まれ、年齢を感じさせない若々しい足取りでステージを後にした。


 バッハ平均律クラヴィーア曲集(以下 WTC)は24の調が半音づつ上昇する順序で構成されており、これをハ長調から順にロ短調まで弾くことに意義ありと考えている人は多いと思う。
ハ長調 ⇒ ハ短調 ⇒ 嬰ハ長調 ⇒ 嬰ハ短調 ⇒ ニ長調 ⇒ ニ短調 ⇒・・・・・・・嬰へ長調 ⇒ 嬰へ短調 ⇒ ト長調 ⇒ ト短調・・・・・・ ⇒ 変ロ長調 ⇒ 変ロ短調 ⇒ ロ長調 ⇒ロ短調 で終わる。
長調の後に同主調 ( 短調 ) を配置している。
調号で示すと、無 ⇒ ♭3 ⇒ ♯7 ⇒ ♯4 ⇒ ♯2 ⇒ ♭1⇒・・・・・・・・ ♯6 ⇒ ♯3 ⇒ ♯1⇒ ♭2 ・・・・・・・ ・♭2 ⇒ ♭5 ⇒ ♯5⇒ ♯2 である。この順で演奏すると、調が半音上がる時の最後の和音と最初の和音は非常に遠い関係にある。例えば2番ハ短調の最後の和音から、3番嬰ハ長調の最初の和音に弾き進む時、両和音は非常に遠く離れている。WTCの並び順は1番から順に続けて演奏していくとき、調は前後関係を無視して唐突に進む感じは避けられない。

 ショパン 《 24のプレリュード op.28 》 や ショスタコーヴィチ 《 24 のプレリュードとフーガ op.87 》 は WTCとは並び順が違う。5度圏の順序で ♯ が一つづつ増えていき、長調の後に平行調(短調)が配されている。
ハ長調 ⇒ イ短調 ⇒ ト長調 ⇒ ホ短調 ・・・・・・・嬰へ長調 ⇒ 変ホ短調 ⇒ 変ニ長調 ⇒ 変ロ短調 ・・・・・ ヘ長調 ⇒ ニ短調 で終る。この並び順序で1番から続けて演奏すると和声的に滑らかに進むことができる。5度圏に準じて弾き進むことがきるからである。

  レヴィンの即興演奏はWTCの並び順の唐突な感じを見事に解消していた。

移動ドで歌う

日本音楽学会 西日本支部 研究発表  ” やわらかなバッハ ” より一部をかみ砕いて紹介させていただきます。

BWV 232

2018年3月21日  新幹線 新山口駅 構内  やわらかなバッハの会
バッハの誕生日を祝う世界的イベント 「バッハ・イン・ザ・サブウェイズ」 で  《 ミサ曲ロ短調 BWV 232  より Dona Nobis Pacem われらに平安を与えたまえ  》 をハ長調で歌いました。ミサ曲ロ短調 は27曲から成りますが、ロ短調は5曲しかありません。最多の調はニ長調で 《Dona Nobis Pacem われらに平安を与えたまえ 》 もニ長調です。しかし「やわらかなバッハの会」ではイコール式でハ長調に移調した楽譜を見て歌っています。ニ長調からハ長調に移調すると標準ピッチで1全音、古楽ピッチで半音下がることになります。

 ハ長調の便利な点は、読み替えなしでそのまま移動ド読みができることです。移動ド読みにおいては、主音は常に「ド」、導音は常に「シ」というように、「ドレミ」が本来もっている機能を表すことが最大の利点です。機能を表す「ドレミ」で歌えば、音程も自然に取り易くなります。機能を表す「ドレミ」は階名感覚を伴いますので、楽譜の読めない人、音符に仮名をふらなければならない人でも何とか歌えます。階名感覚とは、素人でも 「ドレミファソラシド」と歌ってもらえば、音程が順に上昇し、下降しながらは歌えません。また「シード」を半音で自然に歌える等の感覚を言います。移動ド読みをすれば常に「シード」は半音で歌えば良いのですが、固定ド読みの場合は「シード」が半音であったり全音であったりするという不都合が起こります。

 絶対音感のある人は何調でも固定ドで歌いますが、それはドレミがもつ本来の機能を無視した歌い方です。調性音楽の場合、音の前後の関係、相対的な関係が重要になりますが、固定ドはむしろその障害になります。通常、絶対音感の人は移動ドでは歌えませんが、ハ長調とイ短調だけはドレミとピッチが一致するので歌えます。加えて音の機能も一致するのです。

 絶対音感教育の牙城、桐朋学園の『 子供のためのハーモニー聴音 』 ( 柴田南雄 1979 音楽之友社 )に「 正しく調律されたa’=440Hzのピアノで行うこと 」と書いてあります。正しく調律されたピアノとは正しく12等分平均律に調律されたピアノという意味ですから、オクターヴ以外のすべての音程が不純なピアノが正しく調律されたピアノということになります。12等分平均律のピアノの音程に従って耳の訓練をすると、不純な人工的で機械的な音感が身についてしまい、自然な純正のハーモニーから遠のいてしまうのです。

 ピアノの鍵盤を見ると「ド」の上の鍵盤は「ド♯」で、「ド」と「ド♯」の丁度中間あたりのピッチはどちらの鍵盤に属すのでしょうか?また自然界にある無数の音、「ド」と「ド♯」の間に存在する無数のピッチはどうなるのでしょうか?世の中のすべての色を12色の絵具で分類できるわけではなく、色はグラデーションなのです。自然界の音も12の鍵盤に分類することは不可能です。しかも、近年標準音440Hzは上昇傾向あるなかで果たして絶対という絶対音感などあり得るのでしょうか。

 絵具の12色を即座に言い当てることができてもそれは当たり前のことであって、その能力だけでプロの画家になれるわけではないように、絶対音感があってもプロの音楽家になれるわけではありません。桐朋の絶対音感教育の室長だった別宮貞雄氏は「 私は絶対音感訓練の加熱が原因で教室をやめたのです 」と語り「 我々は皆、絶対音感を持っていなかったので、それが素晴らしいと思ってしまったんだね 」と述懐しています 。

 世界の標準ピッチが定められて未だ80年ほどしか経っていません。約300年前のバッハの時代は標準ピッチという概念すら存在せず、パイプオルガンのピッチは教会ごとに違っていました。当時のオルガン調律は、パイプを継ぎ足す技術に乏しくパイプを切り取ることによって調律をしたのでオルガンは調律の度にピッチが上昇しました 。ですから他の楽器と合奏するためにオルガンの楽譜を下方に移調しなければなりませんでした。オルガンは移調楽器の一つでした。バッハや同時代のオルガニストたちは多様なピッチのオルガンに対応できる耳、つまり絶対音感ではない耳をもっていたと考えられます。もし絶対音感があったら、「ド」 の鍵盤を弾いて「レ」 の音が聞こえるなどの現象に耐えられないはずです。現代に生きる音楽家も古楽の世界では絶対音感を捨てなければやっていけません。

 今回演奏した《 Dona Nobis Pacem われらに平安をあたえたまえ 》 の演奏を聞いて、ハ長調だから原曲と違うと意義を唱える人はいませんでした。カラオケでキーを1全音下げたから、その歌謡曲が違うと意義を唱える人はいないでしょう。歌は歌手に適したピッチで歌う、音符と実音は無関係というのがグレゴリア聖歌の頃からの習慣です。 「 やわらかなバッハの会 」の会員たちは絶対音感の人も相対音感の人もいますが、ハ長調の移調楽譜を見て 《 Dona Nobis Pacem われらに平安をあたえたまえ 》  を歌うことに抵抗を感じた人は一人もいませんでした。


バッハの原体験

私の父は、大学のオーケストラでクラリネットを吹いていました。父の先輩にあたる朝比奈隆は法学部を卒業後、また文学部に在籍して学生オケの指揮に熱中し、やがてプロになりました。大阪音楽大学教授、大阪フィルハーモニーの音楽総監督になった偉大な先輩の影響を父も受けていたのか、卒業後も海外出張のついでに海外のオーケストラを聴き歩き、OBオーケストラを楽しみにしていました。

父はピアノも多少弾けましたので、私とピアノ分担奏をして遊んでくれました。ソロで弾くべきピアノ曲を親子で分担して弾くのですから、どんな曲も簡単に弾くことができました。その中でバッハだけは感動のあまり曲の最後まで弾いてもまた最初に戻りたい衝動にかられ、際限なく何度もリピートしたものです。旋律と伴奏に分かれる曲よりも、旋律同志を奏でる曲の方が面白いことを小学生の頃から直感的に感じていました。
シュヴァイツァーの著書「バッハ」の中に次のような言葉があります。「バッハのフーガを練習したことのある子供は(その際どんなに機械的に行われたにせよ)声部進行を目のあたりに学び取るのであり、この直感はもう二度と忘れ去られることはないであろう。そのような子供はどんな曲にも同様な音響の線による尊厳な動きを本能的に求めるようになり、その欠如を貧しさと感ずるであろう」
カッコ内の「その際どんなに機械的に行われたにせよ」というくだりは、アマチュアピアニストと子供の分担奏でも、バッハはどのように演奏してもその本質は伝わるということだと思います。大人になってからも「この直感は二度と消し去られることはないであろう」という言葉通りバッハの多声音楽の魅力から逃れられないのです。


このような原体験を持つ私は、「やわらかなバッハの会」で沢山の人とバッハのフーガの分担奏を楽しんでいます。声部進行を正しく学ぶには1声を受け持つアンサンブルが一番近道です。鍵盤楽器に限らず、多種の楽器や歌を音域に応じて自由に重ねます。異種混合的な音響の多声音楽が響きます。だれもかれも夢中になって自分のパートを演奏します。初歩者にとって多声音楽は楽譜からちょっとでも目を離すと脱落してしまい、途中復帰するのが難しいものです。自分の旋律と他の旋律が重なり合う線的音響に満たされた中で、この世のものとは思えない美的空間が生まれます。そこでは自分のつまらない感情や世間の雑事を全く忘れて音楽だけに熱中できるのです。バッハの超越的音楽に心が癒されます。演奏が終わると皆幸せそうな笑顔で「素晴らしい!」と心からバッハの音楽に感動しています。

バッハの日本初演に新しい知見

明治維新によって西洋音楽が我が国にもたらされた。バッハの音楽の日本における初演は先行研究では明治
21年 (1890年)とされてきた。ところが英国のバッハ研究者 Thomas Cressy 氏の研究によって、バッハの日本初演が明治2年(1869年)であったことが初めて明らかにされた。日本のバッハ受容史を約20年も塗り替えたことになる。

これは私たちが明治維新150年を記念して開催した「バッハ礼讃音楽祭」の中で、Thomas Cressy 氏 が 「日本の明治時代におけるバッハ受容」 と題する講演において明らかにしたものである。

ご承知のように明治維新は1868年、その僅か1年後に日本でバッハの音楽が演奏されていたとは驚きである。
井沢修二がアメリカに留学したのは1875年、それより先んじること6年前にバッハの音楽が既に日本で演奏されていたというのである。アメリカ留学で音楽を学んで帰国した井沢修二は音楽取調掛を開設、アメリカからメーソンを招き、小学唱歌集の編纂に従事し、東京音楽学校を設立した。設立は明治1887年である。一般にバッハの音楽は東京音楽学校設立の後に演奏されたと考えられてきた。先行研究によるとバッハの日本初演は1890年とされている。

Thomas Cressy  氏の英字新聞その等の資料研究の結果、バッハの日本初演は横浜の外国人居留地、外国人の演奏、1869年11月6日であったと判明した。明治維新から僅か1年目の出来事だった。演奏曲目はバッハ作曲 《ヴァイオリンとピアノのための前奏曲》  Thomas Cressy 氏によると、これは シューマンがヴァイオリン と ピアノのために編曲した 《 無伴奏 ヴァイオリン パルティータ 第3番 》のプレリュードだという。

その後もコンサートが行われ、グノーがバッハの曲を編曲した《アヴェ・マリア》 や 《フーガ ト短調》 の演奏が高い人気を得ていたという。

Thomas Cressy 氏 は英国でバッハ研究をしていた時、小林義武、富田庸などの著名な日本人バッハ研究者が多いことを知り、なぜ日本にこれほど優れたバッハ研究者がいるのかと日本に興味をお持ちになった。そして彼は日本におけるバッハ受容を研究するために国費留学生として東京芸術大学で学び、オックスフォード大学、コーネル大学で更なる研究を続けておられる。彼は日本語能力検定を取得されており、講演はすべて日本語でお話になった。日本におけるバッハ受容について今後の更なる研究に期待したい。

「日本の明治時代におけるバッハ受容」 Thomas Cressy

明治維新150年記念バッハ礼讃音楽祭

台風12号が山口県を通過する中、バッハの音楽祭を開催。14:00の開演時間になるとだんだん大降りの雨になってきたので、皆がこれからもっと雨風が強くなると予想していた。しかし、不思議なことに、音楽祭が始まると徐々に雨風が弱まってきた。終演のころには雨も上がり風もほとんどない状態にまで回復していた。避難勧告が出たりするのが理解できないほどの状態だった。バッハがこの音楽祭を祝し守ってくれたのではないかと感じさせられる日曜日の午後だった。

この日は交通機関の乱れもあり、遠方からの方は会場に到着できない状態だった。そのような中、WTC第1巻20番を演奏するキーボード奏者が現われないことに気付いた。その時、既に一つ前のプログラムが始まっていた。急遽ソロ演奏をアンサンブル演奏に変更し、あたふたと4人のキーボード奏者に声をかけパート分けをした。4人とも音大のピアノ科なので、譜読みはお得意である。フーガのソプラノとバスは比較的弾きやすい。アルトとテナーは入り組んで見分けのつきにくいところが時々出て来る。皆ひやひやで本番に臨んだが、4人とも自分のパートを正しく演奏することができ、フーガの最後まできちんと弾けたので一安心というところであった。

プログラムの最後は4台のチェンバロのための協奏曲。皆忙しいので練習の時は誰かしら抜けていた。午前中のリハーサルで初めて全員揃って練習できる状態だったが、何度か合わせるうちに良いアンサンブルができてきた。あまり練習しても疲れるということであとは本番にかけたが、本番は今までの中で一番良い出来たった。

やわらかなバッハの会では常日頃、WTCをパート分けしてアンサンブルを楽しんでいることが大いに役にたったハプニングだった。
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バッハ音楽祭 ライプツィヒ 

ドイツのライプツィヒはバッハの総本山である。

バッハは38才から、世を去る65才まで、ライプツィヒでトーマス教会のカントルの地位にあった。何百年にもわたってトーマス教会のカントルがニコライ教会も統括したのでバッハはトーマス教会とニコライ教会というライプツィヒの2大教会の責任者だった。さらにライプチィヒ市や、ライプツィヒ大学の音楽監督も務めていたのだから、その多忙さは想像を絶する。

現在のトーマス教会カントルを務めるのは、シュヴァルツ。バッハから数えて10代目のカントルである。

毎年6月に開催されるバッハ音楽祭はライプツィヒのいたるところでコンサートが開かれる。10日間にわたって161のコンサートやガイドツアーが組まれている。平均すると一日16個のプログラムがあるので、時間が重なってどちらに行くか悩んでしまう。しかしオープニングコンサートとクロージングコンサートはさすがに重なっていなし。最初と最後はトーマス教会カントルのシュバルツ指揮、トーマス教会で行われた。最後は恒例の 《ミサ曲ロ短調》 で、トーマス教会は超満席、チケットを買えなかった人もたくさいん居た。

会場はトーマス教会とニコライ教会をメインに、福音改革教会、ルター教会、カトリック教会、lミカエリス教会、ペーター教会、ライプツィヒ大学教会などでカンタータ、受難曲、オルガン曲などのコンサート、礼拝でも本格的な演奏を聴くことができた。

教会以外にもバッハ博物館、旧交易会館、旧市庁舎、最高行政裁判所、マルクト広場、ゲヴァントハウスホール、メンデルスゾーンハウス、現代史博物館、音楽学校、コングレスホール、楽器博物館、ライプツィヒ中央駅、・・・・など、いたるところで様々なコンサートが行われた。

また、バッハゆかりの場所を巡るウォーキングツァー、バッハ資料館内のツァー、中には近郊へのバスツァーもあった。例えば献堂式用のカンタータ194番を、実際に献堂式の行われたライプツィヒ近郊のシュテルムタール教会まで行って聴くというツァーである。シュテルムタール教会は想像以上に小さい教会だったが、ライプツィヒ大学音楽監督 Timm 指揮、ポーリナーバロックアンサンブル で立派な演奏が行われた。
シュテルムタール
シュテルムタールバルコニー

バッハ音楽祭に招かれるのは世界的レベルの人ばかりである。
ガーディナー、コープマン、ラーデマン、鈴木雅明、ティム、ルクス、グッドウィン、ハートマン、ゲッショルト、ハラー、ラーデマン、ベーム、ツェラー、シフ、ロンドー、シュタイアー、レヴィン、ウィスペルウェイ・・・・などなど。

演奏曲はカンタータ、ヨハネ受難曲、マタイ受難曲、平均律クラヴィーア曲集、ゴルトベルク変奏曲、イタリア協奏曲、フランス序曲、フーガの技法、ブランデンブルク協奏曲、無伴奏チェロ組曲、ドイツオルガンミサ、パルティータ、トッカータ、プレリュードとフーガ・・・などなど

演奏に関しては気に入ったものも、そうでないものもあったが、それらは判断基準の根拠とするものが常に正しいとは限らない。バッハ演奏に関する作法は時代によって、また演奏家によってまちまちである。これからも変化していくだろう。現在だけを見ても、ある作法に対して真逆の作法を主張する学者も珍しくない。ともあれどのように演奏しても、それがバッハの音楽であることに変わりはない。作法や演奏家のテクニックの良し悪しを聴くのではなくバッハを聴けばよい。バッハのハーモニ、対位法、宇宙の調和、心の調律を聴きたいものである。○○氏のコンサートである前に、バッハのコンサートなのだから。教会でのコンサートは演奏者の姿は普通見えない。聴衆の席は1階、演奏は2階のバルコニーで行われるからである。この位置関係だと演奏者の姿に気を取られることなく、高いところから降ってくる天上の音楽を純粋に聴くことができる。








イコール式の先駆者バッハ

イコール式とは難しい調 ( ♯ ♭ の多い調 )を簡単な調 ( ♯ ♭ の少ない調 )に移調することによって、演奏を楽にする試みである。この種の移調をバッハ自身も試みていた。それは編曲の際などに見られる。

バッハはイコール式だけではなく、逆イコール式つまり簡単な調から難しい調に移調する試みまでも行った。WTC ( 平均律クラヴィーア曲集 ) を編集する際、バッハは簡単な調で作曲したものを、難しい調に移調しながら浄書したことが研究の結果わかってきているからである。24の理論上考えられるすべての調を網羅するには当時ほとんど使われなかった難しい調も入れなければならない。それらは簡単な調からの移調によって充当されたものが多く見られる。

バッハは自ら双方向つまり簡単にする移調と難しくする移調を試みたのである。


今回はバッハが難しい調から簡単な調に移調したイコール式の例を ヴィヴァルディ ( Vivaldi 1678〜1741 )の作品からの編曲もので考えてみよう。
ヴィヴァルディからの編曲作品はバッハのヴァイマル時代に成立したもので、ヨハン・エルンスト公子が協奏曲を1台の鍵盤楽器で演奏することに強い関心を抱き、編曲をバッハに依頼したものである。

ヴィヴァルディ作曲の 《 調和の霊感 Op.3 》 は全部で12曲からなり、ヴァイオリン協奏曲、2つのヴァイオリンのための協奏曲、4つのヴァイオリンのための協奏曲、2つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲などが含まれる。調性としては ♯ 4個、♭ 2個までの調が含まれる。
バッハはヴィヴァルディの 《 調和の霊感 》の中の幾つかを鍵盤楽器用に編曲した。

・《 調和の霊感 第10曲 Op.3-10 》 は ロ短調 であるが、バッハは これをイ短調 に移調して 《 4台のチェンバロのための協奏曲 BWV 1065 イ短調 》 を書いた。♯ 2 個 から0 個への移調である。これはまさしくイコール式の考え方と同じである。難しい調から簡単な調への移調を、バッハ自身が実行したということは、バッハの中にイコール式の芽があったように思えてならない。

・《調和の霊感 第12曲 Op.3-12 》 は ホ長調 であるが、バッハはこれを ハ長調 に移調して 《 クラヴィーア協奏曲 BWV 976 》 を書いた。♯ 4個 から0個への移調である。これもまさしく ♯ が大幅に減って弾きやすくなるイコール式の最たるものである。

・《 調和の霊感 第3曲 Op.3-3 》 は ト長調 であるが、バッハはこれを ヘ長調 に移調して 《 クラヴィーア協奏曲 BWV 978 ヘ長調 》 を書いた。♯ 1個 から ♭ 1個への移調を試みたのである。この例は♯ が ♭ に変わっただけで個数としては1個であることにかわりはない。ヴィヴァルディはヴァイオリンが解放弦で美しく響く ト長調 でヴァイオリン協奏曲を書いたと推測できるが、バッハはこの曲を鍵盤楽器で演奏するためには ト長調  である必要はないと考えたのではないだろうか。鍵盤楽器においては ヘ長調 の方が弾きやすいと考えたかもしれない。

加えて、現代のピッチはバッハの時代より約半音高くなっている。絶対音感教育を受けた人達は、調と音高を厳密に結び付けて考える傾向にあるが、バッハの時代においては、調と音高の関係はフレキシブルであったことも考慮したい。 

今回はヴィヴァルディ作品からの編曲のみを取り上げたが、バッハは他にも種々の移調を試みて書いた作品があることを付け加えておく。

 
バッハは西洋音楽史の金字塔 WTC (平均律クラヴィーア曲集 ) を打ち立てたとき、確信したはずである。何を?鍵盤楽器に24種類の調性格を与えることの難しさを!
なぜなら鍵盤楽器は1オクターヴ12個の音しか出せないからである。鍵盤楽器以外はというと ド と ♯ ド の間に無数の音を作ることができる。しかし鍵盤楽器は ド の鍵盤の次は ♯ ド の鍵盤しかない。純正の和音を得るには、ド と ♯ ド の間の鍵盤が必要であるが、それが無いので便宜的に異名同音で処理せざるを得ない。当たらずとも遠からず、どれも均一的になる。このことは24等分平均律でも不等分音律でも、鍵盤数が1オクターヴ12個である以上あてはまる事実である。バッハが絶妙な不等分音律を考えたと言われているが、それがいかに優れていても、24の調すべてを破綻なく演奏できるということは、調ごとの違いが微小かつ聞き分け困難にならざるを得ない。

バッハが WTC 《 平均律クラヴィーア曲集 》 と名付けた理由もここにあるように思う。ここで問題にしているのは「平均律」という多少問題の残る翻訳ではなく、「クラヴィーア」という語についてである。クラヴィーアとは鍵盤楽器という意味である。24の調を網羅するという画期的な目標を完結した時、バッハはまた考えたであろう。鍵盤楽器において、もはや調性格の違いを音響的に求めることは難しいと。なぜなら当時の調性格はよ使われる調の範囲内での論であった。♯ ♭ の多い調は「良く知られてない調」と片づけられ、その性格も論じられなかった。♯ ♭ の少ない調の調性格に加えて、WTC 《 平均律クラヴィーア曲集 》 で新たに用いられた調に対して、それぞれに新たな調性格が生まれることは考えにくい。しかも、もともと調性格というものは論者によってまちまちでどれを信じてよいかわからないものである。確かなことは長調と短調の2つの性格が存在すると言うことだけである。

カロフ聖書

最近、バッハ愛用カロフ聖書のファクシミリ版 (バッハの書き込み入り) が発売されて話題を呼んでいる。
輸入総代理店の教文館 (東京銀座)で5月6日まで展示販売中。全3巻79万円。

出版社はオランダのファン・ヴェイネン社で、教文館によると初刷は100部とのことである。
編集者はユトレヒト大学のクレメント教授。彼は音楽学、オルガン、神学を学び博士号取得。学際的なバッハ研究者として知られる。

クレメント教授は2017年7月にケンブリッジ大学で開催されたバッハネットワーク対話会議で、バッハの書き込み入りカロフ聖書を披露してくださった。私もそこに参加していたので、カロフ聖書を実際に見ることができた。
お披露目の様子をビデオでどうぞ。カロフ聖書3巻を箱から取り出しておられるのがクレメント教授である。

興味深そうにカロフ聖書を見ていた参加者は世界のバッハ研究者たちであるが、その中から日本語で読める音楽書の著者をあげてみると、
『バッハ全集第12巻』 小学館・・・・資料批判原典版の泰斗 富田庸著
『バッハの暗号』 青土社・・・・ミセス・バッハの異名をとる ルース・タトロー著
『バッハの鍵盤音楽』 小学館・・・・・ 演奏家としても優れた シューレンバーグ著
『説教者としてのJ.S.バッハ』 教文館・・・・・ 礼拝音楽の大御所 ロビン・リーヴァー著


私はこのバッハネットワーク対話会議で 《 イコール式 バッハ 平均律クラヴィーア曲集 》 について発表した。平均律クラヴィーア曲集全48曲をハ長調とイ短調に移調して出版したことは世界で初めての試みであり、固定観念にとらわれない「やわらかなバッハの会」の活動が驚きと興味を持って迎えられた。そして 「やわらかなバッハの会」 はいつしか 「バッハの啓蒙活動」 と呼ばれるようになった。啓蒙というと少し上から目線になるので、私自身はバッハの音楽を広める活動と表現している。

「 やわらかなバッハの会 」 は誰でも簡単にバッハの音楽に親しみ、演奏できるように WTC ( 平均律クラヴィーア曲集 ) をアンサンブルで演奏したり、移調したりしている。一人1パートを担当すれば声部の動きがよくわかる。鍵盤楽器の人は一人で多くの声部を弾くものと思い込んでいるが、他の楽器はどれも一声だけ演奏することが多い。むしろ一声しか演奏できない楽器の方が大半である。アンサンブルをやっていると、自分のパートと他のパートと全体の音を聞くということが要求される。慣れてくるとすべての音が聞こえ、自分も世界も一体となる境地に入る。この訓練を積んでから一人で全パートを弾くという方法が声部の独立を学ぶ最短距離である。

バッハの音楽は自ら演奏してみることによって本当の調和、霊感を体験できるのである。バッハの音楽はステージで華々しく弾くためのものではなく、心の癒しのために弾くものである。移調に関する説明は音律論から始めなければ理解は不可能なのでここでは省く。拙著 『やわらかなバッハ』 春秋社 を参照していただきたい。
それではバッハネットワーク対話会議の発表者全員が出て来るムービーをどうぞ。1分23秒のところ、ピンクの服を着て発表しているのが私である。
やわらかなバッハの会
〒753-0072 山口県山口市大手町
3−6 大手町ビル4F
毎週土曜日18:00 PM
毎週金曜日10:00 AM
毎月1回   対話集会18:00 PM
都合により日時を変更する場合もありますので初めての方は事前にご連絡ください

お問い合わせはこちら

マンスリーバッハ (第2日曜日)
午後4時〜6〜時
場所:新山口駅構内

バッハ・イン・ザ・サブウェイズ
2019年3月21日
場所:新山口駅構内

<プロフィール>
やわらかなバッハの会 
会長 橋本絹代
新しい鍵盤楽器記譜法「イコール式」の創始者

子供の頃、父と一緒に、バッハのフーガをピアノ分担奏で弾くことによって、声部進行を直感的に学び取り
バッハのとりこになった。
初級者でもバッハのフーガを楽む方法を提案している。

2007年 世界で初めての楽譜《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》カワイ出版 

2009 音楽書『やわらかなバッハ』春秋社

2013「やわらかなバッハの会」設立

2014 バッハ礼讃音楽祭 (於 旧県会議事堂) 毎年開催

2016 バッハ・イン・ザ・サブウェイズ (於 新山口駅構内)毎年開催

2017 Bach Network UK 対話会議研究発表 (於 ケンブリッジ大学)

2017 Prof.Yo Yomita (富田庸) 講演会「バッハを嗜む」主催(於山口大学)

2018 Thomas Cressy 明治150年記念「日本の明治時代におけるバッハ受容」

イコール式とは「鍵盤楽器においてどの調も皆同じ」という意味です。
なぜなら12等分平均律の鍵盤楽器における調性とは、ただ高さのみによって識別される2つの旋法、すなわち長調と短調の性格だけに限られるからです。
12等分平均律は勿論のこと、不等分音律を前提に論じたマッテゾンでさえも「どんな調もそれ自体では、その逆を作曲し得ないほど悲しかったり楽しかったりすることはできない」と述べています。
異名同音、ピッチの変動、バッハの手による移調の試みなどを考慮すれば、《バッハ平均律クラヴィーア曲集》の中の難しい調を簡単な調に移調してまず親しむことが大切です。初級者は更にそれをアンサンブルで楽しむことが大切です。
やわらかなバッハの会は既成概念にとらわれず、自分自身の判断で音楽の本質を探究するところです。


世界唯一! 平均律クラヴィーア曲集の移調
音楽の構造が良く解る










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<イコール式の意味>
*12等分平均律の鍵盤楽器においてはどの調も同じ(イコール)です *フーガの各声部は主従関係ではなく対等(イコール)です *12等分平均律の調律法はイコール・テンペラメントと言います *音名と階名が同じ(イコール)読み方です
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